第二十六話 ママ、現る
アイと
私はいつも通り、午後三時から本堂前の掃き掃除をしていた。
だいぶ暖かくなった西日に、もうすっかり春だなと感じる。
そろそろお
甘茶はどれくらい用意すべきか、などと考えていると、山門のところに人影が見えた。
アイ――ではない。来るときはいつもこのくらいの時間なので、つい彼女だと思ってしまう。悪いくせだ。
その人影は、山門のところできょろきょろと、落ち着きなく辺りを見回していた。初めての参拝だろうか。
「こんにちは。過ごしやすい日ですね」
近づいて声をかけてみる。ただ
「え、あ、はい……」
その人は三十代後半くらいの、ベージュのジャケットスーツを着た女性だった。仕事帰りだろうか。
肩にかけたバッグの紐をぎゅっと握り、視線をさまよわせている。何か言いたげなのだが、どうしたのだろう。
「境内は自由に入れますから、ご遠慮なさらず。何か困ったことがあれば、何なりと」
努めてゆっくりと、穏やかに話す。
「あ、あの……! 娘のことで……相談が」
振り返り見た女性は、血の気の引いた顔で、思いつめたように唇をかんでいた。
「さぁ、お茶をどうぞ」
本堂のなか、座布団に正座する女性にお茶をすすめ、私も向かい合って座る。
住職夫妻は
「ありがとうございます……」
思いつめた表情でお茶を飲む女性。娘さんのことで、深刻に悩んでいるようだ。
「あの……、いきなりこんな相談を申し訳ないのですが、焦ってて」
「大丈夫ですよ」
女性は両手で握っていた湯飲みを膝の上に置くと、思い切ったように顔を上げた。
「娘が……援助交際してるかもしれなくて!!!!」
なんと――。私は一瞬言葉を失くした。
援助交際。俗にいうパパ活というやつか。
「今日も……男性と会ってるかもしれなくて。警察に相談なんかしたら大事になるし、でも、不安で」
「それは心配して当然です。娘さんはおいくつで?」
「十六です。高校生で、今春休み中で。普段からバイトばっかりして、遊び歩いてるような子なんですけど。最近特に様子がおかしくて」
「ほう……」
「やたら高額そうな巻き寿司を買って帰ってきたり、この間なんか高級カニ缶を大量にもらってきて。美味しい? なんて
ほう………………ん?
「春休み前に、部屋で服を色々引っ張り出して、ひとりファッションショーやってたんです。それはいいですけど、気になるのが年上に好まれる服装を真剣に調べていたことで。つい一週間前にも、映画観に行ったってはしゃいでたんですけど、調べてみたらすごい高額なチケットで。「
なんだろう。知っている人の話を聞かされている感覚がする。
「あの、奥さん」
「あ、すみません奥さんじゃないです。シングルマザーなので」
「失礼、お名前は……」
「モモセです。モモセノゾミです」
「モモセさん――娘さんのお名前は、アイさんでは?」
「え――そうです。え、なんで」
肩を強張らせるモモセノゾミさん。
――なんということだ!!!!!!!!
まさかのアイママであった!!!
確かに、よぉく見れば目元や鼻が似ている気がする!! しかしあまりに雰囲気が違うので気づかなかった!! いや、これは普通気がつかない!
「申し訳ございません。アイさんとデ……映画に行った、年上男性はこの私です」
「え」
シン、と時が止まる音が聞こえた気がした。
気まずいことこの上ない。
アイが私とのデートのために服を悩んでくれていたことを知った嬉しさを足しても、私は目の前のアイママに対するお詫びの気持ちでいっぱいだった。
大事なひとり娘が、こんな坊主頭のロボットとデートを。いったいどんな気持ちがするだろう。
「で、でも……アイは、今日も出かけてるんです。遅くなるって言って」
「友達とか、バイトでは?」
「午前から昼過ぎまでバイトだとは言ってました。でも私、昨日あの子が夜な夜な誰かと電話しているのを聞いたんです。聞き取れた単語が「明日、七福駅、内緒、ホテル、楽しみ」で……」
なんと不穏な、それらしい言葉であろうか。
「今日、出かけるとき、あの子が小さい紙袋持っているのを見て。バーバリーの、メンズ向けだと思います。青いリボンついてて。会社行っても、もう気が気じゃなくて。早退したんです」
「しかしその、パパ活なら逆にプレゼントなんてしないのでは」
「いえ。逆に多少高額なプレゼントで相手の気を引いて、もっと大きな利益につなげる、という手かもしれません」
ううん、とあごに手をやって考える。
アイがパパ活を。そんなこと、するわけがない。
そう信じる心と、アイママの証言がせめぎ合う。
今まで見てきたアイの笑顔を思い出す。
どんなことで笑って、どんなことに腹を立て、どんなことで悲しみ、どんなまなざしで、人を見つめるのか――。
「行きましょう」
すっくと立ち上がる私を、アイママ――ノゾミさんは不安げに見上げる。
「街へ、彼女を探しに行くのです」
○○○
「アイがパパ活って。んなわけあるかい」
白鳥さんは心底あきれたような表情で私と、横に立つノゾミママを見て言った。先日、映画の感想とお礼状を送るために教えてもらった、SNSアカウントにダイレクトメッセージを送ったのだ。アイから何か聞いていないかと。
それから数十分もしないうちにやってきた白鳥さんは、ノゾミママの話を不機嫌そうに唇を尖らせて聞いていた。
「確かにウチも、今日のアイの予定は知らんし、男性用のプレゼントに思い当たる点はあらへん。でも、ばかばかしい話や。アイはお金のために
「ええ、私もそう思います。だからこそ、探しに行くのです」
アイの母親が、青ざめるほど娘の行方を心配し、会社を早退しているのだ。放っておくわけにいかない。
「ま、寺のことは僕に任せておけ。僕は、そうだな、アイの裏
風鶯くんはデバイス端末を取り出し、指先を動かし始める。
「なんも出てけぇへんで。
白鳥さんが食いつくのを、風鶯くんは
「ウチはここで張ってるわ。アイが来たら連絡したる。笑うで、あの子」
と、髪をかき上げその場に仁王立ちする。参拝者が見たら、
「すみません、本当に」
街を歩きながら、ノゾミさんは何度も頭を下げた。
「いいのです。アイ殿にはお世話になっておりますから。お母さまのお役に立てて光栄です」
「あの子、まさかお寺で遊んでいたなんて」
そういえば、アイは母親の話はあまりしなかった。彼女が家庭についての思いをこぼしたのは、そう、初めて会ったあの日だけ――。
「あらぁ
聞き馴染みのある声に顔を向ければ、
「こんにちは田中さん。ええ、人を探してまして」
あら、と田中さんは私の横にいるノゾミさんを見やり、口元に手をやる。
「以前、田中さんが寺で会った若い女の子を覚えてますか? 少年ふたりと
「ああ、あの元気な子! 覚えてるわよぉ」
「お母さまが連絡がとれなくて困ってまして。急用があるのにデバイス端末が故障してしまったそうです。ね? お母さん」
「え、ええ」
ノゾミさんは目を伏せる。まさか娘がパパ活をしているかも、とはいえまい。
「あらぁ、大変ね。あの写真まだ残してあるから、私、皆に見せてみるわ」
「それは助かります。今度、お礼しますから」
「うふふぅ、本当かしらぁ~? 期待しちゃうわよ? いいわ、主婦のネットワークの力、見せてあげるわよ」
腕をぱんぱんと叩き、御年五十二歳田中さんはネギのはみ出すエコバッグを揺らしながら小走りに駆けていく。頼もしい。
「お気遣い、ありがとうございます」
今にも泣きそうな顔でうつむくノゾミさん。
「大丈夫ですよ、お母さま。でもいい考えが浮かびました。ちょっと、ご自宅の方へ案内願えますか?」
「ええ、はい……」
不思議そうに目を瞬かせるノゾミさんに、私は微笑を浮かべてうなずいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます