第2話 不審者でも賊でもありません


「『賢者』の弟子か……」


 魔術国家トートゥルムの王都リシュタにそびえ立つ王城。その一室――『聖騎士』に与えられる、王都を一望できる部屋で、アカツキ=ラーメ=ブラーミアは呟いた。

 昨夜、アカツキの元に『賢者』から魔術の鳥が届いた。それは瞬く間に変化して、一枚のカードになった。そこには一言。


 『弟子を行かせるからいろいろよろしく』。


 簡潔だ。簡潔すぎて何もかもが足りない。


(そもそも、弟子がいるなんて話も初めて聞いたんだが)


 なのでもちろん、人となりなんて知るよしもない。実力なんてもってのほかだ。


(どうせ、予言は『賢者の手助けを得れば』だから、自分が行く必要は無いとかなんとかの理屈で弟子を送り込んでくるんだろうが……。『賢者』が予言の解釈を誤ったことはないとはいえ、これは一波乱起きるぞ)


 というか、もう軽く一波乱起きている。令状を送ったからには『賢者』が来るものだとばかり思っていたとある高官なんて、「僕の代わりに弟子を行かせるね。賢者代理ってことでよろしく~」と『賢者』が王に送った魔術の鳥が告げるのを聞いて、卒倒しそうになっていた。


(まあ、あの高官は若いから、『賢者』の人となりも、王への態度も知らなかったんだろうな)


 他の高官たちは、顔色を悪くしながらも、「『賢者』に弟子ができていたという事実を知らなかった私たちの手落ちですね……」「しかしいつものことながら、『賢者』はあまりに王に気安すぎませんか」などと会話していた。


 ともあれ、わざわざ個別に『いろいろよろしく』なんて送ってきたということは、王都での世話役に任命されたということだろう、と『賢者』と付き合いの長い『聖騎士』・アカツキは考えた。


(俺に預けるということは、男だよな? 部屋は余っているからいいとして、服とか、本人が来てから買いに行った方がいいか? 『賢者』の住む辺境と、王都の流行は違うからな……)


 そんなことを考えながら椅子から立ち上がったアカツキは、次の瞬間、振り向きざまに抜剣して、背後に現れた人物の服を掴み引き倒した。


「ひえっ⁈」


 魔術を使って衝撃を和らげたらしく、人と床がぶつかる音はしなかった。アカツキは油断なく剣でその人物の服――魔術式がふんだんに織り込まれた長いローブを突き刺し、縫い止める。


「ええ……王都の洗礼厳しすぎる……入って一秒でこんな扱いを受けるとは……」


 と、ここに至って、すべてを反射でこなしてしまったアカツキは、賊か侵入者かと思った相手が、あんまりにもなことに気が付いた。

 害意がない――それは殺しを生業にするものであればたまにいるので、それはともかくとして。

 アカツキの行動や威圧に対して、戸惑ってはいるようだが、逆に言えばそれ以外の感情がない。

 そういう反応をする人間は、おおむね二種類に分けられる。アカツキと張る、あるいはアカツキを凌駕する実力者か、ただただ自分の身に頓着しない者だ。そしてこの、あえておとなしく引き倒されているらしきローブの人物は、、とアカツキは判断した。

 フードを目深にかぶっていて、容貌は見えない。抵抗の様子がないので、アカツキは無造作にそれを払った。現れたその姿を見――アカツキは驚愕した。


(『至上の黒』……!?)


 。まずあり得ないその組み合わせに釘付けになる。


「あー……ローブに穴が空いたから認識阻害の術式も忘却の術式も機能してないんだ……」

 『至上の黒』の持ち主は、年端もいかない少女に見えた。

 呆然と動かなくなったアカツキに、どこか諦めたような目をして、溜息をつく。


「まあ、師匠の知り合いなら、知られても悪いようにはならないと思うけど……こんなに驚愕されると、なんだかなぁ」


 少女の言葉に、アカツキはハッと我を取り戻した。


(今、俺のことを『師匠の知り合い』と言った……ということは)


「お前は――、いや、君は、『賢者』の関係者か?」

「あ、やっとそこに辿り着いてもらえました? ご明察です、私は『賢者』の弟子……のような、養い子のような……まあそういう者でして。この度『賢者代理』の立場で王都に滞在することになりました。『先触れの鳥が行ってるから大丈夫だよ』と言われて送り込まれた先でこんな目に遭うとは思いもしませんでしたが……」

「うっ……すまないな。強固な魔術的防護がされているはずの城に、魔術陣も使わず突然現れたものだから、賊か何かかと反射的に」


 未だ『至上の黒』を目にした衝撃から覚めやらないまま、引き倒し押さえつけていた手を放し、アカツキは『賢者』の弟子のローブから剣を引き抜いた。

 上半身だけ起き上がった『賢者』の弟子は、「わあ、見事な切れ目。よかった問答無用で刺されなくて」などとローブの穴を呑気に観察している。


「……送り込んできたのは『賢者』だろうから言っても仕方ないが、城の魔術防護をかいくぐって中に入るのは、こう……いろいろと問題があるからな。今後はやめてくれ」

「はあ。転移座標指定したのは師匠でしたけど、魔術式組んだのは私なので、善処しますね」

「転移魔術式を……君が?」

「? はい、私が組みました」


 アカツキは目を瞬いた。『転移』は魔術の中でも難しく、事前に魔術陣を敷く方法でならば国内に数人できるものがいるが、その場で組む魔術式だけで長距離移動を可能としているのは『賢者』のみ――のはずだった。たった今覆されたが。


「……。君は『賢者』の弟子というが、それを証明するものを持っているか?」

「師匠が『これ見せれば一発だから』って渡してくれたものはありますが……」


 そう言う『賢者』の弟子の目がちょっと泳いだので、アカツキは一体何を持たされたのかと思う。なにせ『賢者』のやることだから予想がつかない。


「ええと……これです」


 やっぱりちょっと目を泳がせながら差し出されたのは、きっと根元からざっくりやったんだろうなというのがよくわかる、美しいけれど切り口がざんばらな銀の髪の三つ編みだった。


「なんか、遺髪か脅迫の材料みたいでいやですよね」


 溜息をつきながら言われた内容に、それもどこかずれているのではと思いつつ、アカツキは別の言葉を口にした。


「これはまた……思い切ったな。魔術研究院が目の色変えて欲しがるぞ」


 人の髪には『魔力』が宿る。『賢者』の髪となると、一本でもそこらの魔術師が使うには十分な魔力が宿っているだろう。

 こうして間近にしているだけで、膨大な魔力の圧を感じる。質からしても、間違いなく『賢者』のものだった。


「ああ、それを見越してのことらしいです」

「?」

「『賄賂だよ、賄賂』って師匠が言ってました。魔術研究院にちょっと用があるので、これをちらつかせて言うことを聞かせるようにって」

「教育に悪い……」


 そう口にして、そういえばこの『賢者』の弟子は何歳なのだろう、と疑問に思う。というかそれ以前に名前も知らないままだった。


「あー……君のことは、俺のところで面倒を見るということに……なるのか?」

「『転移先に世話役がいるから』とは言われていました。不審者でも賊でもありませんので、よろしくお願いしても?」

「それは、……頼まれたからには面倒を見るつもりだったが……君は、女の子だろう」

「はあ。そうですね?」


 それが何か?とでも言い出しそうに首を傾げる『賢者』の弟子に、アカツキは頭痛を覚えた。


「男だと思っていたから引き受けるつもりだったが、女の子となると……。俺にそういう気はないとしても、問題がないか?」

「あ、そういう心配はご無用です。性的対象に見られないための術式くらい組めます」

「いや、そういう問題じゃなくてな……」

「外聞の心配でしたら、常時展開式の認識阻害と忘却の魔術式組むので大丈夫ですよ?」

「いや、そういう問題でも……」

「さっきは私の方に誤解はなかったので反撃しませんでしたが、あなたくらいなら相打ちにできますし……。師匠があなたを選んだということは、私はあなたの元に身を寄せるのが一番よいということなので、どうにか折れていただきたいのですが」


 その、まっすぐで、固い意志を感じる瞳に、アカツキは折れた。折れざるを得なかった。

 国で最高峰の戦力の『聖騎士』を前にして気負いなく『相打ちにできる』とまで言われたら、折れるしかない。


(野放しにするわけにもいかないものな……)


 『賢者』の弟子というだけで価値が計り知れないのに、そのうえ『至上の黒』を持っている。よろしくと言われてしまったからには、面倒を見るしかないのだろう。いろいろと、問題があるような気はするが。


(まあ、誰彼構わず欲情するほど困ってはいないはずだ、俺は)


 そうして思考にキリをつけて、圧の強い無表情で訴えてくる『賢者』の弟子に両手をあげた。


「わかった、わかった。よろしくと言われてしまったからな。ここで引き受けないと後がこわい」

「……!」


 わかりやすく目を輝かせた『賢者』の弟子に、幼い子を前にしたような心地になって、アカツキはその頭にぽんと手を載せて、撫でた。完全に無意識だった。

 固まった『賢者』の弟子を見て、やってしまったことに気づき、慌ててまた両手をあげる。


「す、すまない、不用意に触れて」

「……いえ、驚きましたけど……お兄ちゃんがよく撫でてくれたのを思い出して、ちょっと懐かしかったので、大丈夫です」


 その言葉に、『賢者』の弟子には兄がいるのだな、と思う。その兄は、家族は、今――。

 逸れそうになった思考を振り払って、アカツキは『賢者』の弟子に向き直った。


「その……とりあえず。名前くらいは教えてもらえないだろうか?」

「ああ! すみません、長らく名乗るなんて機会が無かったのでうっかりしていました。アマネ=アステールといいます。アマネと呼んでください」

「俺はアカツキ=ラーメ=ブラーミア。アカツキでいい」

「アカツキさんですね。これからよろしくお願いします」


 微笑んだその瞳も、手を差し出されるときに揺れた髪の色も、


 『至上の黒』――それは『天の恩寵』と称される、特別な者のしるし。

 天が与えたもうた、異世界からのまれびとは、みな、髪と瞳に黒を持つという。


 その伝承を思い返しながら、アカツキは差し出された手を握り返したのだった。


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