第8話 うおおおお、猫パンチ


 

 男の額から、斜め上へと向かってそそりたつ一本角。

 その角のねじれはまるでコイツの邪悪さと強さを表しているようであり、俺は反論の言葉が引っ込んでしまう。

 

 こいつには勝てない。

 会話すらしてもらえなさそうだし、一発ストレートで死んでしまう自信がある。


 【具現者】の殺意というのはそういうものだ。


「なんか言えよ、うぜーな」


 ギロリとした視線が俺をロックオンした。


「黙ってんならさっさと消えろやッ!!」


 男の右足が後方へと振り上げられた。


(来るッ…!)


 俺は咄嗟に、コテツに覆いかぶさるようにして丸まった。

 潰してしまわないように腕と腹に力を込めて。

 これから来る衝撃に備えて。


 

 そして次の瞬間、俺を襲ったのはわき腹の強烈な痛み。

 貫くような激痛が全身を痺れさせた。


「ぐああァっ!!」


 喉をかき鳴らし、体勢を崩しかけるが、しかしコテツだけは守ろうとグッとうずくまる。


 不良男は一発だけでは飽き足らないようで、そのあともガンッ、ガンッ、と俺の全身に猛烈な一撃をお見舞いし続けた。


 歯を食いしばって耐えようとするが、しかし痛いものは痛い。

 頭がチカチカと明滅し、意識がだんだんと遠のいていった。


 だが、ここで気を失うわけにはいかない。

 おちおち寝ていたら、そのまま死んで、あの少女も悲惨な末路になる。

 …このまま耐えていてもそうなりそうだが、しかし意識を飛ばすのは駄目だ。


 ぐらつく思考で奮起し、うずくまったまま大きく深呼吸する。

 コテツのお日様のような匂いに肺が満たされる。


 俺はそのままぐっと息を止めた。

 衝撃で肺の中の空気が全部押し出されるのではないかと思ったからだ。

 歯を食いしばって次の一撃を耐える。



 アドレナリンなのか死に近づいているのかわからないが、だんだんと痛みも薄れてきた。

 もはや衝撃すらも感じられなくなる。神経か脳のどちらかが壊れてしまったのだろうか。


 自分でも呑気だなと思うが、そんなことを考えていると不意に攻撃は止んだ。


「なァ、もう食っちまっていいよなァ?」

「そんなヤツどっかに捨て置けよ」


 後ろの方でそんな声が聞こえてきた。


 鼻息混じりで気持ちの悪い声。

 下卑た表情を浮かべているだろうことは、見ずともわかる。

 

「チッ…そうだな。もう動かなくなっちまったし」


 舌打ちしながらそう言って、俺を蹴り殺さんばかりだったリーダー格は、だんだんと遠ざかっていく。


 くそ…動かなきゃなのに、体が強張って動かない。

 痛みなのか、恐れなのか、その原因はわからないけれど…俺はうずくまった状態から元に戻ることができないでいた。


「ニャぁッ」


 コテツが一鳴きした。

 目はキュッと瞑ってしまっているのでどのような様子なのかは確認できない。

 …心配、してくれているのだろうか。


 と、束の間に考えていると。


「ッ…!」


 頬に痛烈な痛みを感じて、パッと視界が開く。


 俺の丸まる間の空間には、不機嫌そうな表情でこちらを見つめるコテツの姿があった。

 追ってジ~ンと感じられる頬の痛み…この様子だと、どうやら俺は引っ掻かれてしまったらしい。


「ニャ"ァ"」


 コテツが獰猛に鳴いた。

 先ほどぶりのそんな態度だが、しかしいざ自分に向けられるとちょっと怖いし、ちょっと傷つく。


 …でも、そうだよな。

 俺はひとり、合点した。


 コテツは怒っているのかもしれない。


 少女を助けられず、こんなところでボコボコにされて丸まっているばかり。

 よく考えると滑稽なモノである。


 しかし…、もし本当に怒っているなら手厳しいなぁ、とも思う。

 こんな俺がアイツらに立ち向かうなんて…とつい後ろ向きになってしまうが…


 でもやれるだけやってみるよ。



 心の中でコテツにそう語りながら、俺は体を起こした。


 …痛みはない。

 わき腹辺りなんてぐしゃぐしゃになっているのではないかと思っていたが、案外ツルツルがりがりボディは健在でいた。


 アドレナリンが最高潮に達しているのか、なんだか全能感すら感じられる。


 …これなら、まだやれることはある。


「嫌…、嫌っ。やめて…お願いっ」


 悲痛な少女の声が聞こえてきた。

 急いでそちらに視線を向けると、


「へへっ、こんなウマそうな奴を前に、お預けするほうが酷ってもんだぜ」

「ゆっくりおいしくいただくからよォ」


 案の定、醜悪に顔を歪める男たち。

 少女を抑えつけて、下卑た笑みを浮かべていた。


 …しかしその様子は、なんだかおかしい。

 いやまぁアイツらの行動自体おかしなものなんだけど…


 禍々しく鋭い牙を見せながら、鼻息を荒くしたり、涎をだらだらと垂らしていたり、舌なめずりをしたり…

 てっきり少女に暴行を加えるのかと思っていたが、なんというかアイツらの態度はソレとは違う気がする。


 性欲というよりは…食欲?


「腕からか?足からか?」

「ここは豪快に頭からだろ」


 男たちはそんな会話を繰り広げた。


(…もしかして、本当に“食う”気なのかッ?!)


 人を食べるって、どんな犯罪者だよ…と思ったが、しかしアイツらは【具現者】。

 なんの能力を授かっているのかわからないけれど、食人してしまうようなとんでもないモノなのかもしれない。


 …いや、そんなことに驚いている暇はなかった。

 


「どっからでもいいだろ、もう我慢ならねぇ」


 仕様もないことを…とでも言わんばかりのリーダー格が、他二人を押しのけて少女の腕を掴んだ。


 途端、ばっくりと顎が外れて大口が開き、少女のいたいけな真っ白い腕が吸い込まれようとした。


「……ィッ」


 少女は、もはや声にもならない悲鳴を漏らす。

 目じりには涙がたまっており、恐怖で顔面も蒼白だった。


 何もかもに絶望したような表情。



「やめろオオオッ!!」


 気が付けば俺は地面を蹴り、声の限りに叫んでいた。


 突然の咆哮に、男たちの視線が少女からこちらへと移る。

 動いたのは視線だけだったが、びっくりしたように目を剥いているのがわかった。


 ぐっと歯を食いしばり、ありったけに拳を固める。


 一般人では【具現者】に勝てない。

 でも、そんなことを念頭に置けるはずもない状況だ。


 とにかくこいつらを少女から引きはがさなければならない…、そんな思いで脳はいっぱいになっているので止まることはしなかった。

 

 それになんだか…今なら気がするんだ。



 呆けている、口をあんぐりさせた男へ向かって


「はぁ?おまえ何で──────ヒゲァッ」



 バキャッン!!という痛々しい音と共に、俺の拳はリーダーの男の顔面にめり込む。

 

「アアアアアアアアアッッ!!」


 何が起きているのかはっきりと認識しないで、助走の加速を持ったままに拳を振りぬく。

 めり込んでいた男の顔面は、その動きのままにヒュォッという風切り音と共に吹っ飛ばされ、ドゴッという衝突音を持って前方の壁に激突した。


 壁には大きな亀裂とクレーターが出来上がり、男はずるりと項垂れるように地面へ倒れ伏す。


「はっ、なっ……お前ッ!!」


 いち早く状況を理解した男の一方が、こちらへと殴り掛かり……いや、噛みつきにかかってくる。


 バックリと顎が開き、深淵ともいえる口内が垣間見えたのも束の間、奴は俺の手を…手から肘にかけた部分をバクンッと食いついた。


「っ!らあああああ!!」


 衝撃的な光景に思わずぎょっとしてしまったが、俺は構わずに噛みついた腕を振り回した。

 男の体が弧を描くように宙を回転する。


 しかし見上げた咬合力をしているようで、俺の腕を離れない。


 まぁそれはそれで悪手というモノで、俺はそのままもう一方、呆然としている男へと向かってその腕を振り下ろした。


「っ、えっ、ちょっ」


 振り下ろされる男の影に入って、ようやくそいつは我に返るがもう遅い。


「ドラアアアアアアアアアッッ!!!」

 

 ありったけの全力で、地面に叩きつけた。


「ガッ」

「キ"ぁ"」


 消えかかるような声が男たちから漏れ出る。


 刹那、ぶるぶると世界が振動し、小刻みに視界が揺れた。


 バキバキバキッという妙な音を立てて、男を叩きつけたアスファルトに亀裂が走る。

 ついには亀裂と亀裂が結びついて、大きな裂け目となって下の地面を晒しあげた。

 

 遅れたように、空気の層が何層にも渡ってできあがり、そしてそれは衝撃波と化す。


 路地裏という狭い場所であることもあって、強烈な突風が巻き起こり、バサバサと周りに落ちていたものが一斉に空へと舞った。




 その嵐とも見紛える風が止んだ時。

 下卑た笑みを浮かべて文字通り少女を喰らおうとしていた男たちの姿はない。


 周りにはだらんと力なく白目を剥いて倒れる男らの姿しかなかった。



 いわゆる興奮状態がだんだんと抜けて、周りの状況が広く見えるようになる。


 視界に入ってきた光景を見て、俺は深呼吸した後にポツリとつぶやいた。



「…いや、何事?」

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