第二十九話 みんながいる
「可能な限り少しだけ、怒られない範囲でちぃとばかし急げますか
「いや急いでますって。俺、基本安全運転っすからこれ以上スピード出せないっすよ!!」
坂を下り、先ほどとは反対の車線に出た。同じ街並みを目にすると、焦る気持ちがわいてくる。そしてそんな私を嘲笑うかのように、道路は混みあっていた。
やむなくスピードを落とす眞内くん。車体のでかいトラックや、バイクなどが多く、間をぬっていくこともできなさそうだ。
――今こそ、スーパーテクニカル運転を披露するときです眞内くん!!
映画で見るような、スリル満点の運転技術ならこの場を切り抜けられる、と私のなかの
しかしこの言葉を、私はぐっと飲みこむ。
落ち着くのだ。自分の都合で誰かを危険にさらすわけにはいかない。
身を預けた者として、眞内くんの安全ルールを守るプロ意識に敬意を払うのだ。
背筋を伸ばし、ゆっくりと呼吸する。
早く着けばいいとは限らない。物事は、不思議なタイミングですべてがうまく一致するものだ。
心を平常に戻すと、狭くなっていた視野が広がり、周囲の世界がはっきりとしてくる。いつも通りの平和な街である。なにを慌てる必要があろうか。
詰まりが取れたように聴覚もはっきりする。ほら、風に乗って音楽も聞こえてきたではないか。――音楽?
ズンズンズン、と辺りに響く重低音。
異様な空気を感じ取った私が振り返ると、その車はすぐそばまで来ていた。
「な……なんと……!!」
私は目を疑った。
紅い高級スポーツカー。開け放たれた座席に座るのは、サングラスをかけ、白いポロシャツを着た住職――
「わっはっは!! なにをチンタラしておるか
住職のとなりには同じくサングラスをかけ、頭をスカーフで巻いた奥方がいた。赤いルージュを引いた唇が無言の笑みを浮かべる。
空気を震わせる音楽は、よく聴けば
「先に行くぞ!!」
住職がアクセルを踏む。気づけば、周囲の車はみな、左側に寄ってスポーツカーが過ぎるのを待っている。まるで緊急車両が通るときのようだ。
あまりに異様なハジケっぷりに、「なんか超ヤベー奴が来た」と避難したのであろう。
道路を行く紅い高級車。さながら海を割る、かの有名な某モーセさんだ。
「すげぇ……なんすかあれ」
「おお……我が師よ!!!!」
心のなかで
「眞内くん!! 今です!」
般若心経が響くなか、私たちを乗せたバイクが踊り出る。
風を切り、拈華橋へと向かって直進する。
交差点で華麗に右折し、まっすぐに走る。
グローブバーを握るマナーも忘れ、眞内くんにがっしり抱きついてしまっているが――それがどうした!!
アイに向かって。
拈華橋へと着き、バイクを下りる。ヘルメットを眞内くんに渡し、早足で歩きだした。
すると私を呼ぶ声があった。顔を向ければ、アイの母親ノゾミさんが、息を荒げて走って来るところであった。
「連絡ありがとうございます……! ちょうど、こっち方面へ歩いていたので」
「あの子、どこに……。もう、誰でもいいから聞いちゃおうかしら」
きょろきょろと視線と足元をさまよわせるノゾミさん。見境なく「娘が!」と通行人にすがっていきそうだ。だがそれはアイのためにもよくない。
私はノゾミさんの肩に指先を軽く置き、彼女と目を合わせる。
「大丈夫、きっと見つかりますよ。母と子です、きっとタイミングの法則が――」
ノゾミさんの肩越し。
視界に入った金髪の人物に、私の注意は全集中する。
ハイブランドのファッション店から出てきたその娘は、すぐに向こうを向いてしまった。一緒に出てきた男性と連れ立って歩いて行く。
右手にはブランド店で買ったと思われる紙袋を下げている。淡い色のデニム生地のシャツに、白のショートパンツ。だが着ているものを見なくても、私にはその娘がアイだとわかった。
「――アイ!!!!」
私は駆けだし、その名を叫んだ。
立ち止まり、娘が振り返る。
「え――菩伴、さん?」
アイは瞳をこぼれんばかりに見開く。駆け寄る私を見上げ、瞬きを繰り返した。
「え、うそ、なんで? こんなところで」
「アイ……!!」
後ろからノゾミさんが駆けてくる。そしてアイの手首を掴んだ。
「えっママ!? なに、どーしたの!?」
「どうしたじゃないわ、いったい何して――」
ノゾミさんはアイのとなりに立つ男性を仰ぎ見て、口を半開きにして固まった。
「え……あ、あなた……!?」
あなた!!!?
私もアイの横に立つ人物に視線を移す。眼鏡をかけ、無精ヒゲを生やした男性で、ノゾミさんを見て首を傾げている。ルーズ風というには少々ぼさついた髪をひとつに結んで、ポケットのたくさんついたミリタリー調のジャケットをラフに着ていた。
「うん、久しぶり。偶然だね?」
眼鏡の奥の瞳が優しくほほ笑む。
「なんで、東京に……。ニューヨークじゃなかったの?」
「うん、色々あって。今回はインドから飛んで来たよ」
インド、ニューヨーク。察するにこの男性はアイの父親なのだろうが、グローバルな仕事をしているようだ。
私とノゾミさんを交互に見ていたアイが、助け舟を出す。
「えっとね、菩伴さん。この人はアイのパパでカメラマンなんだけど。日本を出て海外で活動してて、今度日本で個展やることになったんだよ!」
アイパパは写真家であらせられましたか。個展開催とは、これまたすごい。
「こ、個展……? あなたが? 嘘よ、全然売れなかったのに」
ちょ、ノゾミさん!! そんなキツイ言い方!!
「幼稚園とか小学校の遠足くらいしか仕事で呼ばれなくて。自費で出した写真集も売れなくて。海外行くって聞かなくて……私とアイがいるのに」
「うん、ごめんね。わがままはわかってたよ。でも海の外へ出て、様々な文化に触れて、自分が撮るべきものがわかったんだ」
「なによそれ……家族より、自分のことばっかり。でも、そうね。だから別れたのよね。もう関係ないし、いいわ」
「ママ!!」
うつむくノゾミさんに、アイが歩み寄る。手にした紙袋を両手でかかげ、母親に見せた。
「ママ。パパね、ママへのプレゼント選ぶために帰って来たんだよ?」
「プレゼント……? 私に?」
「やっぱり忘れてる。ねぇママ、もうすぐ誕生日でしょ?」
ノゾミさんは「あ」と小さく声を上げた。本当に忘れていたらしい。
「内緒で、パパと一緒に選んで買って、喜んでもらおうって計画だったんだよ! 当日はパパ、仕事で日本にいられないけど、ママが会ってくれたらいいね、って」
明日、内緒、七福駅、ホテル、楽しみ――。
ノゾミさんが聞いたというアイの電話でのやりとりは、日本に来た父親と待ち合わせをするための会話だったようだ。
「そう、だったの……。私、てっきり」
ん? とアイが首を傾げたとき、
「アイ姉ちゃん!!」
信号を走って渡って来た幼い少年二人がアイを呼んだ。
「あれ!
アイの太ももに抱きつく悠の頭をアイがなでる。翔は私を見てドヤ顔で歯を見せる。私はよくやった、と目で答えてうなずく。
「あー……合流できたっすか」
ぬっと現れたのは眞内くん。どっかで買ったらしいコーラのボトルをぷしゅっと開け、ひと口喉を鳴らして飲んだ。彼がいなければうまく会えていなかったかもしれない。私は感謝をこめて合掌する。
「えぇ、アツシくん!? ちょっとぉ、またサボってんの!?」
「いや、普通に休憩中っす」
「コーラ買いにこんなとこまで!?」
眞内くんにアイが詰め寄ったとき、リンリン、とレトロな音が鳴った。
目を向けると、ママチャリにまたがる
「飛ばす言うてのろいな! 背ぇ高いから期待したのに、筋肉ないんかい!」
「やかましい。二ケツに慣れてないだけだ」
温度差のある調子の会話が聞こえてくる。なぜここがわかったのかは謎だが、駆けつけてくれたようだ。
「アイ!!」
「スミちゃん!? ふおーさんまで! やば! ウケる! 集合しすぎじゃない!? マジ奇跡!!」
爆笑するアイを、自転車から下りた白鳥さんが満足げに見つめる。
やれやれ、といった様子でため息つく風鶯くん。私がうなずいてみせると、彼もまたうなずく。
「みなさん……ご迷惑をおかけしました」
アイが嬉しそうに、父親になにか必死に話しかけている間、ノゾミさんが頭を下げた。
私はその肩をぽんとたたき、首を振る。
「顔を上げてください。私たちは大事な友人のために動けて嬉しいのですから」
ノゾミさんは顔を上げてうなずくと、アイから受け取った紙袋を大事そうに抱えた。
「私、見えていなかったんですね、色々と。……ありがとうございます。アイを、信じてくれて」
アイを見ている人は、私だけじゃない。たくさんの人に囲まれているアイの後ろ姿を、私は目を細めて眺めた。
「
心配事が
シングルマザーとして仕事をがんばっているのであろう。しかし、自分をもう少し守って欲しいとも思う。
「はい……」
私が言いたいことを察したのだろう、ノゾミさんは少し苦しそうに微笑した。
「そういえば、先月はあの人の誕生日だったわ……。私、ちゃんと足元見なくちゃね。このままじゃ、アイの誕生日も忘れてしまう」
ノゾミさんの視線の先では、アイと父親が笑い合っている。パパさんの手には青いリボンのついた小さな紙袋がある。アイが持っていたのは、父親への誕生日プレゼントだったのだ。
「
合掌する私に、ノゾミさんは深くお辞儀して合掌するのであった。
「じゃあ、またね! みんなバイバイ!」
四方に手を振るアイ。アイはこのまま父親と母親の三人で、久しぶりに夕食をとることになった。とても嬉しそうに笑っている。
眞内くんはドライブの続きをするそうで、私の感謝の言葉にも「うっす」と軽く
翔と悠の兄弟は「ミッションクリア! 解散!」と叫びながら走って行った。
風鶯くんは、白鳥さんを駅まで送ると言って再びチャリを漕いで行った。
私はひとりになったが、心は晴々と、夕暮れの街を気分よく歩いた。田中さんや南さんに、どんなお礼をすべきかと考えつつ、自然に脳内再生されるアニメOP曲を鼻歌にした。
ふと、なにか忘れている気もしたが、それさえもすぐに忘れた。
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