第60話 黒い手――その2

 これは、最近妻から聞いた話です。ここでのお話を書くに当たって、私は自分の過去の体験を振り返るだけでなく、家族にも協力してもらっています。

 なにしろ、家に神棚を飾ってから、極端にそう言った体験が減ったものですから、どっちかと言うと霊感ホルダーの息子が頼りになってしまうのです。

 因みに、今住んでいるアパートも自分の部屋に結界を築いているので、現在の所は大丈夫そうなんですけど、以前は時々連れて来てしまう事がありました。

 私と息子はちょこちょこ不思議な体験をするのですが、ありがたい?ことに、自称霊感ゼロの妻も、意外と不思議な体験話を持っています。 

 これはその日の夜、妻が眠りにつこうとベッドに横になった時でした。

 急に、彼女の体がガタガタ震え出しました。

 特に悪寒が走った訳でも、何かに恐怖を覚えた訳でもありません。

 ただ何の前触れも無く、勝手に体が震え始めたのです。

 勿論、自身の意志に反して。

 ですが、妻が察していました。

 これから自分の身に起きる、恐怖の時間を。

 彼女の四肢を支える骨格筋が硬直し、眼に見えぬ手枷足枷が、全ての動作を支配下に隷属する。

 金縛り。

 それも、このパターンは睡眠のバランスが崩れて起こるものではない。

 実際に、まだ眠りには落ちていない。

 こういう時って・・・。

 妻は経験上、それが何を意味するのか十分過ぎる程に熟知していた。

 恐らく、いる。

 見えざる者が、そばに。

 妻は恐る恐る目を開いた。

 何かが、目の前で動いている。

 ぼんやりとしている。でも、判別は十分できる。

 目の前で像を成す、それは――黒い手。

 二本の黒い手が、両掌を広げ、彼女の首に掴みかかろうとしている。

 

 来ないでっ!


 妻は恐怖に苦悶しながら、硬く目を閉じると心の中で嫌悪の叫びを上げた。

 彼女は眼を閉じたまま、必死に抵抗を試み続けた。

 見てはいけない。

 見てしませば、それの存在を認めてしまう事になる。

 そうなれば・・・。


 何処かに行けっ!


 妻の思考の中で、得体の知れぬ者への絶対的拒絶の意志が言霊となって炸裂。

 不意に、体から束縛が消えた。

 体を襲っていた震えが止まり、四肢に意思の疎通が蘇る。

 金縛りが解けたのです。

 恐る恐る目を開く。

 いない。

 痕跡はおろか、残像すら残さずに、黒い手はその像を留めていない

 あれは・・・一体何だったのだろう。

 何かをを訴えかけようとしていたのか。

 妻はため息をつくと、首を傾げました。

 答えの見えない疑問符だけが残された、眠れない夜の幕開けでした。

 

 

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