最終話 世界でひとりだけの私とあなた

「はい! 菩伴ぼはんさん。しいたけ串焼けたよ!!」


 四月中旬。

 都心から電車で三十分ほどの立地にある、大きな川沿いの広場。ショートパンツにパーカーを着たアイが、しいたけが連なって刺してある串を私に差しだす。

 離れたところにあるバーベキューコンロでは、様々な野菜が刺してある串がジュウジュウと音を立てている。アルミホイルに包んであるのはバナナだ。


「ありがとうございます。いい感じに焼けていますね」


 合掌がっしょうし受け取った私は、しいたけの笠にしょう油を一滴垂らした。炭火で焼いたしいたけは、ぬめりもなく歯切れよく、ジューシーな仕上がりになる。しいたけが苦手な人にこそ、おすすめの頂き方である。


「新玉ねぎうっま! おにぎりもあとで焼こ! 肉なくても楽しめるね! BBQマジ最強!!」


 玉ねぎ串をおいしそうに食べながらアイが笑う。

 今日私は、アイと、白鳥しらとりさん、風鶯ふおうくんの四人でBBQバーベキューをしにここへ来た。眞内しんないくんやショウユウの兄弟は残念ながら都合がつかなかった。


「ありがとうございます、アイ殿。こんな楽しい日を計画してくださって」


 四月八日にはお釈迦様の誕生を祝う「花祭はなまつり」があり、悦明寺えつめいでらは大忙しな一日となった。本堂の前に設けた花御堂はなみどうは、住職の好みで豪勢なものになり、椿つばきや桜、レンギョウなどの花、甘茶の用意が大変であった。


 おかげでたくさんの人が訪れ、誕生仏に甘茶をかけて手を合わせてくれた。坐禅会や住職の説法、お子様向けの木魚もくぎょ体験、写経会など、イベント盛りだくさんで、私も風鶯くんも目が回るようであった。

 檀家の田中さんと南さんには、先日のお礼をこめて、私が作ったお守りをさしあげた。


 アイや白鳥さん、翔、悠たちも来てくれたのだが、忙しすぎて話ができなかった。今日は「花祭りお疲れ会」という名目もある。風鶯くんは来ることを渋ったが、住職に『たまには羽を伸ばせ。わしも伸ばしたい』と半ば強引に寺を出された。今頃住職はのびのび、焼き肉でもしているかもしれない。


「ううん、アイがやりたかっただけだし! でもよかったね、集まれて! BBQはやっぱ三人以上だよね。スミちゃんとふおーさん、来れてよかった!」


 アイはコンロで食材を焼く、白鳥さんと風鶯くんの方を見てほほ笑む。


「おいスミ。そのマシュマロ、卵白とゼラチン使ってるだろ。だとしたら僕は食わないぞ。裏の表示見てみろ」


「ああん? 細かい奴っちゃな。こんなん、ほぼ砂糖やろ。焼いたマシュマロは最強なんやで? 感謝してなんでも食べや! ほら、ウチからの布施ってことでどうや!?」


 白鳥さんが焼けたマシュマロの串を、ずいっと風鶯くんに突きつける。Tシャツに下は作務衣さむえを掃き、頭にはタオルを巻いた、ザ・アウトドアな風鶯くんはもの言いたげにマシュマロをにらんでいたが、思い切ったようにばくんと食いついた。

 ふんと鼻を鳴らし、ドヤ顔でもぐもぐする風鶯くんを前に、白鳥さんの顔がボムッと赤く染まる。


「あの二人、さっきはバナナを焼くタイミングで盛り上がってたよ。ほんと、いつの間にあんな仲良くなったんだろね? なんか嬉しい!」


 あーんとは、ちょっとというか、かなりうらやまなシチュでござるなと眺めていた私は、我に返って手元にある野菜を切り始める。


「さぁ。きっと相性が良かったのでしょう」


 みんなでアイを探した日。寺に残ってくれた二人は、共にチャリで駆けつけてくれた。きっと二人だけの会話があったのだろう。


「うん、そうだね。ね、菩伴さん。ちょっと土手の上に行ってみない? 風が気持ちよさそうだよ!」


 いいですね、と返して私は包丁を拭き、ケースに入れた。食材は余ったらきちんと持って帰ろう。

 土手の上は並木道になっており、私とアイはベンチに腰かけた。川と草原が一望でき、風で揺れる木々の葉の音も心地良い。


「桜、まだ少し残ってるね」


 アイが木を見上げて言う。木々の枝には新緑が芽生え始め、そのなかに薄ピンク色の名残りがあった。ここは桜の名所でもある。少し前なら、だいぶ混みあっていただろう。


「ええ。今だから見られる光景ですね」


「うん! 花祭り、マジお疲れ様! お釈迦様の像、空を指さしてたけどなんで? ロック歌手っぽくてちょっとウケちゃった」


「お釈迦さまは生まれてすぐに七歩歩き、右手で天を、左手で地を指して「天上天下唯我独尊てんじょうてんげゆいがどくそん」と唱えたという伝説です。我こそが唯一至高、何があろうと我が道を行く、などと訳されがちですが、本来は違います。


 その意味は「ただ、私という存在であることが尊い」です。何も加える必要はなく、その命そのままで尊い。人はみな、誰にも代えることのできない存在なのだ、というお言葉なのです」


「へぇー、そんな意味だったんだ。たぶん誤解されまくってるよね!」


「お互いに尊重し合う大切さを思い出す、深いお言葉です」


 みな、それぞれ違うのだから。


「うん、それって大事だよね。アイね、ママと話したんだ。アイがバイトがんばる理由、ちゃんと話したの。ツアーガイドになるための学校に行くために、お金貯めてるんだって」


 アイの夢。

 世界の素晴らしさを人々と共有できる、旅行ガイドになること。


「ママは、アイを大学に進学させるために、給与のいい外資系に転職したの。お金はアイが生まれる前から貯めてきてるから、心配しなくていいって。

 アイが本気でツアーガイド目指してるの、知らなかったみたい。っていうか反対されそうで黙ってたアイも悪いんだけど」


「外資系ですか。お母さまは語学が堪能なのですか」


「うん、もともと英語を活かした仕事がしたかったんだって、話してるとき思い出してた。なんかお互い笑っちゃってさ!」


 海外の文化に触れ、花開いたアイの父親。英語が好きな母親。アイは確かに、あのお二方の娘なんだと思った。


「でもさ、アイ、ママに無理はしてほしくなくて。だからね、学費は半々にしようって言ったの。アイはローン組むし、今しかできないことも楽しむ。ママは自分のためにもお金を使うこと。そう約束したんだ!」


「お互いに、納得できるところに落ち着いたわけですね」


 話を聞き、思いを尊重できなければ、そこにたどりつけはしない。


「パパも売れっ子になったし! もちろん応援するって。これからって感じがする! スミちゃんともまた同じクラスになったし! うん、きっと楽しくなる!!」


「ええ、アイ殿なら大丈夫ですよ」


 空を見上げるアイの横顔を、私はまぶしく思いながら眺めた。

 アイなら、どんなことも乗り越えていけると思う。

 たくさんの人と触れ、大地を歩き、その世界をどんどん広げていくのだろう。


「でね、菩伴さん」


 くるっと、アイが私に顔を向ける。


「菩伴さんに、ちゃんとお礼言いたくて。菩伴さんに会えて、アイ、本当によかった。ありがとう菩伴さん。アイといてくれて」


 まっすぐに見つめる瞳に焼かれそうで。私は身動きできなかった。


「わ、私こそ……こんな、ロボットと。こんな私と」


「菩伴さんは、アイのこと好き?」


 すっっっっっっっっっっ!!!!!!????!!?


「す、すきや……き……」


 混乱する思考。こぼれ出る意味不明の日本語。

 アイは……アイは、いったい何を訊こうとしているのだ。


「ああもう、フリーズしないで! アイはね、菩伴さんのこと好きだよ! 男性としてだよ! 今まで誰かに言った好きとは違うんだよ! ちゃんと、恋なんだってわかったんだよ!」


 アイが恋を……私に?


「この間もね、パパに報告したんだよ! 好きな人ができたんだって! その直後に菩伴さんが来たから、マジ心臓飛び出そうになったんだからね! ママも「攻めなさい」って応援してくれたよ!」


 ノゾミさん……意外にイケイケ……。


「だからね、だからね菩伴さん! これからも一緒にいてねってこと! デートしてほしいし、悩みも聞いてほしいし、ずっとそばにいたいの! オーケー!?」


 目の前にあるアイの顔に、はっきりと焦点が定まってくる。

 危うくショートするところであった。

 しっかりするのだ菩伴!!

 ここでアイの気持ちに答えなければ――男失格だ!!!


「アイ殿。私も、アイ殿のことが好きでりゅ!!!!」


 盛大に噛んだ!!!!!!!

 私という者は!!!! まったくどうしてこうなのか!!!


「あはは! そこで噛むなし!! うん、でも、嬉しい!! あー、菩伴さん、大好き!!」


 腕に抱きつき、頭を肩に乗せるアイ。

 ああ――死ねる。いや、死んではならぬ! もったいない!!


「よろしくね? 菩伴さん。アイと一緒に、地球制覇しようね」


 顔を上げ、ほほ笑むアイ。

 その慈愛に満ちた眼差しは、まるでカンボジア、ジャヤヴァルマンク七世が十一世紀に建てたというアンコール・トムにある、中心寺院バイヨンに並ぶ仏顔塔ぶつがんとうのよう。

 観世音菩薩かんぜおんぼさつの巨大な顔を四面に彫りこんだ塔が五十四基立ち並ぶ光景を見た人々は、その尊さを「バイヨンの微笑ほほえみ」と名付けた――。


「はい……アイ殿。この菩伴、どこまでもお供します」


 アイと「バイヨンの微笑み」を拝むことだって、できる未来がある。

 その希望は温かく、私の胸に広がった。


 私はAIである。そして僧侶だ。

 これから先、色々と問題はあるだろう。

 それでも、アイとなら歩いて行ける。そう思う。


 波に揺られ、風に押されても、手を取り合って、また道の真ん中に戻っていく。

 上ばかり見るアイの足元に気を配り、端に寄りがちな私を、落ちないようにアイが引っ張る。

 ときに立ち止まり、ときにスキップで。二人で歩む、きらきら中道ちゅうどう


「ん、なんか通知きたよ?」


 私の手首のデバイス端末が振動する。アイにも伝わったようだ。


「失礼、どれどれ」


 私は腕を上げ、通知を確認する。そして表示される画像を見て、目元をほころばせる。新着の通知を設定してる、神絵師の投稿だ。絵師の名はリシュー・キョウ。私の前世お掃除ロボット時代あるじである。


 即刻指をさばき、保存、イイね、拡散する。私の俊敏な動きに驚いたアイが、画像をのぞきこんで声を上げた。


「わっ超ハレンチ!! なにこれ!!」


 私は目を見開き問う愛しき恋人に、穏やかに語った。


「これは神絵師のセンシティブ指定作品ですよ、アイ殿」




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