#4
彼女に案内されるがまま辿り着いたのは、格式の高そうなレストランだった。
彼女の招待とはいえ初めて食べに行くお店で、仮初にも女性に支払わせるのは勿論気が引ける。しかし相手がこんな高級店では、僕の安月給で無事に支払いができるのか軽く恐怖を味わいながら入店する羽目になった。
そんな事は露知らず、彼女は嬉しそうに「ここのお店、美味しいんですよ!」と張り切ってレストランの扉を開く。
「いらっしゃいませ」
いつも僕が行く居酒屋では考えられないほど落ち着いたボーイの良い声に迎え入れられ、一人だけ場違いな空気を纏う僕は気圧されるように二、三歩後退りする。
慣れた様子の彼女はボーイに「予約の者です」とだけ伝えると、感じのいい笑顔を浮かべたボーイは「ご案内致します」と待ち時間を作る事なくそのまま席に案内した。
優雅な彼女とボーイの様子はとてもお似合いで、遠くで見ているとフランス映画のワンシーンを見ている気分さえする。それに対して僕はといえば、終始仕事で培った営業スマイルを顔に張り付けるのが精一杯だ。
「あのさ……何で僕をここへ誘ったの?」
居心地がとてつもなく悪い良質な椅子に座りながら、向かい合って座る彼女に僕はある種の勇気を振り絞って尋ねる。
「何でって……もっとちゃんとお話ししたかったから、ですね」
小っ恥ずかしい事を平然と言ってのけた彼女は僕を逃すまいとでもいう様に視線を絡ませてくる。ここまでグイグイ来るタイプは初めてだ……なんて、どこか現実離れした思考回路のまま、僕は頭を掻いて纏まらない言葉を探す。
「そういうのって、好きな人とかにするんじゃないの、普通」
「はぁ……意外と鈍感なんですね。……まさに意中の人に猛アタック中なんですが」
「なぁっ?!」
やれやれと眉を顰めた彼女は思いのほか人間味に溢れていた。どこか住む世界が違う人の様な気がしていた僕は何だか急に親近感が湧いて、彼女の言葉に驚きつつも、いつもの上品さとは不釣り合いな表情に注視する。
「あんまり見ないで下さい、穴が空きそうです」
恥ずかしいのか、少し僕から目を背けた彼女はむくれた子供のように拗ねて見せる。
僕はドギマギしていた。
まさか彼女がこんな顔をするとは思いもよらなかった……まさに青天の霹靂である。
「ごめん……あの、何で僕なの?ほら、会社にもっと良い人いるし、君みたいに素敵な人なら、いくらでも当てがあるんじゃ……」
「素敵って……それ、ベタ褒めって言うんですよ?」
つい口から滑り出た本音を拾っては揶揄う彼女は、僕の知っている彼女のイメージを軽々と塗り替えてゆく。
ぐうの音も出ない僕を一頻り笑った彼女は「すみません、揶揄い過ぎちゃいましたね」と眉を下げて微笑むと、こほんと小さく咳払いをして僕に向き直った。
「一目惚れだったんです、最初にデスクで見かけた時から。何と言うか……目立たなくって、地味で、ありふれたヘタレ……そうそう、道端の石みたいな感じですね」
「それ、全然褒めてないし」
「まぁ確かにそうですけど……それなのに何故か一際目を惹かれたんです。ほら、今だっていつもからは想像もつかないほど、色んな仕草や表情を私に見せてくれる」
まだアルコールは入っていないのに、彼女の頬は色付いていた。
僕はと言えばさっき迄のディスりからの衝撃告白ジェットコースターに翻弄され、同じくアルコールに侵されていない筈の思考回路が早々にショートしている。
「先輩って、ラブラドライトみたいですよね……パッと見はただの平坦な石なのに、角度を変えて見ると七色の光を滑らせる」
「ラブラド……何それ、犬?」
「それはラブラドールレトリバー。ラブラドライトは宝石の名前です」
流石は上流階級とでも言うべきか、『宝石』なんていう贅沢品には全く無縁の僕には、鼓膜の端にすら届いた覚えの無い単語も、彼女の口からは常識のようについて出た。
「……ごめん、宝石とかよく分かんない」
「ふふふっ、そうなんですか……私もそう詳しくは無いのですが、ラブラドライトは私の誕生日石なんですよ!なんでも、『ラブラドエッセンス』って言う特殊な光沢が有って、それをよく『鳳蝶の羽』とか『貝殻の内側』って言う表現をするんです」
「へぇ……誕生日石ねぇ。そういう決まりがあるの、生まれ月だけかと思ってた」
素直に感心した僕は、テーブルに並んだグラスに揺らぐワインの気泡が立ち上るのを見つめながら、純粋にその石が見てみたいと思った。
──まさか後年になって、その石を見るのがどんなに辛くなるかなんて全く知る由も無いまま。
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