第56話 顔
これは、数年前に私が体験したお話です。
単身赴任中ってのは、自制心との戦いです。
私はこれが弱いというか、ついつい自分お好きなものばかりに食が偏るんですよね。食事は褐色系、間食に甘い物系とか。
お酒は一滴も飲めませんし、煙草も吸わないのですが、食生活が乱れておりますので、不健康極まりないのは間違いなく、成長してはいけない部分が今だすくすくと育っております。特にお腹周りとか。
それもあって、少しでも運動をしなければと思い、ウォーキングをしています。
時間帯はと言うと、休日以外はもっぱら夜に近所を歩き回っています。
近所と言っても、住宅地から少し行けば田園風景が広がるのどかな場所ですので、歩くコースは大体そっち方面が多いです。
ただ、歩いていると、時々妙なものを見てしまう事があるんです。
いつも通る同じ交差点で、同じ方向に影のようなものが通り過ぎたりとか。
と言っても、いつも見える訳ではないんですけど。
何かのタイミングで、恐らく波長が合ってしまうんでしょうね。
その日は、いつも歩くコースから外れて、今まで歩いたことのない民家の間の小径を歩いていました。
この辺りは昔からある家々のようで、真新しい家並みが周囲を取り囲む中、この一帯だけが時間に取り残された様な、それでいて妙に落ち着く雰囲気を醸していました。
たまにはこうやってコースを変える事も必要なんです。
いつも同じコースだと、飽きてしまうので。
実は言うと、理由はそれ以外にもあります。同じコースを毎回歩いていると、犯罪に巻き込まれる可能性が高いそうです。
これは、人から聞いた話なのですが、待ち伏せされて金品を奪われたりとかあるらしいです。
私もこんな経験をしています。
と言っても、待ち伏せではないんですが。
あの日、スマホをリレーのバトンの様に手に持ちながら歩いていたら、背後から音もなくガタイのいい男二人が二人乗りした自転車が近付いて来たんです。
私は慌ててスマホをデニムのポケットに突っ込み、男達に視線を向けました。
二人は不自然な位に私すれすれにまで近寄って来たのですが、慌ててハンドルを切って離れて行き、いなくなりました。
女性の場合ですともっと危険ですから、夜のウォーキングは注意して下さい。出来れば一人でではなく、複数人で歩く事をおすすめします。
ごめんなさい。話を戻します。
その小径と言うのは、歩行者か二輪車(バイク含む)しか通れない様な道で、新興住宅地から少し離れた古くからの住宅地の間を抜ける、まさしく路地裏って感じの道でした。
塀沿いの砂利道を進んで行くと、 古びた家屋に続いて、更に古い様相の家屋が建ち並んでいました。
古いというよりも、家屋が少し傾き、壁も崩れかかけています。
どうやら、廃墟の様です。
すぐそばまで迫る真新しい家並みに包囲された中、その廃墟はどこか異質な存在を醸していました。
その家屋が廃墟となってしまった経緯は不明ですが、次々に建てられていく周囲の新しい家屋に囲まれた情景は、明らかに殺伐としており、物悲しくすら感じられました。
住民がこの家屋を捨てて、どれくらいの年月を経ているのだろうか。
良くない事とは知りつつ、私は興味深げに見つめながら歩いていました。
ふと、玄関であったらしい部分の軒下に目を向けた時、私は、ぎょっとしました。
朽ちかけた板壁に、顔が張り付いていたんです。
肌が黄土色の、白髪で角ばった顔の壮年の男性でした。
照明と言えば、近くの民家の灯りしかないにもかかわらず、それは、はっきりと私の目に飛び込んできました。
その顔は、かっと眼を見開き、口を固く閉ざしたまま私を見据えていました。
その表情から感じられたのは、「怒り」でした。
こっちを見るな
その憤怒に強張る表情は、私にそう訴えかけていました。
私は慌てて目を逸らしました。
気のせいだろうか――そう思って、再び顔のあった軒下に視線を投げ掛けましたが、何もありません。
私は慌てて走ってその場から離れました。
特に憑いて来た感じはしなかったのですが、念の為、帰宅してから荒塩を全身に掛けました。
あの顔・・・あれは、あの家が廃墟になる前、そこで生活していた住民なのでしょうか。それとも、済む者がいなくなっても尚、家を守り続けている家神様なのでしょうか。
その日以来、私はその小径を通らないようにしています。
流石に今度興味本位で通ったりしたら、警告だけでは済まないような気がするのです。
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