第28話 立ちはだかるもの
これは、十年程前に私が体験したお話です。
当時、私は、信州のとある地方に一か月程長期出張していました。
新しく出来た事業所の応援の為です。
季節は冬真っ只中。間近に見える中央アルプスも雪で真っ白だったのを覚えています。
多忙な日々の中で、やはり楽しみと言えば休日です。
休日と言っても連休はないので、家には帰らず、近所で買い物をしたり、図書館で読書をしたりして過ごしていました。
その日は休日。たまには少し遠出をして、山の方の温泉に行ってみようと思い立ちました。
と言っても、機動力は自分の足のみ。バスやタクシーを使う手もあったのですが、無駄にお金を使いたくは無かったし、元々歩くのが好きでしたので、徒歩での計画を立てました。
朝、雨具と食料を入れたリュックを背負い、里山登山向きの靴を履いて仮住まいを後にしました。
住宅街を抜け、しばらく進みますと、民家はまばらになり、道も傾斜がきつくなってきました。
出発して二時間くらいたった頃になると、もはや景色は山村。民家を過ぎると、恐らくは畑や水田と思われる雪に埋もれた平原が視界に広がります。
ただ道はしっかりと除雪されていましたので、歩行には苦労しませんでした。
雪原と並走しながら道を進むと、幾つもの石碑が建ち並ぶ場所が見えてきました。
不意に、鼻孔を突く異臭。
何かが腐っている様な、耐え難い腐敗臭が鼻に纏わりついて離れないのです。
いたんだ野菜か何かを捨てて肥料にしているのだろうか。
そう思い、周囲を見てもそれらしきものは見えない。
大体、雪で覆われているのだから、あったとしても匂いはしないはず。
あの、石碑の方から?
私は、雪原にならぶ石碑に目を向けました。
石碑の周辺は人が手入れしている形跡があり、雪に足を取られる心配も無く近くまで行けそうです。
でも。
私は行きませんでした。
私の中で、何かが行くなとブレーキを掛けたんです。
結局、私は悪臭の根源を確かめる事無く、その場を立ち去りました。
やがて木々に囲まれた道に入り、圧雪に転びそうになりながら進むと、『熊に注意! 』の看板。
まじかよ。
どうしようか躊躇しましたが、進む事に。
うねうねと続く山道。と言っても、舗装されている上に除雪もされていますので、歩くのにそんな苦は感じられませんでした。
やがて、木々の大きな建物が見えてきました。目的地の温浴施設です。
私はゆっくりと温泉に浸かり、日々の疲れとストレスを洗い流すと、まったりとした時間を過ごしました。
湯上り後、昼食を済ませると、しばし休憩室でごろごろ。
そろそろ帰らないと。
車なら、ぽかぽかの状態で家まで帰れるのですが、徒歩ですから、また寒さとの戦いです。
私は名残惜しみながら温浴施設を後にしました。
道を下って行きますと観光資料館の様な施設が見えてきました。
事前に調べた所、こちらの裏の公園を抜ければ、また別の観光地への近道である事が分かっています。
私は施設の入り口へと向かいました。
ふと見ると、通路の両脇に作られた丸太の柵の上に、一匹の猿が腰掛けていました。
猿は私を見ても逃げようとせず、ある一点をじっと見つめていました。
さっき私が下って来た道の方です。
私を見ても逃げようとしないのは、人に慣れているせいでしょうか。
それでいて、食べ物をねだりに来る素振りも見せません。
私は猿を脅かさない様に少し離れて通路を通り、施設に向かいました。
施設に入館し、裏手の公園に抜けようとしたのですが、積雪の為、入園禁止の看板が立っていました。スタッフの方に伺うと、積雪が大人の腰位の深さまである為、通行できないとの事でした。
私はスタッフの方に礼を述べると、諦めて施設を後にしました。
見ると、さっきのサルは未だいます。
不意に、雪がちらちらと舞い始めました。
少し斜め入る陽光を受けて、雪がきらきらと輝き、とても綺麗でした。
私は携帯を取り出すと、何回かシャッターを切りました。
神秘的な光景でした。
同時に、何か熱い気のような物を感じました。
陽光の差す温かみが、僅かに露出している顔の部分に感じられます。
日が沈みかけている。
私はそう悟ると足早にその場を離れました。
周囲を山々に囲まれている地形の為、特に冬の時期と言うのもあってか、この地域は日の入りが早いのです。
私は足早に帰路を目指しました。
途中、夕陽に映える山々のシルエットにしばし心を奪われながら、画像に納めているうちに、家に帰り着いた時にはすっかり暗くなっていました。
食事と入浴を済ますと、私は入間の外出で撮った画像を確認しました。
すると、そのうちの一枚に、妙なものが写っているのに気が付きました。
観光施設を出た時に、ちらちら舞い降りて来る雪の美しさに感動し、撮った画像でした。それも何枚か撮った内の、其の一枚だけが、異様な風景を写し出していました。
その画像の半分が真っ赤になっていたのです。
空に向けて撮った訳ではないので、周囲の木々や山々も一緒に映り込んでいるのですが、ただ、ちょうど山裾の生い茂る木々の部分が、実在のそれとは異なるものなっていたのです。
私は驚いて赤くなった部分を凝視しました。
その部分は、紅蓮の炎の様に渦巻いていました。
それだけではありません。
そこには、無数の顔のようなものが写っていました。怒り、憎悪・・・そう言った負の感情が、その画像からは明らかに見て取れました。
更に不思議な事に、その無数の顔の前に、巨大な人影が立ち塞がっていました。
憎悪の情念を背に受け止め、憤怒の表情で私を見据えています。
その御姿は、紛れも無く不動明王様でした。
早くここから立ち去れ。
不動明王様の表情から、私にそう訴えかけている様に見て取れました。
あの時、すぐにその場を離れたのは正解でした。
それともう一つ。
あの写真、構図から察するに。
あの時、猿がじっと見つめていた方向なのです。
つまり、私が下山して来た道の方。
私を追いかけて来た魔物達を、この地を守る不動明王様が食い止めて下さったのでしょうか。
途中、感じた正体不明の腐敗臭・・・あれも何か関係しているのでしょうか。
悪霊がいる所は凄い悪臭がする事がある――そうSNSの某動画配信で聞いた事が
あります。
関連性は分かりませんし、悪臭も私が気付かなかっただけで、悪くなった野菜をかためて廃棄し積み肥にしていた場所があったのかもしれません。
でも、画像は・・・。
その後、応援期間が急遽短くなり、予定よりもかなり早めに元の事業所に戻る事になりました。
問題の画像は、持っているのも良くないと思い、早々に消去しました。
残念ながら、今となっては、これ以上解明出来ないままになっています。
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