8 白木の首飾り

「アンナ! ニック!」


ふいに、ひとりの少女が、市場のむこうからやってきた。

栗色くりいろのくせっ毛を、かわいらしい花柄のバンダナでまとめた少女は、わずかに残っていたお菓子を見るやいなや、キラキラと若葉色わかばいろの瞳を輝かせた。


「よかった、まにあったのね!」

「モニカ!」


ふわふわのやわらかな髪をなびかせ、少女の瞳とおなじイエローグリーンの耳飾りが、しゃらりとゆれる。


彼女――モニカは、大空洞だいくうどうの上の階でアクセサリー屋をいとなんでいる、アンナたちよりも五つ年上のおねえさんだ。


いつもかわいらしい服をきていて、季節ごとにかわる花の香水をまとっている。

アンナにとっては、なんだか別の世界にいる人のような、ちょっとしたあこがれの存在だ。


モニカは、列の最後尾にならぶと、最後のひとつになったポムの実のケーキを、まるで宝物をひろいあげるかのように手にとった。


「ああ、今日はなんて素敵な日なのかしら!」


そういって、モニカはふたりに、はにかんだ笑みをむけた。


「ねえ、よかったら、このあと三人でお茶をしない? 昨日、とてもおいしい紅茶が手にはいったの」


春のこもれびのような、やさしい声でそういわれると、思わずうなずいてしまいそうになる。

しかし、アンナはすんでのところで、その魅力的なおさそいをことわった。


「ごめんなさい、モニカ。今日はいそいで帰らなきゃいけないの」

「あら、なにか用事でも?」


アンナはニックと顔を見あわせると、声をそろえていった。


「「嵐がちかづいてるんだよ」」

「えっ!」


とたんに、モニカだけでなく、まわりの村人たちもざわめき出した。


「嵐だって?」

「本当に? 風笛かざぶえの音は、まだ聞こえてこないけど……」


「東の枝ではもう鳴ってるわ。風はまだ弱いけど、夜には嵐になるだろうって、おばあちゃんもいってたし」


「――その話はまことかのう?」


ふいに、誰かがうしろからふたりの背中を、ぽんっ、とたたいた。


「「わぁっ!?」」


あわててふりかえれば、ヤナギの枝のようにひょろりと腰のまがった老人が、杖をついてたっている。


「び、びっくりした……」

「もう驚かさないでよ、コボルじい!」


「ほっほっ、いや、すまんのう。風にのって、わしの大好物の匂いがしたものでな。すっとんできてしもうたわい」


しかしひと足おそかったようじゃ……。と、老人はしょんぼりと肩を落とした。

白いヒゲを足もとまでのばしたこの老人は、ポコロ族の長老で、ふだんは見あげるほど高い本棚にかこまれた書庫の番人をしている。

大樹いちのもの知りだ。


「――して、嵐がきているというのは、本当かね?」


すっ、と真剣なまなざしをむけられ、ふたりはつられて背すじをのばした。


「本当よ。ね、ニック」

「うん。今朝は、風見台のところの白い花が、ひとつも咲いてなかったんだ」

「……なんじゃと?」


ニックがポケットからとり出した花のつぼみを見て、コボルじいは片方の眉をはねあげた。


「まあっ、きれいなお花ね。はじめて見るわ」

「えっ」


モニカのつぶやきに、アンナは驚いて目をまるくした。

そういえば、村の周辺であの花を見かけたことがない。

もしかすると、日あたりのよい東の枝さきにしか、咲かない花なのかもしれない。


「ふぅむ、わしは大樹にある本という本をすべて読んできたが、この花が嵐の前に咲かなくなるなど、聞いたこともないわい。――ニックよ、お前さんはどうして、そのことを知っているのかね?」


「……そ、それは」


いぶかしむような長老の視線に、ニックはしばし口ごもった。

しん、とあたりが、一瞬だけしずまりかえる。


そんな空気を晴らすように、アンナが「もしかして!」と手をたたいた。


「そういえば、去年くらいから、その花をはちに植えて観察してたわよね?」

「……う、うん」


その言葉にうながされるようにして、ニックはぽつりぽつり、と話しはじめた。


「昔から、気になってたんだ。どうしてこの花は、日によって咲く時間がちがったり、一日中咲かなかったりするんだろうって……」


一度気になったら、とことんまで観察する。それがニックの性分しょうぶんだ。


「……なるほどのう。いやはや驚いた」


コボルじいは、感心したようにヒゲをなでつけながら、まじまじとニックの顔をのぞきこんだ。

大樹いちのもの知りですら気づかなかった花の秘密を、ニックは自分自身の目でつきとめたのだ。


(……やっぱり、ニックはすごいわ!)


アンナはなんだか誇らしい気持ちで、長老に質問責めにされているニックを、にこにこと見つめた。


アンナだって、風見台かざみだいで毎日あの花を見てきたが、花が咲く時間や条件についてなんて、これっぽっちも気にとめていなかった。


どうしてふたごなのに、こんなにもちがうのだろう。

ほんのすこしだけ、アンナはニックの頭のよさを、うらやましいと感じた。


「おっと、感心しておる場合ではなかったわい! すぐにみなで、嵐のそなえをせねば!」


そういうと、コボルじいは腰にさげた角笛つのぶえを高らかに吹きならした。

村の長老だけがあつかえる緊急の知らせが、大空洞だいくうどうのなかに、いくえにもこだまして響きわたる。


周囲でことのしだいを見守っていた人びとも、それを皮きりに、それぞれの持ち場へと走っていった。


「知らせてくれて感謝する。おぬしらも、気をつけて帰るんじゃぞ!」


「うん!」

「コボルじいも気をつけてね!」


アンナとニックもまた、いそいでテーブルクロスをたたみ、帰りじたくをはじめる。


「ちょっとまって」


そんなふたりに、モニカが心配そうなおももちで声をかけてきた。


「ねえ、ふたりとも。よかったら今夜はうちに泊まらない?」

「「……え?」」

風見台かざみだいのそばは、枝が細くて危険だわ。ここなら、嵐がきても、ちょっとやそっとじゃびくともしないし、大雨でぬれることもないのよ」


ふたりは顔を見あわせた。

たしかに、モニカのいうとおりだ。


大樹のみきに守られた村とはちがって、ふたりの家がある枝さきは、嵐がくるたびに大きくゆれる。

これまでだって、なんども危ない思いをしてきた。

しかしながら、アンナは頬をかいて、きっぱりと首を横にふった。


「ありがとう、モニカ。でも、家でおばあちゃんが待ってるから」


足の悪いおばあちゃんを、いまから村へつれてくることはできない。

それに、正直にいうと、アンナは嵐なんてへっちゃらだった。

なぜなら――。


「冒険家とは、困難にたちむかう者のことをいうのよ!」


そういって、アンナはほがらかに、胸をはってみせた。

嵐なんかにおびえていては、あこがれの冒険家にはなれない。

それが、アンナの信条だった。


「……そう、そうよね。あなたなら、きっとそういうと思ったわ」


モニカはため息をつくと、まぶしそうにアンナを見つめた。


「アンナ、わたしね、あなたのそういうところ大好きよ」

「え?」

「ちいさいころからそう。あなたは一度やるときめたら、絶対にあきらめない、強い心――勇気をもってる」


モニカは、アンナとニックを交互に見やって、やがて花がほころぶようにほほえんだ。


「あなたたち、最高のコンビだわ」


ふたりは鏡あわせのように、そろって瞳をぱちくりとさせた。


モニカが、そんなふうに思ってくれていたなんて。

アンナはなんだか、胸の奥からふつふつと、熱いものがこみあげてくるような気持ちになった。


「そうだわ。あなたたちに、わたしたいものがあるのよ」


モニカは肩かけバッグのなかから、おそろいの首飾りをとり出すと、ふたりの首へかけてくれた。


「お守りよ。わたしがつくったの」


白木しらきに繊細な装飾をほどこした、美しい木彫りの首飾りは、ふたつを組みあわせると、ぴったりとひとつの模様が浮かびあがるようになっている。


「無事に嵐をのりこえたら、今度こそ、三人でお茶しましょうね」


そういって、モニカは若葉色の瞳で、かわいらしくウインクした。

アンナとニックは、その素敵な贈り物をにぎりしめると、満面の笑みでうなずいた。


「「ありがとう、モニカ!」」

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