第二十五話 行きて立ち止まり、座り、寝る

「これはいったい何ですか、菩伴和尚ぼはんおしょう


 午後の掃除を終え、夕方の読経のために仏殿へと向かう私を風鶯ふおうくんが呼び止めた。手の平にデバイス端末を乗せている。

 本来腕に付けるデバイス端末を、風鶯ふおうくんはいつもポケットに入れている。住職が理由を訊くと「こんなものをいつも身に付けているなんて、『今ここ』の精神ではありませんから」と答えていた。


 そのシンプルな黒一色の端末機種から画像が浮き出ている。私はそれを見て、ああとうなずく。


「これは神絵師のセンシティブ指定作品ですよ、風鶯和尚」


 風鶯くんのポーカーフェイスが、さらに石のように強張った気がした。

 表示されている画像は、私のSNSのアカウントでも保存、イイね、拡散をした作品だからすぐにそれとわかった。もちろん悦明寺えつめいでらとは別の、副垢ふくアカの方である。


「……バグってんのか?」


「問題は検知されてませんが……」


「仏の教えを会得しようとする者が、こんな煩悩ぼんのうにまみれたハレンチ画像をイイね、拡散するとは不埒千万ふらちせんばん。例えお飾りのロボットであろうと、清浄なる寺の空気を汚すことは許さん。今すぐアカウントごと消去するべし」


 どうやら私の副垢がバレたようだ。住職は面倒くさいのか大目に見てくれているが、風鶯くん的にはアウトらしい。

 私の管理する寺のアカウントから、副垢にたどりついた捜査技術がすごいことはさることながら、一切の不浄をはらおうという信念にも頭が下がる。


 住職から聞いた話によると、風鶯くんは一年前に本山で修行を始め、そのストイックな姿勢で先輩僧侶たちの舌を巻かせたという。私もここ数日は叱られっぱなしである。彼にたじろぐ先輩僧侶たちの姿が目に浮かぶようだ。


 しかし。

 しかし私にも――ゆずれないモノがある!!!!!!


「風鶯和尚。私が神絵師たちの作品を見て感じるのは色欲しきよくではありません。よく、ご覧なさい。感じませんか、絵師たちの息づかいを。己の作品で人の心を動かそうとする、熱意を。官能かんのうとは、生命の美。仏像の目元に、指先の曲線に、彫り師によってこめられた命の色香いろかを、感じることはありませんか? それと同じです。つまりこれらのハレンチイラストは、人の生命力に訴えかける芸術品であるのです」


 合掌がっしょう


「……やっぱり、バグってんな」


 ぼそりとつぶやく風鶯くん。

 けっこう長くしゃべったのに、一ミリも伝わっていないようだ。やはり、まだまだ私には説法の力が足りない。


「ここへ来てまだ六日だが、すでに失望してる。この寺には真剣さがない。老師から『お前が学べることがきっとあるだろう』と言われて来たが、ここで僕が得られるものはなさそうだ。むしろ、ここを立て直すためにつかわされたんじゃないかとさえ思えてきた」


 風鶯くんはうれいをこぼすようにため息つく。

 そう言われてしまえば、否定できないこともある。

 住職は規律を広義こうぎに解釈する傾向があるし、風鶯くんからみれば都合のよい言い訳に聞こえるだろう。住職のスケジュール次第で読経や坐禅の時間がずれたり、短くなったりするし、寺の裏手には俗の象徴、高級車が鎮座している。


 そして私という存在。

『ロボットに何がわかる?』という風鶯くんの言葉に、私は何も反論できないのだ。

 私は飾り。

 住職に後継ぎはいない。この寺を存続させるために、彼が選ばれたのかもしれない。


 それに風鶯くんは恰好かっこうがいいから、私の役目も果たせてしまうだろう。

 そう考えながら彼の整った顔を眺め見て、ふと思った。


「風鶯和尚」


「ん」


「風鶯和尚は、なぜ剃髪ていはつしないのですか?」


 私の問いに、風鶯くんはぐっと顔をしかめた。

 剃髪とは、僧侶が髪を剃り落として、俗世間を捨てて真摯しんしに仏の道へと向かうことを表明することである。

 近年ではそれも様々に解釈され、剃髪しない僧侶は実際に多い。私も否定するつもりなはいが、これほどまでに規律に厳しい風鶯くんが、ヘアスタイルを維持する理由が気になった。


「……マウントかよ」


「いえ、そんなつもりは」


 唇を噛む風鶯くん。げ足をとろうとしたのではないが、痛いところを突かれたのか、彼は悔しそうに下を向く。

 坊主マウントをとってしまったようだ。


 いいじゃない、風鶯くん! カッコイイよ! 先進的でいいと思う!!

 フォローの言葉を考えるうちに、風鶯くんの唇がわずかに動いた。


「僕だって……坊主にしたいんだよ……!!」


 なにか事情があるようだ。


「ふむ、私でよければ話を――」


 話を聞けば、なにかしら解決策を一緒に考えられるかもしれない。そう思って口を開いたとき、表からお呼びがかかった。


はんさーーーーん!!!!」



 本堂を出てみると、広場の中央に金髪ギャルとアッシュギャルが立っているのが見えた。


「アイ殿。スミ殿も――、どうしました?」


 二人でやってくるのは珍しい。

 アイはフードのついた黒いスウェットワンピースに真っ白なスニーカーという、相変わらず可愛らしい健康美スタイルである。白鳥しらとりさんはイメージ通りのセクシーな私服スタイルで、腕を組んで立っていた。


「んーと、二人で遊んでて! 近くに来たから、菩伴さんに挨拶しよって」


「そうでしたか。スミ殿、お久しぶりですね。映画のチケットのお礼をしたいと思っていたので、よかったです」


「ご無沙汰ぶさたしてます禅師ぜんじ。ウチは通常版観たかったんで、気にせんといてください。楽しめたんならよかったわ」


「ええ、それはもう――」


「なんだ、またあんたか」


 雑談に後ろから入ってくる風鶯くん。先日も、アイとおしゃべりしているところを見咎みとがめられ、掃除に引き戻されてしまったのだった。

 アイは後ろ手を組み、気まずげな顔で私にちらり視線を送る。白鳥さんが「この兄ちゃんかい」と小さく言うのが耳に入った。


「ひとり増えてんな……。いいかあんたら、ここは遊び場じゃないんだ。修行中の僧侶を呼び出して無駄にくっちゃべるなんて、自己中にも程がある。出て行ってくれ」


 しっしっ、と手の甲を振る風鶯くん。いくらなんでも、無下むげにしすぎなのでは。


「風鶯和尚、掃除は予定より早く進んでおります。せっかく来てくださった方と、少しだけ話をしても支障はないでしょう」


「だったら、もっときれいにすればいい。決められた時間に、決められたことを集中して行うのが修行。これだけしたから十分、というわけじゃない。それに……」


 風鶯くんはアイと、白鳥さんの露出された太ももに目をやって、深く息をつく。


「こんな格好で寺へ来るやつがあるか。中身の軽薄さを自ら主張しているようなもんだ。まったく、これだから女は嫌なんだ。うるさくて、自己中で。女に心乱す僧侶の気が知れん。ま、僕には関係ないけど」


 戻りますよ、と風鶯くんは足を本堂へと向ける。そこで白鳥さんが口を開いた。


「あんさぁ、兄ちゃん。さっき『ここは遊び場じゃない』って言いはったけど、じゃあ、お寺って何なん?」


 足を止め、風鶯くんが振り返る。


「僧侶の修行、学びの場だ。山門さんもんがあるだろう。あれは俗世間と仏の領域を隔てる境界の役割がある。山門をくぐるなら、それなりの礼儀を持つべきでは。……ま、わかんないか」


「それだけ?」


 白鳥さんが砂利じゃりを踏みしめ、ずいっと風鶯くんに詰め寄る。


「それだけかいな? 自分のことだけに集中かい。はぁー、ずいぶん自己中な集団やなぁ、仏教僧っちゅうのは」


 風鶯くんの眉が寄る。両者にらみ合いの構図ができてしまった。


「ははは、スミ殿。もちろんそれだけではござりませんよ。ねぇ、風鶯和尚? ありがたいお経が我々にはありますから。お墓の管理もけ負いますし、供養くようもお任せあれですし、ね?」


 私は風鶯くんに視線を送る。ね? ね? と、開いた目で訴えかける。

 彼は口を曲げたまま私をにらんでいたが、やがて目を閉じ、一呼吸した。


「……死後のことだけじゃない。釈尊しゃくそんは、人が苦しまずに生きるための教えを説いた。どんな生まれの者でも、心安らかに生きるための教えだ。寺の起源はもともとは地域のコミュニティー。釈尊の教えに基づき、人々が学び、交流し、助け合うための場所――だった」


 風鶯くんは瞼を開け、白鳥さんと目を合わせる。


「誰にでも開かれた門。悩める者の駆け込み寺。本来は、そうあるべきだ」


 腕を組んだまま無言でうなずく白鳥さん。

 私もほっと胸を撫でおろす気分だった。よかった。風鶯くんは閉塞的な考えしか持っていないのではなかった。本人の口から、私と同じ想いを聞けたことに安堵あんどする。


「そう……」


 やわらいだ空気もつかの間。風鶯くんは額に手を当てうなだれる。


「そうだ。、なんだ。しかしそれは理想論。実際にはコミュニティーの役割はすたれ、寺の存在意義は薄くなるばかり……!」


「え、え、ちょっと、風鶯和尚?」


 ぶつぶつと独り言を始める風鶯くん。にわかに暗雲がたちこめる!!


「敷居だけが高くなる寺に、届かぬ悩める民の声。人々の信仰は薄れる一方。かく言う僕も、生家せいかに仏壇などなく、仏教とは偶像崇拝ぐうぞうすうはいの宗教のひとつという認識でいた! 僧侶は減り、檀家だんかも減り、寺はまさに葬儀屋頼り……! ああ……!」


「風鶯和尚!? ちょ、風鶯くーーん!!」


「そして僕はいつの間にか……視野が狭くなっていた。しかもそれを……その辺のギャル娘に気づかされるなんて……」


 おい! と白鳥さん。

 私は腰を折る風鶯くんの両肩を掴み、強引に引き上げた。


「風鶯和尚!! しっかりするのです! あなたは本山での厳しい修行に耐え、老師から直々にこの悦明寺への派遣を仰せつかったのでしょう? 立派ではないですか!」


「菩伴和尚……」


 風鶯くんの瞳に私が映る。


一息いっそくに生きる――今、この瞬間にすべてを注ぐ。先のことを憂い、自分のコントロールできないことを嘆くのはやめにして、どんなに小さなことでも、できることをやりましょうよ。我々は門を開き、道を掃き、人を待つのです」


開径待佳賓みちをひらきてかひんをまつ――。そうか、そうだな……」


 風鶯くんは自分のたなごころを見下ろし、振り切ったように顔を上げた。なびく前髪の間から、意思の強そうな眉が見えた。


「えーっと。アイ、これからも来ていいってことでオッケー?」


 後ろ手を組んだままのアイが、ちょっと不安げな表情で私と風鶯くんを交互に見る。風鶯くんは頭をかきつつうなずいた。


「……悪かったな、追い出すようなことして。節度は保ってほしいが、まぁ、好きにしてくれ。……節度ってわかるか?」


「わかるし!! あれでしょ、その……いい感じの具合ってことでしょ!! アイだって迷惑かけたくないし、忙しかったらそう言ってくれていいし!」


 ぐっ、と親指を立てるアイ。

 本当に大丈夫か、と言いたげな顔でうなずく風鶯くん。



 風鶯くんの許可が下りたことに満足げな表情を浮かべ、アイと白鳥さんは帰って行った。これからカラオケに行くらしい。本当に、ただふらっと寄り道したようだ。これからも安心して迎えられるのは、私としても嬉しい。


「ありがとう、風鶯和尚。話を聞き入れてくださったこと、感謝します」


 風鶯くんはふいっと視線をそらし、腕を組む。


「別に、僕が支配権を持っていることじゃない。それに……礼を言うべきなのは僕の方だ」


「ふふ。風鶯和尚、さっきの彼女たちのようなギャルとは、今まで接点がなかったのでは?」


「ああ、ないね。絡まれても基本スルーしてたからな、学生時代は。女たちのなかでも特にうるさくて軽率な連中だと思ってたけど……意外に芯があるな」


 おお。風鶯くんのなかでギャルに対する認識が変わりつつあるようだ。なんだか私も嬉しい。推しの布教に成功した感である。


「あなたなら、さぞおモテになったことでしょうね。あなたは女性に興味なさそうですが」


 はかまを着た、華やかな女子たちの黄色い声にも無頓着な、学ラン姿の風鶯くんを想像する。なぜ大正風のイメージで浮かぶのかわからないが、硬派な風鶯くんらしくて、うむ、なかなかよいである。


「女は苦手だ。僕の上辺だけ見て寄ってきては騒ぐ。……父親も、僕の表面しか見ていないんだ」


 前を見たまま声を低める風鶯くん。先ほど口にした話から、仏教とは関わりの薄い家庭で生まれ育ったことがわかる。

 その彼がこうして僧侶になっていることが、父親との関係に問題を起こしているのだろうか。


「菩伴和尚、僕がなぜ剃髪しないか訊いたな。父親との約束のためだ。父親は企業の社長で、僕に後を継がせる気なんだ。

 僕はいい看板でね、今でも取引先との社交の場に強制で連れて行かれる。剃髪しないことを条件に、僧侶になることを許されたんだ。しかし期限付きで。三年修行して悟れなかったら、僕は父親の後を継ぐ」


 なるほど。風鶯くんが今時のヘアスタイルでいるのには、そんな事情があったのか。しかし期限付きで修行とは。それはストイックにもなるというもの。


「父親は、気まぐれの遊びだとでも思ってんだろう。でも僕は本気だ。悟ったと嘘をつくことはできるかもしれない。しかしそんなこと、僕自身が許せない。だから僕は……一日も無駄にできないんだ」


 固く拳を握る風鶯くん。

 私はそんな彼の、強張った肩をぽんと叩いた。


「風鶯和尚。焦らずに。偉大な老師たちが遺した言葉には、自然の悠々ゆうゆうとした姿を表現したものが多いですよね。風や鳥の声を感じながら、大地にどっかりすわっていれば――きっと、そんな老師たち、釈尊の境地に立つことができるでしょう。私はそう思います」


 悟りは突然に訪れるという。


「先ほどの金髪ショートヘアの彼女――アイ殿が言っていたでしょう? 『いい感じの具合』と。私は彼女に会って、そのいい感じな具合を肌で学びました。

 以前は「こうあるべき」という考えにとらわれがちでしたが、近頃では自由な見方ができるようになってきました。揺れる心でもいい、そう思えます。また真っすぐに戻れば、そこが節となって、そこから成長できる。

 固いだけなら竹は折れる。節があるから、竹はしなやかに伸び続けることができる」


私はアイに、しなやかな心を教えてもらったのだ。


「極端に寄らない。……釈尊の説いた「中道ちゅうどう」か。頭じゃわかるんだけどな。やっぱ、自分で歩いてみないとな……」


「ええ、歩いていきましょう。たまにはスキップでもしながら」


 スキップ、と不服そうな顔でこちらを向いた風鶯くんは、私が浮かべる笑みを見ると、ふん、と鼻を鳴らして笑ったのだった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る