第4話取引①

翌日……

犯人が身の代金の引き渡しを指定した新宿駅周辺では、一般人になりすました大勢の私服警官が、人混みに紛れ込んで厳重な警戒体制をかためていた。まもなく、犯人からの指定があった正午12時になろうとしていた……山下刑事は、大きなジュラルミン製のトランクを抱えた羽毛田から目を離す事なく、その周囲に不審な人物がいないかどうか注意をはらっていた。


「これだけ人が多いと、誰もかれもが怪しく見えるな……犯人は、で連絡してくると言ったが……」


その日の朝方、藪製薬に発送先不明の小包が届けられた。その中には、一台のスマートフォンが入っており、それと一緒に『身の代金の受け渡しの連絡は、その携帯を使って行う』という内容が印刷されたメモがあった。そのスマートフォンは勿論、架空名義の物で、指紋や材料の特徴といった犯人の手掛かりになるものは見つかっていない。その携帯をポケットに忍ばせ、羽毛田は新宿の駅前に立って犯人からの連絡を待っていた。


まもなく、時計の針は約束の正午12時を指した。それと同時に、羽毛田の持っていたスマートフォンから突然、最近人気の上がってきた“アキバ系萌えアイドル”の歌が大音量で流れ出した!


「うわあ~っ!!なんだこの恥ずかしい着メロは!」


羽毛田は、顔を真っ赤にしながら慌ててスマホの着信ボタンを押して電話に出た。


「もしもし!お前が犯人か?」

『偉い、偉い、ちゃんと約束通りに来たみたいだね』


電話の向こうの声は、男の声だった。音声を変えていないのは、警察が声紋などを調べても自分は捕まったりしないという自信があるのか……その喋り方にも、なにか人を小馬鹿にした様な大胆不敵な様子が感じられた。


「おい!お前いったい、どこに居るんだ!」

『俺かい?俺なら、アンタからよく見える所にちゃんと居るよ。』


羽毛田が付けている盗聴マイクの音声を聞いていた、山下の顔がこわばった。


「犯人は近くに居るぞ!怪しい人間はいないか?」


しかし、これだけの人の数である……犯人を特定するのは、到底不可能だ。


「見える所に居るって、これだけ人が多くちゃわからねぇだろ。何か特徴を言えよ!」


羽毛田がそう言うと、犯人が答えた。


『そうだなぁ……髪型は、オールバック、サングラスを掛けていて、背はあまり高くなく、今日はスーツを着ているよ。』


羽毛田を通じて犯人の音声を聞いていた山下は、犯人の言葉をそのまま方々に散らばっている捜査員に無線で伝えた。


「よし!これでずいぶん的が絞れるぞ!サングラスにオールバックの男だ!すぐに見つけ出せ!」


山下の指示に従い、方々に散った私服警官が、慌ただしく動き出した。



「確か、さっき見たような気がする。」

「そんな男、さっきどこかに居たぞ。」

「どこだっけな…さっき見たぞ?」


私服警官達は、口々にそう言いながらあたりをキョロキョロと見回した。

羽毛田も、同じ事を感じていた……確かについ先程、そんな特徴の男を見たような気がする。


「どこだっけな……確かにそういう奴が居たんだよな……」


それから、5分が経過した頃……


「あっ!!!!」


ほぼ同時に、羽毛田と山下、そして私服警官達が思い出した様に叫んだ!


「バカヤロウ!それは今、大型ビジョンに映ってる“タモリ”じゃね~か!」


ちょうど羽毛田の位置からは赤い色をした生ビールの缶を旨そうに傾けるタモリの姿が大型ビジョンに映し出されていた。なぜこの場所にタモリの印象が深く刻まれているのかと思えば、昔は毎日この時間になれば、この場所で『笑っていいとも』を観る事が出来たからなのだろう。


『よく分かったね。髪切った?』

「うるせえ!んだよ!!」


すっかり犯人におちょくられてしまった羽毛田だが、今はそんな事に腹を立てている場合では無い。


「おい!金ならここにちゃんとある。早く取引に応じろ!」

『いやあ、こっちもそうしたいのはやまやまなんだけどね……どうも私服警官がウヨウヨいるみたいだしなぁ~』


私服警官の事は、羽毛田には知らされていなかった。しかし、犯人はその僅かな気配をしっかりと感じていたようだ。


「なにぃ~!そんなに連れて来たのかよ!ヤマさん?」


羽毛田の、周りに聞こえる程の大きな声に、山下は思わず舌打ちをした。


「バカ……声がデカイよ……(汗)」


出来る事なら、人質も身の代金も無事に取り戻したい藪製薬。

とにかく犯人を捕まえ、人質を保護したい警察。それに比べ羽毛田は、身の代金や犯人逮捕などどうでもよかった。とにかく人質の鶴田教授を無事に救出し、発毛剤ノビールを完成してもらえれば良いのだ。


「おい!捕まえたりしねえからさ!早く金を受け取ってくれよ。」

『いやあそれはちょっと信じられないな~』


私服警官の存在を犯人に知られてしまった以上、この場での取引は限りなく不可能に近くなった……時と場所を改めるか、場合によっては人質に危害が加えられないとも限らない。


「クソッ……ちょっと待ってろ!」


どうしてもこの場で取引を成功させたい羽毛田は、このあととんでもない行動に出た!


「ああぁぁ~~っ!

何やってんだぁ~あの探偵はぁ~~っ!!」


羽毛田は、襟元についた無線マイクを投げ捨てて、トランクを抱えたまま全速力で逃げ出した!


「おい!探偵が逃げたぞ!直ちに捕まえろ!」


それぞれの私服警官は、慌てて羽毛田の後を追った。


「待てぇぇ~!」

「チクショウ…こんなに警官がいたのか!……こうなったら……」


羽毛田は、走りながらトランクの蓋を少し開け、ギッシリ詰まった新しい札束を、三束ほど掴んで取り出した。


「ほらっ!ご通行中のヤロウ共!

カネまくから、みんなで拾え~~」


人でごった返した平日の新宿駅で、何百という福沢諭吉が、まるで桜吹雪のように風に乗ってひらひらと舞い上がった。


「うわああっカネだあ~~」


街行く人々は、我を忘れ狂ったようにカネを拾い集めた!紙幣を取り合い、醜く殴り合いをする者や人混みに押し潰されそうになる者……新宿駅は大パニックになった。

その様子を見ていた山下は、悲痛な表情で頭を抱えながら、無線で状況を聞く。


「探偵はどっちに逃げた?誰か追っているのか?

…おい!……

…おい……

…ぉ~ぃ……」


『わ~~いカネだあ~』

「テメェら!一緒になって拾ってんじゃね~よ!」


その騒ぎに紛れて、羽毛田の姿はどこかに消えていった。








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