第12話 これって何?
息子が、大学の関係で、茨城で実習に取り組むことになりました。
私は今、栃木に単身赴任中ですので、こちらにいる間に、休みが会えば一緒にどこか気晴らしに出かけようと言う話になりました。
栃木在住の私のアパートからですと、彼のマンションには車で一時間半位でたどり着けます。
彼にどこか行きたい所はないか尋ねると、御岩神社に行きたいとの事。
これには私も賛成しました。
以前、彼に御岩神社で授かった水晶の数珠をお守りとして与えたのですが、糸が切れてばらばらになってしまったのです。
彼が某ファミレスに入った瞬間、糸が切れて水晶が飛び散ったそうです。
「糸が擦り切れていたのかも」
この話を電話で私に伝えてきた時、彼はそう言っていました。
が、そんなはずはないのです。
この数珠、神社で授かってから一カ月くらいしかたっていないのです。
「何か良くないものがそこにいたから、きっと数珠が身代わりになってくれたんだよ」
私はそう彼に伝えました。
ファミレスに限らず、人の往来の激しい所は、こういう事もあるのかもしれません。たまたま別の人に憑いていた何者かが、息子と波長があってしまい、宿る相手を乗り換えようと近付いたものの、数珠に宿る御神力にそれを阻まれたのでしょう。
そう考える方が、腑に落ちるような気がします。
こういった背景もあり、私と息子はその時のお礼を兼ねて御岩神社に行く事に決定しました。
その週の日曜日、私は車で彼を迎えに行き、御岩神社に向かいました。
日曜日と言う事もあって、駐車場はいっぱいでしたが、運良く比較的御社に近い所に一つだけ空きがありましたので、何とか車を停めることが出来ました。
鳥居をくぐり、すぐ左手にある祓戸神社で禊の祈りをした後、拝殿に向かいます。
御岩神社は実に百八十八柱もの神々がお祀りされている神聖な場所です。
実際に訪れますと、鳥居をくぐった途端に空気が変わるのを実感します。荘厳な神気に包まれながら、うっそうと茂る杉並木を進みますと、巨大な三本杉が人目を引きます。
また、神社内には阿弥陀如来様がお祭りされていたりと、昔の神仏習合の形態が残されている極めて稀な神社です。
御岩神社が脚光を浴びているのは、それだけではありません。
とある宇宙飛行士が宇宙から地球を見た所、光の柱が見えたとか。その場所が、ここ――御岩山だったという話です。
拝殿にお参りした後、登山道(表参道)入り口そばにある八台龍王様と不動明王様にご挨拶します。
ここにお参りすると、意識が天空に引き上げられるような不思議な感覚にとらわれるのです。
表参道の入り口で一礼後、道を進みます。
地表を根がうねる様に這ったり、急斜面があったりと、変化にとんだ道を楽しみながら進みますと、木々に囲まれた御社――かびれ神宮に到着しました。
この空間は、御岩山の中でも特に荘厳な神気が立ちあがっているのを感じる場所です。
今までにも、ここには一人で何回も訪れているのですが、必ずと言っていい程、ここでぼんやりとリラックスタイムを過ごしています。
かびれ神宮での参拝をすませますと、次は山頂を目指します。
地肌がむき出しになった急傾斜の山道を進みます。途中、山の斜面に並走する道がインターバルとなって呼吸を整えられるので、岩や木の根に足を取られながらも、何とか最後の傾斜道を登り切りました。
木々の間を抜けると、絶景が視界に飛び込んできました。天気が良かったせいか、美しい山並や遠くに見える山の稜線に加え、太平洋までもが綺麗に目に捉えることが出来ました。
その頂上の片隅に、御神体の石柱が祀られています。
以前、私がここに訪れた時、掌大のオレンジ色の光の玉が右から左へと滑る様に移動するのを目撃したことがあります。
宇宙から見えた光の柱は、それよりももっと強烈なものだったのでしょうね。
私と息子はご神体に手を合わせ、参拝しました。
その後、裏参道を通って、写真を撮りながら下山しました。
二本の杉の間に祀られた祠まで来た時、明らかに空気が変ったのを感じました。
より厳粛な気が、そこには満ちていました。
荘厳な神気に圧倒されながらも、携帯のカメラを起動。
動かない。
何回やっても、携帯のカメラのシャッターが下りないのです。
それは、息子も同じでした。
「多分、写真を撮るなってことじゃない? 」
彼はそう落ち着いた口調で私に語り掛けると、携帯電話をズボンのポケットに戻しました。
「そうだな」
私も彼に同意し、祠に参拝しました。勿論、軽はずみにカメラのレンズを向けた事についても謝辞しました。
其の祠から裏参道を挟んで反対側に、もう一つ祠がありました。木々の間に建つそこからは、温和な雰囲気が感じれらえました。
以前、ここで何枚か写真を撮ったのですが、その時、青い光が入り、まるで別次元の世界のような画像が撮れました。
お参りを済ませると、私と息子は残りの道を駆け下りました。
拝殿の脇を抜け、三本杉の辺りまで戻ってきました。
行きに写真を撮らなかったので、何枚か写真を撮ってみたんですが、不思議な光が映り込んだのです。
杉の木を下から見上げる形で撮影したのですが、紫に近い色の光が枝葉の間に輝いていたんです。
それも、私だけでなく、息子の撮った画像にも。
ただ単にカメラのゴーストかも知れません。が、今までに何回かここで同じ様な構図で写真を撮っているのですが、このような光が入ったのは初めてでした。
その後、社務所で水晶の数珠を授かり、息子に与えました。
また彼に何か危険が忍び寄ってきた時、守って下さるでしょう。
息子を仮住まいのウイークリーマンションに送り届け、私は自分のアパート目指して車を走らせました。
しばらくして、携帯から呼び出し音が。
車を運転していましたから、出る事は出来ず、やむなく放置。
何回かコール後、それは途絶えました。
車をコンビニの駐車場に入れて携帯を見ると、息子からでした。
何かあったのでしょうか。忘れ物をしたとか。
慌てて電話を掛け直すと、彼はすぐに電話に出ました。
「何かあったのか? 」
「帰ったら、鏡が割れていた。落ちて割れたんじゃなくて、置いたままの状態で割れていたんだ」
息子の動揺振りが、携帯越しに伝わってきます。
これからそちらに行くと伝え、私は彼の元に車のハンドルを切りました。
彼の部屋を訪れると、蒼褪めた表情で私に鏡を見せてきました。縦が約三十センチ、横が約ニ十センチのスタンド型の鏡でしたが、鏡面に大きく亀裂が入り、見事に割れていました。
床に落ちていたのならまだ分かるが、ちゃんと台の上に立った状態で置かれているにもかかわらず、鏡面が割れていたらしい。
特に霊験あらたかな神社を参拝した後だったので、本人は相当動揺しているようでした。
私は割れた鏡が暗示する意味を彼に話しました。
鏡が割れるというのは、環境や人生が大きく変わる前兆を示しており、特に御岩神社という神聖なパワースポットを訪れた後ですから、良い方向に向かうという意味合いでもあるから気にしないようにと。
私の話を聞き、息子は安心し、落ち着いたようでした。
因みに、割れた鏡は私が持ち帰ることにしました。
その後の彼ですが、無事大学を卒業し、就職も決まりました。
彼の在学中は、丁度コロナ禍の真っ只中で、大学の授業もウェブ講義が多く、直接講師陣から講義を受ける授業が、従来の学生に比べると圧倒的に少ない状況でした。
鏡が割れたのは、そんな鬱々としていた学生生活からの脱却を伝えようとしていたのかもしれません。
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