第11話 エンジントラブル
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――― ガンッ!
アルテルが、ポーラに話しかけようとしたとき、突然、飛行機の機体が数メートル垂直に降下した。
ガッガッと、耳障りな音を立てながらプロペラが息切れしたように回っている。
「どうしたの?」
ポーラの不安そうな呼びかけに答える余裕もなく、アルテルは慌ただしくいくつもの計器類を確認する。
エンジンの回転速度が上がったり下がったりを繰り返している。
試しにスロットルレバーを押しエンジンの回転数を上げようとするが、手ごたえを感じられず、かわりにプロペラが嫌な音をたてただけだった。
エンジンの動きがおかしい。
今日に限って、いったいどうしたって言うんだ?
わかるのは、このままエンジンの回転数が落ちれば失速し墜落するだろうということだ。
スロットルをノッキングする前の位置に戻し、一呼吸付く。
失速限界の速度しか出ていない。
このままの状態で目的地までいけるだろうか?
だましだましでも、到着すればいい。
しかし、エンジンが原因であるならば時間がたつにつれて、それはどんどん悪い方向に進んでいる。
いつ止まるともわからない状態ならばどこかへ不時着したいところだか、山越えのルートに休憩地点など存在しない。
もうひと山越える為には、どうしてもエンジンの機能を回復しなければならない。
そう思ったとき、アルテルははじめて自分の死というものを意識した。
*
「ポーラ、帰ってくれ……」
操縦桿を握る手が震えた。
「それが、どういう意味かわかっているの?」
わかっている。わかっているが、ポーラにだけは情けない姿を見せたくない。
「頼む……」
いつもどおりに飛行機に乗り込んだときは、ポーラのことが頭をよぎり発作的に機体を傾けわざと山へ落ちようとしたが、自分から進んで選ぶことと望まない状況で死に追いやられることはこれほど違うものか。
飛行機に乗ったまま消息を絶った父もこんな風に感じたのだろか。
病気で死んだ母も。
そして、今、病床にいるはずのポーラもこんな怖さと戦っているのだろうか。
――― まだ、やり残したことがある。まだ、伝えてない。
二人の間に沈黙が流れる。
その後ろで、胸をかきむしるようなエンジンの異音は響き続けていた。
「アルは、いつもカッコつけてばかり。私はなんの力もなくて、そばにいることくらいしかできないんだから、情けない姿を見せてくれていいのよ」
「この飛行機は、落ちる……」
アルテルは、うなだれながらポツリとつぶやいた。
「もう、いいんだ。俺なんか、死んでも誰も悲しみやしない」
「諦めないで! そんなわけないでしょ!」
「お前もいないのに、この先どうやって生きればいい? ちょうどいい終止符だ」
アルテルは、この状況を承諾できる理由を必死で探そうとしている。
「そんな言い方ずるいわ。だって、アルは私を残してここにいるじゃない! 私がいてもいなくても、大丈夫でしょ!」
ポーラは、わけがわからないとばかりにアルテルを問いただす。
「お前を見捨てたと思っているのなら、それは違う」
アルテルは、ポーラへ本心を口にする。
「俺は、逃げたんだ……お前が死ぬかもしれないという現実から、逃れたかった」
飛行機は、垂直降下上昇をくり返しながらも、機首を操作することでかろうじて高度を保っていた。
「怖かったんだ。お前を失うことが。お前を失ったら飛んでいる意味すらない」
「どういう意味?」
「それは……」
口ごもるアルテルを見て、ポーラは自分に知らせたくないことだと悟った。
ポーラの父も、アルテルの仕事の話になるとしばし口をつぐんだことを思い出したのだ。
「もしかして、私のために飛行機に? 危ない仕事をしているというの?」
彼女は、先程の会話を思い返した。
―――『どうしてだろう、金がいいからな』
―――『お金、お金って。だって、そんな贅沢してないじゃない……』
生活するだけのお金しか必要ないアルテルが、なぜ飛行機乗りになったのか。
父と同じ道を歩むつもりはないと、あんなにポーラに語っていたのに。
アルテルは、お金が必要だった。
なんのために?
「私の薬代……」
呆然とするポーラに、アルテルは静かに息を吐いたあと返事をする。
「最初はそれだけのつもりだったが、今はそうは思ってない。ポーラが俺を飛行機へ導いたんではなく、飛行機が俺を選んだ。飛行機に乗ったのはたぶん運命なんだろう。いろいろ分かったことがある。親父の気持ちとか、自分の気持ち。仲間や誇りも得た……。だから、これで命を落としても心残りはない」
アルテルは、これでいいのだと肩から力を抜き目を閉じた。
「アルは、私の誇りで希望なの、だからあ諦めないで!」
「だが、もうダメだ。頼むから、こんな俺の最後を見ないでほしい」
「どうして、辛い時に一人になろうとするの? 大きな荷物も二人で持てばいいじゃない」
ポーラはそう言って、笑った。
自分がどうしてここにいるのか、本当の役割がわかった気がしたのだ。
「アルテル、あなたのことが大好きなの……これからもずっと。だから帰ってきて。
いつものように、はにかんだ笑顔を私に見せて、それだけで私は幸せなの。
死なないで!
私は、あなたが帰ってくるのを待ってる。
ちゃんとおかえりなさいって言ってあげる。
なによ、あと4.5年くらいなら生きて見せるわよ。
だから諦めないで、生きることを放棄しないで、
そんなの私が許さない!」
アルテルは、暗闇の中で見えた気がした。
目指していた北の星。
「ポーラ……」
その星は、心の真ん中でいつも不動の位置を占める。
見失ったと思っていた。
どこに行けばいいのかわからない。
このまま永遠に失ってしまうのだと。
しかし、それはとても身近にあった。
目で見えなくとも、そのぬくもりはいつでも自分を包んでくれていた。
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