第103話 葬儀の時はいつも
これは、私が葬儀に出席した際に、よく体験する現象のお話です。
初めて体験したのは、今から十数年前。近所の方のお葬式の時でした。
アパートに住んでいた頃は、近隣の方の葬儀に参列する事は無かったのですが、一戸建てに住む様になってからは、町内会の関係で、特に同じ組内ですと前日の準備や告別式の際の受付のお手伝いに行く機会が出てきました。
最初の頃は自宅での告別式が多かったのですが、やがて葬祭業者のホールで行う事が多くなり、そこまで出向いて行って受付を手伝ったりしていました。
因みに、最近は家族葬が主流になり、それも減ってきましたが。
ホールで行う場合、手伝いに出向いた私達も受付を終えたら葬儀に参加します。
親族や関係者の方々から離れた後方に着席し、僧侶の読経が始まるのを待ちます。
やがて、僧侶が入場し、式がしめやかに取り行われます。
大体其の時、私は正面にしつらえられた祭壇を見つめています。
自宅で行うよりも立派で存在感のある祭壇には眼を魅かれますが、私の目線は其の上方に向けられています。
僧侶の読経が始まります。
空気が、厳粛な調べに包まれていきます。
この時合の頃からです。
あれが始まるのは。
雨です。
実際には降ってはいません。降るはずがありませんよね? 室内なんですから。
でも、私の眼には、雨のような物が、天井から祭壇の屋根の部分に降り注いでいるように見えるのです。
雨と言っても、小雨――霧雨に近いです。
最初は目の錯覚かと思ったんですが、そうでもなさそうなんです。
普段は見えませんし。見えるのは葬儀の時だけなんです。
それが何なのかは、私には分かりません。
ところがです。
これ、葬儀の場以外でも目撃したんです。
先日、とある神社をお参りしたところ、回向祭が取り行われていました。
ここの神社、お祀りされている神様も大勢いらっしゃるのですが、神仏習合の名残が根強く残っており、如来様もお祀りされています。
ここでは、春と秋の年二回、回向祭と呼ばれる行事が行われており、神社で読経が流れるという、不思議な感覚に捉われます。
私は読経に耳を傾けながら、拝殿を見つめていました。
すると、その屋根に小雨が降り始めたんです。
否、小雨ではない、小雨よりもっと微細な何かが。
見た目は霧雨の様な気がします。
同じでした。
葬儀の時に目の当たりにするあれと。
頭上には雲一つない青空が広がっており、霧雨すら降る感じはしません。
勿論、それらは実体を伴っていない。
じゃあ、あれって・・・?
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