16 孤独の旅路

次の日も、そのまた次の日も、アンナは樹壁じゅへきを降りつづけた。


疲れては眠り、目が覚めたら、また降りる。

変わりばえのしない時間だけが、風のようにすぎさっていく。

 

道中、アンナはたびたび、めずらしいものを目にした。

尾が長く金色に輝く美しい鳥や、耳の大きな赤毛のリス、翼のはえた白いヘビなど。


大樹の上では見たことも聞いたこともない生き物たちが、いたるところでみきうろに巣をつくっている。


またある場所では、雨水が滝のように大樹から流れ落ち、空の途中で霧となって、淡い虹の橋がかかっていた。


それらはまさに、アンナが夢見た――〝未知の冒険〟そのものだった。


だがしかし、疲れはてたアンナの瞳は、すっかり本来の輝きをうしない、目に映るすべてが、ひどくつまらないモノのように思えた。


ただひたすら、旅の終わりはいつになるのか、ニックはまだ無事でいるのか。

そればかりを考え、アンナはもくもくと足をすすめた。



   *     *     *



ある日の夜、嵐がふたたび激しくなった。


ザアザアと、雨粒が樹壁じゅへきをたたく音が、うろの壁に反響している。

アンナは大きな洞のなかで、遅い夕食をとっていた。

ここならば、どれほどの強風が吹いても、なかまで雨が降りこんでくることはない。


「はぁ〜……」


アンナは深ぶかとため息をついた。


「すごい雨ね……。明日には、晴れてくれるといいんだけど……」


この数日で、もってきた食糧もずいぶんと減ってしまった。

残っているのは、干し肉がひとかけ、干しブドウが六粒、ナッツが三粒、そしておばあちゃんがつくってくれたポムの実のケーキが、ふたきれだけだ。


アンナは、干し肉をちょっとずつかじりながら、コップにいれた雨水をなん杯も飲んで、空腹をごまかした。

それでも、正直なおなかの虫は、ぐぅ〜、となさけない悲鳴をあげる。


「ダメよ、これ以上は!」


視界のはしに、美味しそうなポムの実のケーキがちらついている。

しかしアンナは首をふると、すばやく油紙でケーキをつつんで、リュックサックへおしこんだ。


「これは、ニックといっしょに食べるんだから!」


きっといまごろ、ニックもおなかをすかせているにちがいない。

はやく届けて、食べさせてあげなければ。

そのためにも、今日はもう寝てしまおう。


アンナは洞のなかにロープをはって、ぬれたマントやブーツをつりさげた。

洞の外はいつのまにかまっ暗になり、ヒューヒューと風がうなり声をあげている。


ねんのため、寝る前に外の様子を見ようと、アンナはランタンを手にとって、洞の入口へむかった。


――その時だ。

アンナは、洞の外が、ほのかに青白く光っていることに気がついた。


「……え?」


とたんに、ぞわり、と背筋が震える。

アンナはとっさに、降りしきる雨のなかへ駆けだした。


吹き荒れる風にのって、青白くあやしげに光る玉が、舞うように虚空こくうを飛んでいる。


――見まちがえるはずがない。

たちまちアンナの脳裏に、あの夜、風見台かざみだいからニックが落ちていった時の光景が、スローモーションのようによみがえった。


「――待って!」


漆黒の空へ昇っていく謎の光へ、アンナは必死に手をのばした。


「あなたたちは、なんなの!? ニックはどこ!?」


風が吹きあがり、少女のさけびは、つめたい夜の闇へとすいこまれていく。

それは、ほんの数秒の出来事だった。


たたきつける雨のなか、ふたたび目をこらしても、あの不思議な光はどこにもない。


――もしや、幻だったのだろうか。

いや、そんなはずはない。


暗闇にひとりのこされ、アンナは急に心細くなった。


「ニック、おばあちゃん……」


少女のつぶやきに、答えてくれる人はだれもいない。

家族三人で、あたたかいごはんをかこんでいた日々が、とても遠くに感じる。


アンナは胸がくるしくなって、その場にひざをついた。


(――あの時、風見台かざみだいへいかなければ……)


どうしようもない後悔が、あとからあとからおしよせる。


(――冒険なんて、しなければよかった……ッ!)


あんなに美しかった光る玉も、いまはただ怖ろしく、悲しいだけ。

ニックがそばにいなければ、金色に輝く鳥も、耳の大きなリスも、翼のはえたヘビも、すべてが色あせて、くすんだ灰色にしか見えない。


もうアンナにもわかっていた。

たったひとりの大切な弟にかえられる宝物モノなんて、この世のどこにもありはしないことを――。


その時、うなだれたアンナの首もとで、美しい木彫りの首飾りがゆれた。


「――……あっ」


それは、モニカがつくってくれた、ニックとおそろいのお守りだった。

ふいに、アンナの脳裏で、あの日のモニカの言葉がよみがえる。


『アンナ、わたしね、あなたのそういうところ大好きよ』


『あなたは一度やるときめたら、絶対にあきらめない、強い心――勇気をもってる』



「……勇気」


その瞬間、アンナの瞳に、ほのかな光が宿った。


――そうだ。あの時、自分はたしかに誓ったはずだ。

たとえ望みがほんのわずかだとしても、この目でたしかめるまでは、絶対にあきらめないと――。


「……ニックは、きっと生きてる」


発明が大好きで、いつもアンナが驚くようなことをやってのける、あのかしこい弟が、そう簡単に死ぬわけがない。


アンナは、モニカがくれた首飾りを、ぎゅっ、と強くにぎりしめた。


「――冒険家とは、困難にたちむかう者のことをいうのよ!」


いつもの口癖を、ふたたび自分へいいきかせ、アンナは嵐の夜空をまっすぐに見すえた。

その胸に、もう迷いはなくなっていた。

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