花顔男の妻

晴れ時々雨

🌸

有村さんに私の夫が俳優の何とかさんに似てると言われたからテレビで確かめてみてへぇと思った。パパったらこんな顔もしてるの。知り合ったときから夫の顔が私には花にしか見えない。それにしてもやっぱり有村さんの感覚ってちょっと変わってる。あの俳優似だなんて初めて言われた。まぁ一面てことか。

でも考えているうちに面白くなくなってきた。今まで何回かそういう話題になったときに、夫に似ているという人や物の大まかな系統は何となく共通していたから安心していたところはある。妻である私が見たことのない夫の顔はおおよそこんなものだという近似値を得ていたつもりだった。ところが有村さんが指した俳優には特徴的な部分がかなりはっきり顕れていた。頬にホクロのある人だったのだ。

けれど有村さんはそのホクロのことについて特に触れたわけではなかった。でもその俳優といえばまずホクロを思い浮かべる。誰も何も言わないけれど、私の夫にはきちんとしたホクロがあるのかもしれない。41年かそこら、本人以外、特別気もしないような自然な佇まいで顔のどこかにひっそりくっきりと、いる。

寝る前に歯を磨きながら何気なく尋ねてみようか。

「あなたってホクロある?」

ばかげた質問だ。口の中を歯ブラシでかき回していたおかげでよく聞き取れなかったようなので、なんでもないと話を逸らしておこう。


夫とは知り合いの紹介で出会った。23のときだ。友人を介しているとはいえ初めて会う人との食事会に期待と緊張をして早めに待ち合わせのお店に着いた私は、友人とその彼氏と目的の男を待った。するとウインドウ席に面する通りの向こうからすごい勢いで不審者がやってくるのが見えた。ベージュと紺の品の良いコントラストに身を包んだ花束がこちらに目掛けてくる。思わず椅子から立ち上がりそうになるがこらえた。

あれなに?と友人に声を掛けようとするや否やその花束人間は私たちのいる店に滑り込んできた。私は何度も目をしばたたかせた。しかしどうやら現実のようだった。それにその現象に誰も言及しない。私は焦りながら空間認識力を最大に高め、自分がどう振る舞えばこの場にそぐわない行動をせずに済むか考え、とりあえずそういうものだということにした。今振り返ると、彼が頭部に花を咲かせている現実を常識と捉えるなら、私は相当失礼な態度をとったことになる。とにかくその部分を何度もかなりの時間に渡り不審な眼差しで見つめていたからだ。しかし彼は普通に喋るしちゃんとしたマナーで食事もした。彼の首の花は趣味の良いフローリストの作る花束そのもので、初対面の日は赤茶色っぽくて丸い花が数種類咲いていた。花束の擬人となると、表情や感情によって花が動くシチュエーションが想像されるに難くないと思うけれど、花は普通に花で、彼が笑ったからといって花が柔らかくしなるとか全くなかった。

その日のあと、私は精神科の予約を取った。想像しうるものを疑った結果だ。私は彼と本格的に付き合いたいと思った。


本当の意味で、彼と行うことが全部初体験だった。それはいつか来たるべきスケジュールの一部だったとしても、なんだか唯一無二なもののように感じられて嬉しかった。他人から私たちはどう見えているのか不安もあった。慣れないうちは自分の態度が変じゃないかちょっと気になったものだ。

彼のその花はどういう趣きかわからないが、2、3日同じこともあれば日毎に変わることもある。思いがけずエレガントな品種が揃うと、匂いなのか、自分でも未掌握だった衝動が目覚め彼を軽く混乱させるのに成功した。彼が我を忘れて散らす花びらを下から眺め、こんな思いをするのはこの世で自分たった一人なのだと確信する瞬間は喩えようのない悦びを私に与えた。

けれど独り相撲のようにも思えた。彼が夫となっても花のことを尋ねはしなかった。私たちの謎を解明してしまう答えを知ってしまってはいけない。それ以外は、私が知りたいと思う彼のことを全て把握していると思う。浅はかだと笑うがいいわ。妻が何もかも知ってるつもりになっているだなんて。でもね、夫が隠しておくべきだと判断したことを深掘りするような女は妻をやめた方がいいというのが私の持論よ。でもこの暗黙の事実は秘密なのかしら。

そうでないなら、何十年も一緒にいて一番知りたい事をずっと見逃しているっていうのに、最近知り合った有村さんの何気ない感想から表面化した新事実で、独り相撲のまわしが化粧まわしに昇格したような不安を感じるのよ。

(ねえあなたにはホクロがあるのでしょうか)

君の目は凄い、僕を見る君の視線には特別な力がある。そう夫は言う。でしょうね。特殊能力は多分ないわね、結局微塵も看破できていないもの。だけど私ほど彼を見つめた人間はいないはずだから凄くしつこいことについては自信がある。とりあえず、もう一度有村さんを呼んで話しをしなくちゃ。長年開かなかった宝箱の鍵が合うかもしれないチャンスだってことに間違いはない。彼女には夫がどう視えているか、気取られずに探ってみるのがいいと思う。

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