第74話 帰りたくない――その2
これは、私が体験したお話です。
私の住むアパートから車で十分程の所に、大きな河川があります。
河川敷は整備されており、水遊びのできる公園や、野球場、サッカーのコート、バーベキュー場と、色々な施設があり、市民の憩いの場となっています。
ただ、すぐ近くでありながら、いつも通り過ぎていた場所でした。
その日、休日だった私はふと河川敷に行ってみようかと思い立ったんです。
車ではなく、自転車で川沿いを走ってみようかと。
当然、車より時間がかかりましたが、何とか川に到着。
川沿いにはサイクリングロードが整備されており、中々楽しめそうです。
私は川沿いのチャリ旅をしばらく楽しんだ後、河川敷へと進みました。
河川敷に生える木々の下枝に、時折ビニールがひっかかり、薮には発泡スチロールやペットボトルが転がっています。
見た感じ、不法投棄ではなく、増水時に川に流されたものがここまで来たものの様でした。
まだ川面には程遠い、土手のすぐそばでこれですから、大雨で増水した時はかなり水位が上がるようです。
私は更にチャリ走を続けます。道は勿論未舗装で、漬物石サイズの石がごろごろ転がっていますが、載っているのがマウンテンバイクなので、全然大丈夫。
これが施設の整備されたエリアですと、流れのすぐそばまでアスファルトで舗装され、車でもママチャリでもへっちゃらなんでしょうけど、それじゃあ面白くない。
それに、人が大勢いる場所は何となく落ち着かない。
私は、川のせせらぎを静かに堪能したい――其の思いに従い、人が入っていなそうなエリアを選んでハンドルを切ったのです。
しばらく進むと、木立ちが途切れ、漸く川面が視界に飛び込んできました。
私が降り立ったところは結構浅瀬で、穏やかな流れの場所でした。
私はマウンテンバイクを降り、河原に向かいました。
ごろごろとした石に足元を取られながらも、何とか辿り着きました。
日差しは薄い雲のフィルターを通して優しく降り注いでいます。
その柔らかな光を受けて、川面は煌びやかに輝きながら、静かなせせらぎをかなでています。
静かでした。
遠くからかすかに聞こえる車の排気音も、少しも気になりません。
それに、時間の流れが急に緩慢になったような気がします。
多忙な日々の続く中、久し振りに味わう安らぎの時間です。
まったりとした時の流れに身を委ね乍ら、私はぼんやりと佇んでいました。
糖蜜の様なぬっとりとした空気が私を包み込みます。
心地良い・・・何だろう、この感覚。
切ないくらいに優しく、悲しいくらいに懐かしい。
帰りたくない。
帰りたくない。
このまま、ずっとここにいたい。
いつまでも、ずっと。
こうしてぼんやりと、時の移ろいを眺めていたい・・・。
待て。
これって、多分ヤバい気がする。
確か、前にもあった様な。
私はふと我に返りました。
思い出しました。
某県の海岸で、同じような感覚にとられた事があったのです。
あの時も帰るのが嫌で、ずっとその場にいたいという妙な感覚に囚われたのでした。後で知ったのですが。その海岸は昔、首切場と呼ばれ、罪人が処刑されていた場所だったのです。
私はぞくりと寒気が走るのを感じました。
でも、ここではそのような残酷な歴史は語られていません。
ですが、これ以上ここに留まるのはまずいと思いました。
私は、そそくさとマウンテンバイクに戻るとその場を撤退しました。
後ほど、この事を霊感のスキルホルダーである息子に尋ねてみました。
彼の場合、私が行ったのと同じ河に掛かるとある橋が駄目らしいです。河を超える必要がある時には、わざわざ遠回りしているとのこと。
彼が言うには、過去に大雨で川が氾濫した時、恐らくは何らかの犠牲者が出たはずなので、場所によってはそう言う事もあるはずだそうです。
彼は、最後にこう付け加えました。
「お父さんは、その川には行かない方がいいよ」
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