第5話 二人の夜間飛行
*
星も月も隠された夜空。
周りの風景など見えやしない。
ただ、コンパスと高度計だけを頼りに、闇と闇の間を縫うように飛行機は進む。
「これは、どこまで行くの?」
「山を越えて、明け方にはパレシアまで」
パレシアというのは、山を越えた先にある大きな街だった。
「一晩で行けるの……?」
信じられないと困惑するポーラ。
蒸気機関車なら山を迂回するため3日はかかる。
「飛行機なら直線ルートで行けるからな。
明け方まで到着する予定だが、しなかったら、その辺に落ちる」
「え?」
「燃料がその分しかない」
「天候が悪くて、遅れたらどうするの?」
「運が良ければ不時着して、罰金てところだな」
到着時刻が遅れれば、給料から引かれる。
荷を見失えば、罰金では済まない。
その時は、命もないだろうが……。
「運がよくて?」
「悪ければ、地面や山肌にぶつかって終わりだ」
それも、機体が炎上するような落ち方はできない。
自分が死んでも荷は守る。
荷さえ守れば、捜索が出て役目を引き継いでくれる。
厳しいようだが、それがアルテルたち郵便飛行士の鉄則だった。
「どうして、こんな危険な仕事を……」
自分の命より、荷物が大切であると言い切るアルテルにポーラは驚きを隠せない。
「どうしてだろう、金がいいからな」
はじめたのは、それだけの理由だ。
アルテルができることで、一番金の稼げる仕事がこれだった。
「命より、お金が大事なの?」
ポーラからのその問いは、何度となく村人に言われたものだが彼女から改めて聞かれると苦しくなる。
しかし、表情は変えずに、繰り返してきた答えを言う。
「ああ、そうだ。俺の命が金になるなら、それでいい」
誤解されてもかまわない。自分の命より、ポーラの命が大切だなど口が裂けても言えなかった。
偽善めいて聞こえるだけでなく、言えばきっとポーラを傷つけてしまうと分かっていたから。
「お金、お金って。贅沢なんかしてないじゃない……。牧童の時と生活は変わらないのに」
「そうだな。代わり映えしないな。お土産も一つ覚えのチョコじゃ飽きるよな。たまには絹のスカーフとか、布地の方がいいか?」
どうして今まで思い浮かばなかったのかと、彼は苦笑しながら額を掻く。
「そうじゃなくて! 心配しているの……」
ポーラの声は、震えていた。
アルテルがポーラを失うかもしれないと感じたように、ポーラもまたアルテルを失うかもとしれないと考え心が揺らいだ。
「まあ、俺は大事な荷を運んでいるんだ。そう簡単には死なないさ。荷を守る落ち方は、命を守る落ち方でもあるからな」
「落ちる、落ちるって何度も言わないで。怖いじゃない」
「高いところ、ダメだったか?」
からかうわけではないが、ポーラの苦手なものを知り意外に思う。
アルテルの苦手な幽霊も、算数もポーラの敵ではなかったからだ。
「こんなに高かったら誰だって怖いわ」
「俺は、このくらい高くなると平気だ」
今は、暗闇のため眼下の景色は見えないが、日の光のもと飛べばどこまでも続くドラゴンの背のような山並みや、麦畑のパッチワーク。
自分の家やポーラの教会が人形あそびの道具にしか見えないくらいの高さになると、もう怖さは感じない。
「そうなの? 子供のころは、苦手だったじゃない? ほら、小鳥を巣にもどそうとして……」
ポーラが言おうとしているのは、あまり思い出して欲しくない子供の頃の出来事だった。
*
あれは、良く晴れた春の日のことだった。
ふわりとしたコットンのような雲が浮かび、ゆるやかに花の香りがする風が吹いていた。
アルテルが、羊を小屋に入れ誰もいない家に戻ると、なぜかその日は客がいた。
教会の裏の林で、鳥のひなが落ちているのを見つけたポーラが、アルテルの家で待っていた。
「小鳥が巣から落ちて、戻してやりたいのだけど……私、木登りできないから……」
「ああ、わかったよ! 返してきてやる」
「ありがとう!」
そういってポーラがひなを拾ったという場所に行くと、アルテルの予想よりはるかに高い木があった。
いまさら高くて無理だとは言えず、雛の入った籠を首から下げ、黙って樫の木にしがみつき登り始める。
「アル? どうしたの?」
「なんでもない」
雛を無事に巣に返したものの、足がすくみ降りることができない。
「うそ。降りられないの? お父さんを呼んで来る」
下を向くと遥かかなたにポーラが小さく見え、目の前の緑がぐるぐると回る。
「うわぁぁ!」
落ちる瞬間に心配そうに駆けよるポーラの姿が目に映った。
ポーラは無謀にもアルテルを受け止めようと手を伸ばし、このとき大怪我をした。
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