その手を伸ばして・・・
LbFennel
序 章 すべての始まりに・・・
000-01. 序章-すべての始まりに-
雲一つない青空の下。
瑞々しい緑が広がる森の一画で。
一本の木に背を預けて荒い呼吸を繰り返している女性の視界には、
黒々とした艶のある毛並みをした狼の死体が3頭転がっていた。
その後ろには腰まで届きそうな程長い髪を、後ろの高い位置で括った少女が立っている。
その髪も黒く木漏れ日を反射して、キラキラと輝いているようだった。
しかしその手には、女性が見たこともない細長く軽く反った鋭利な片刃を持った武器が握られていた。
「『えっと、』大丈夫・・・?」
荒い息の元、茫然としている女性を見て、少女は小さく声を掛ける。
耳触りのいい鈴を転がすようなその声は、女性の意識を引き戻した。
「あ・・・ありが、とう・・・。」
もたれ掛っていた木を支えに、よろよろと立ちあがりながら女性は答えた。
動き出した女性を見て、少女は安堵した表情を見せ、手にしていた武器を血振りして鞘に納めた。
柄頭から切っ先までその長さは少女の肩から地面までありながら、その動作には一切の滞りはなく流れるように行われた。
少女の身長は立ち上がった女性の胸よりも低く、パッと見、まだ10歳にも満たしていないように見えた。
『ありがと、チイ。』
少女の異国の言葉と思しき呟きで、その腰帯に刺していた武器が光に
「私、『
この国の言葉にあまり慣れていないのか、片言で話しかけてきた。
「あ・・・わ、私はユア、です。」
女性は信じられない光景の連続に言葉を詰まらせながら答えた。
「『えっと、魔・・・じゃなくて、こっちじゃ』・・・ブラックウルフ?」
一瞬、異国の言葉を使いかけて少女は言葉を改める。
「ごめんなさい。まだ、こっちの言葉、慣れなくて。」
「あ、いや、大丈夫ですよ。十分通じていますよ。」
少し照れた表情で謝ってくる狭也に、ユアは未だ少し呆けた感じで返した。
「よかった。それで、ブラックウルフ、なぜ追われてた?」
言葉が通じていることにほっとしながら問い掛けてくる少女。
平静を取り戻し始めたユアが狭也をよくよく見ると、その服装は見たことない物で、体をぐるっと一周回し正面で交差させて腰帯で留めていた。
模様は一切なく、淡いピンク色の布が膝頭の上まで覆い、朱色に染め上げられた腰帯は、捩じられた紐で括られていた。
小さな手は包帯のような白い布で肘辺りまで包み込み、足には膝下まで届く赤いブーツを履いていた。
この周辺では見たこともない服装と武器。そして片言の言葉。
大陸が統一言語の使用を開始してから約八十年。
各国の言葉の名残はあるものの、殆どの人が不自由なく話せる程度には浸透していた。
「私、この近くの街で薬草師をやっていて、在庫を切らした薬草を探しに来ていたんです。」
対するユアは少女よりも軽装で、ふわりとした若草色のワンピースに短剣を吊るしたベルトをし、白い靴を履いただけの本当にちょっとしたお出掛けといった服装をしている。
本来なら所属している商業ギルドから優先して卸してもらえるはずの薬草が、周辺の採取地で異常が発生している為、ひと月の購入数に制限が掛けられていた。
幸いにも近くの森でも僅かながら手に入る薬草であった為、ユアは一人でここまで採取しに来ていた。
不思議な少女に気をとられながらもユアは答える。
「あと少しあと少しと採っていたら、いつの間にか奥の方まで来ていて、ブラックウルフに見つかってしまいました。」
薬草師はその名からも解るとおり戦闘職ではない。
回復薬を初めとして、解毒薬や果ては毒薬等の劇薬まで、あらゆる薬草を使って薬を作成する生産職である。
今いる森は街の近くと在って、浅い部分では獣や魔物といった類が出ることは稀である。
それでも生産職を含めた一般人の外出には、護衛の同伴が推奨されている。
ユアの腰に提げられた短剣から、多少の心得はあるだろうと思われるものの、狭也からしてみれば一般人の域を出る程には見えない。
「送る、・・・『えっと・・・』マ、街まで。」
ぎこちない言葉遣いと幼い容貌に、普通なら不安を抱いてしまうが、しかしその腕前は先程、目の前で見ている。
追い掛けられ、追い詰められ、飛び掛かられそうになっているところ、ブラックウルフの更に後ろから飛び出してきた狭也が振るった一閃で呆気なく勝敗が決まっていた。
ブラックウルフ、その体内に魔石を持つ魔獣であり、最低3頭以上で狩りを行う要注意種。
普通の狼よりも体力・スピード・攻撃力があるものの、1頭のみなら戦闘職の駆け出しでも危なげなく倒せる程度。
しかし3頭以上の群れとなると、その連携から危険度は一気に跳ね上がり、その対応は中堅以上の戦闘職でなければ苦戦を強いられてしまう。
中には体内の魔石の力を発動し、魔法を使用してくる強化種というものも存在している。
爪に風を纏い鉄の鎧を軽々と切り裂き、咆哮が雷雲を呼び落雷により攻撃をすることで、一気に上位魔獣の仲間入りをしてしまう。
ユアを襲ったブラックウルフは強化種ではなかったものの、本来なら狭也のようなまだ幼い少女が討伐できるような魔獣ではなかった。
それを一閃の元に切り伏せたその実力は、計り知れないものがあった。
「私・・・迷子・・・。この近くの街、探してた。だから、ちょうどいい。」
戸惑うユアを安心させるように、狭也はここを通り掛かった理由を述べた。
「あ、じゃあ、お願いしますね。」
差し出された少女の小さな手を、ユアはそっと握り返して二人で街に向けて歩き出した。
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「ニケ、大丈夫ですか?」
「巫女長さま・・・。」
礼拝堂で祈りを捧げていた私の許に、巫女長さまが近づいてきました。
「祈りに余り集中できていないようですが、もしかしていつもの夢ですか?」
「・・・はい。」
どうやら夢の事が気になり、気もそぞろになっていたことに気づかれていたようです。
「以前からたまに見ていた夢。最近ではほぼ毎日見るようになっています・・・。」
その夢は不穏なものではなく、どちらかと言えば私を包み込んでくれるような温かい光のようなもの。
「こう言っては叱られてしまうかもしれませんが、とても愛しくて、見詰めると心が抱き締められるような光なのです。」
巫女長さまは何も言わずに聞いて下さいます。
この神殿に拾われてから十年。
私は巫女候補として、ここで神聖魔法を習っています。
最初にこの夢を見たのは神聖魔法の修練の最中、力を使い過ぎて倒れてしまったときでした。
その時は真っ白な空間の中、まだ小さく、何かは全く判らないものでした。
しかしその小さな何かは、何年も小さなままで、何の夢なのか解らないまま時が経ち、昨年から急に真っ白な空間でもはっきり見える程に輝きだし、それが温かな光を湛えている事に気が付いたのです。
「不思議なものですね。神殿長も予言者様も、誰もその夢については何も解りません。」
静かに聞いてくださっていた巫女長さまが、礼拝堂の中で佇む女神さまのような微笑みを浮かべて返事を返してくださいました。
「あなただけが見るその夢には、きっと何か意味があるのでしょう。」
そう言った後、巫女長さまは少し硬い表情を浮かべました。
「予言者様から、あなたに伝言があります。」
どうやら今日の本題はそちらにあるようです。
女神さま以外のものに気を向ける私は追放さるのだろうかと、不安が込み上げてきましたが静かに次の言葉を待ちます。
「私としては余り気が進まないのですが・・・。」
意を決したように私の目を見つめられるその表情は硬く。
「・・・神聖魔法に並行し、短剣術を習得せよ・・・と・・・。」
私はその言葉が信じられず、両目を見開き返事をすることが出来ませんでした。
「これがどういった意味か・・・解りますか?」
「・・・はい。・・・戦巫女になれと・・・。」
戦巫女、それは
世を侵食する魔族とさえ、正面から戦うことを望まれる職です。
巫女自体は神聖魔法の内、回復・強化や再生などの所謂、回復職に相当する術を教えられます。聖属性が付与されることでその威力は普通の回復職の魔法よりも遥かに強力です。
それに対し戦巫女は、更に聖属性の攻撃魔法と短剣による戦闘術の習得が求められます。
「予言者様も答えを急いではいませんし、強制するものでもありません。良く考えてから返事をして下さい。」
巫女長さまは、まだ幼かった頃の私にするように、そっと頭を撫で、その胸に抱き締めてくださいました。
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そこは地下に築かれた村。既にゴーストタウンと化していた。
陽の射さないその村は、しかしまるで空が存在しているかのように、昼は明るく夜は暗くなる。
建物も風化することなく遥か昔の威容を残していた。
しかし、ただ一人、そこで生活を送っている少女がいた。
その耳は小さく尖り、口の中には鋭く尖った牙が覗いている。
彼女は亜人種である吸血族。
同じ亜人種であるエルフ族のような長命種であり、少女も見た目に反し五百を数える年になっていた。
「珍しいね、ミーナがここに来るのは。」
少女は声の聞こえた頭上に視線を向けた。地下と地上を繋ぐ道を塞いだ大きな扉の上方から、妖艶な女性がにゅっと扉を突き抜けて見下ろしていた。
ミーナから見えているその上半身は、その向こうが透けて見え、彼女が生者ではないことを示していた。
既に三十年近くの付き合いである彼女に、ミーナは驚くことはない。
「地の精霊が騒いでいるの。近く何かが起こりそうで落ち着かないわ。」
ミーナは金色の髪をかき上げ、落ち着かな気に返した。
「ロアナ、地上では何か動きはない?」
「う~ん・・・何も。静かなものよ。と言っても屋敷から動けない私に聞かれても外の事は解らないけどね♪」
ミーナは扉によって、ロアナはその死によって地下と地上、それぞれに縛られていた。
孤独な二人が唯一触れ合える場所が、この扉の周辺だった。
とは言え、普段はミーナの能力によって、この場所以外でも話すことは出来るため、こうして顔を合わせること自体は珍しかった。
ずずず、と全身を扉の内側に出してきたロアナは、愛し気にミーナの頭を撫でる仕草をする。
相手は霊体である以上、撫でられてもその感触はない。
それでもミーナは恥ずかしいのか、少し頬を赤らめて「やめて。」とその手を弾く真似をした。
「ふふ、年上とは思えない初心さよね♪」
ロアナは赤らめて膨らんだその頬を、
「あなたの事情を考えれば解らなくもないけれど、少しは地上に出ることも考えなさいな。」
楽し気な顔から一変して、哀し気な笑顔を見せるロアナに、ミーナは小さく睨みつけた。
「この扉はいつでも開けられるのよ。もう、時代は変わったのだから。」
ミーナの頬を両手で包み込み、その額にそっとキスを落とす。
「説得したいなら、私に
頬に伸びたロアナの手を擦り抜けたミーナは、目を伏せて小さく呟いた。
ロアナは「仕方ないなぁ」とため息を一つ吐いた。
(私の可愛い子ちゃん、地の精霊が伝える何かが、この子のためになりますように。)
後ろ姿を見せて家に帰っていくミーナを見つめ、ふわふわと浮いた身体の前で手を組んで祈りを捧げた。
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長い黒髪を風になびかせ精霊樹を見上げる女性。
その精霊樹の根元には、小さいが禍々しい黒い靄が掛かっていた。
手を掲げるとピリピリと拒絶するような刺激を受ける。
「もう少しすれば、あの子がここに来る。」
後ろで彼女の様子を見ている白金の髪の女性に向けて言った。
その耳は左右に尖り、ひと目で彼女がエルフ族であることが解った。
振り返った黒髪の女性は、同じく黒い瞳でエルフ族の女性を見返す。
「行ってしまうのかの?」
「ここは、あまり私のような人間が居ていい場所じゃないからな。」
「そんなことはないぞ。お主には助けられたからの。好きなだけ居て良いぞ。」
手を差し伸べるエルフ族の女性に、黒髪の女性は首を左右に振る。
「私にもやることがある。全てが終わったとき、まだその気持ちがあるなら迎えてくれ。」
そう言うと腰帯に提げていた“刀”を鞘ごと抜いて、エルフ族の女性に差し出す。
「いずれここに来るあの子に、この『
【ケツガ】がこの武器の呼び名だと気づき、エルフ族の女性は黙って受け取る。
「私にはもう、あの子に逢う資格はない。君から渡して欲しい。」
「・・・解った。」
黒髪の女性は静かに微笑むと、その身を翻して歩き出す。
「約束だ。必ず帰って来るのだぞ。」
返事はなく、その距離は開いていく。
エルフ族の女性は、彼女がこの精霊樹エリアの扉から出て行き、その姿が見えなくなるまで見送っていた・・・。
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