第二十八話 タクシー? 否、ママチャリ

 ほんま、アホちゃうか。

 陽の光に夕方の色が交じり始めるなか、ウチは腕を組んだ体勢で寺の山門さんもんをにらんで立っていた。

 人差し指がトントンと、せわしなく二の腕をたたく。じりじりとした苛立いらだちで眉が寄る。


 菩伴禅師ぼはんぜんじとアイの母親が寺を出たあと、何人か参拝客が来た。アイではないとわかった瞬間、つい大きくため息ついてしまい、客らはそんなウチを避けるように端っこを歩いて行き来した。


「……まったく、アイはどこほっつき歩いてんねん」


 ふー、と長く息を吐く。一時間ほど直立していたので、ブーツを履いた足が疲れてきた。ウチは背後にある本堂の階段に腰を下ろした。両膝に腕を置いて、あごを乗せる。


「ほんま、あほくさ」


 自分は何をしているのだろう。むなしい気持ちがわいてくる。

 ここでアイが来るのを待つ義務はウチにはない。

 でも――帰ることもできない。


 はぁ、と声に出して苛立ちを吐き出した。

 そこで、横から声が聞こえた。


「お、まだいたか。まったく強情だな」


 黒髪ショートヘアの青年――近頃この寺に来たという僧侶だ。階段に座るウチを、あきれたような目で見ている。


「なんや。ここは腰かけとちゃうで、とでも言いに来たんか」


「はぁ……気の強い女だな」


 青年僧侶はため息つくと、おもむろにウチからひとり分距離を置いたところに座った。黒一色の、しゃれっ気のないデバイス端末から浮き出る画面を目で追っている。アイの裏垢うらアカを探っているらしい。僧侶が何してんねん。


「ほんとに何も出てこねぇな。つまらんくらいだ」


「言うたやろ兄ちゃん。アイは裏垢つくるようなキャラちゃうねん」


「兄ちゃんじゃない。風鶯ふおうだ。かぜうぐいすで風鶯。ま、いいや。和尚おしょうと呼べ」


 画面から目を離さずに命令するのが腹が立つ。ウチは無言で山門の方へ視線を戻した。あー、イライラするわ。


「あんた、いつまで待つ気だ? ここへあの子が来る可能性は低いと思うけど」


「うっさいわ、放っとき! あんたじゃないねん、さんずいに登るでスミや。ま、覚えてくれる必要あらへんけど!」


 なんやねんこの兄ちゃん。喧嘩売りに来たんかい。


「アイはな、パパ活なんてする子じゃないねん! 別に、アイが来るのを待ってんとちゃうわ! 今頃、普通にどっかで友達と遊んでるだけやろうからな!!」


 息荒くまくし立てる。苛立ちで声が大きくなるのを自覚したが、おさえられなかった。

 青年僧侶は、画面からウチに目を向けていた。怒鳴ったこちらが気まずくなるくらい、何の感情も浮かばない表情。観察するような目にいたたまれなさを感じた刹那、その唇が開いた。


「……じゃあなんで、泣いてんだよ」


「――っ!! ……ふ……!」


 急いで目元をそでで拭う。


「泣いてへんわ! まだ!!」


 瞳に涙がたまっただけや。こぼれるまでは泣いているとは言わへんのや。


「あほんだら! 悔しいねん! なんであのお母さんは、アイのこと疑ってんのや! 見てたらわかるやろ! アイは絶っっ対にそんなことせぇへんって! なんで、なんで親が娘のこと信じられへんねん。どこ見てんねん! あほ!!!」


 袖に瞼を押しつけたまま、あふれ出す言葉を一気に吐き出した。

 本当は、アイの母親に言ってやりたかった。

 やましいことは何もなかったとわかったうえで、だから言っただろうと鼻で笑ってやるくらいしか、ウチにできる憂さ晴らしはなかったのだ。


 ぐず、ぐずと垂れてくる鼻をすすっていると、ははっ、と気の抜けた笑い声が聞こえた。

 顔を上げると、青年僧侶が肩を揺らしている。ウチは少しの間呆けて、それから顔が熱くなった。


「おいこら! なに笑ろてんねん!」


「ぶふっ、あほって。はははっ、あー、ウケた」


 目元を指で拭って言う。今のどこにウケる要素があったのか。


「あー、色々スッキリした。礼を言う」


 合掌する僧侶に、はぁ、と合掌を返す。なんやこれ。


「さて、そろそろだな。行くぞ、スミ」


「はぁ? 行くって、どこに」


 デバイス端末を見ながら言う彼に眉を寄せる。っていうかなんで呼び捨て。


「菩伴和尚のトゥイッターのメッセージを盗み見る限り、目標に近づいているようだ。アイの裏垢がないことも証明できた、ここで待つ意味はない」


 盗み見って。ほんまにこいつ僧侶か。


「でも……寺空けてってええの?」


「鍵はかけるし、平気だろ。チャリで飛ばせば、十分くらいで着くんじゃないか」


「チャリ……」


 ウチはミニスカートを履いた脚を見下ろした。


「安心しろ、後ろに乗せてやるから。僧侶の定番はママチャリって決まってんだよ」


 くい、と親指を山門の方へ向ける僧侶に、ウチはにやりと笑みを返す。


「……同意見や。ほな、行こか」


 待っているより、動く方がいい。

 うなずき、立ち上がったところで、山門の方からふたりの男女が歩いてくるのが目に入った。



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