晴れの日(2)
さて、わざわざ自傷したのだから、液体の効果を試してみなければならない。
栓を抜く。瓶から下がったチェーンの先で、ひっくり返った金色のてんとう虫がぷらぷら揺れている。辺りに漢方薬のような匂いが漂った。
噛み傷に数滴だけ垂らす。息を呑んで見つめていると、皮膚についた液体が発光し、小さな粒になって空気に溶けた。同時に、傷は完全に癒えていた。痛くない。歯形の一つもない。手首に伝った血まで
塗り薬。しかも、少量で即座に完治する、魔法のような薬だった。
目の前で起きた出来事なのに、信じられなかった。
──だめ、しゃんとしないと。
フリーズしたままで、何が好転するだろう。いまは思考する時、行動する時だ。
この薬なら、少年が負った傷も治るかもしれない。流れ出た血液さえ、元に戻るかもしれない。
少年の傷口にかけようと、気が
真水が欲しいと思った。無限にある塩水は、
あとは布だ。ウエストリボンを使ってもいいが、より適したものがあるなら、そちらのほうがいい。
しばらく考え、目を閉じた。
船を探索する前に、こう思った。食糧と手がかり、特に水が欲しい、と。それから、水の樽、赤りんごと青りんご、
水とりんごと宝箱は、偶然で片づけられる。鍵と卵は粘液は明らかにおかしい。そんなふうに考えていたが、すべて同じだとしたら。全部が全部、欲しいと思ったから出現したのだとしたら。
手がかりイコール卵は、さすがにこじつけが過ぎるか。無限に増殖する粘液から、「ここは常識が通用しない」という情報を得た。そう言えなくもない、気がする。たぶん。
ともあれ、魔法のような薬があるのだから、魔法のような力もあるだろう。
夢の中では、少年曰く「女神様」だ。魔法のような力が──欲しいものを取り寄せる力が、使えるのではないか。
薬瓶を脇に置き、目を閉じる。右手を軽く握り、強く願う。
──真水と、清潔な布。この二つが欲しい。
すぐに、右手の中で何やら細長い感触がした。ぞわっとしつつも、構わず握り込む。同時に、ずしりとした重さを感じ、前のめりに倒れかけ、砂の上に左手をつく。その隣に、革の水筒があった。しっかり掴んだのは水筒ホルダーの
大男が持っていた水筒によく似ている。ただ、栓はコルクではない。プラスチックに見えるが、どうだろう。
布はどこに、と探すまでもなく、膝の上に折り畳まれていた。
本当に出た。願ったとおりに。
いや、水筒の中身が水とは限らない。決めつけるべきではない。
薬瓶と同じく、栓と水筒ホルダーが革紐でつながっている。栓を抜いた時に手が塞がらないのはありがたかった。
五百円玉大の量を手に取り、口をつける。無味無臭。真水と判断していいのか。
「……赤ちゃんからお年寄りまで飲める、安全な水、だよね」
水筒とその中身に対して念を押す。思うだけでなく、言葉にすることでも、欲しいものが手に入るのではないかと期待して。
「いまから体を拭いてくね」
布を水で湿らせ、少年の肌にこびりついた血や砂を拭う。迅速に、丁寧に。
意識を失っているせいだろうが、少年が痛がるそぶりがないのは幸いだった。
ひとまず、胸のみの部分清拭は終わった。だが、すでに傷の中に入った砂までは取り除けていない。水筒の水をかけて洗い流せるだろうか。より深い場所に入り込んだらどうする。ぐずぐずしていたら、また魂が離れてしまうかもしれない。今度は戻ってこられないかもしれない。
布と薬瓶を持ち替える。ガラスはひんやりしていて、たちどころに手の体温を奪う。
「これは──万能薬。傷を塞ぐ。血の量を元に戻す。異物を取り除く。痛みを消す。化膿させない。感染させない。どんな怪我も全快させる」
滑稽だが、思いつく限りの効能を断言しておく。
「大丈夫。すぐに治るからね」
袈裟斬りの傷に向けて薬を垂らす。
薬の粘度は高い。瓶の口から薬が落ちるまでの時間が遅く感じられて、やきもきする。
少年の傷に、傷の奥に、緑の液体がとろとろと流れ込む。
自傷を回復させた時と同じく、傷に触れた薬はそのそばから光の粒に変わり、消えてゆく。
瓶が
──治って。治って。お願い。
ひたすらに祈った。
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