第二十四話 本山からきたエリート僧侶

 そして翌朝。

 掃除を終え、仏像にお茶をお供えした私は、朝の読経のために本堂にいた。開始までのわずかな時間に、広縁ひろえんに立ち庭を眺める。

 清々しい気持ちで空気を腹に送っていると、突如カンカンカン、というけたたましい音が耳に響いた。


「これは……木版もっぱんの音」


 寺には、僧侶に坐禅や食事の時刻、開始を知らせるために打ち鳴らす木の板がある。しかし近年では滅多に使わない。近所迷惑だし、この寺には私と住職夫妻しかいないため、そんな昔の形式を住職はやる必要はないと判断したのである。


「いったい誰が……」


 アイにしては時間が早すぎる。近所のやからのいたずらだろうか。

 私は急いで、木版のある僧堂へと向かった。

 そして聞こえてきた、張りのあるクソデカボイス。


新到しんとうーーたぁのぉーーーーむ!!!!!!」


 その雄叫おたけびと、僧堂の前にいる人物を目にしたのは同時だった。

 僧侶と思わしき後ろ姿が立っている。

 私はちょっと首をひねって、声をかけた。


「もし……なにか御用でしょうか」


 笠をかぶった頭が振り返る。

 昨日私が来ていたのと同じ、行脚あんぎゃ装束に身を包んでいる。坐蒲ざふを持ち、肩から下げた丸紐まるひもには、頭陀袋ずだぶくろを始め袈裟行李けさこうり、食器と、マニュアル通りの重量感あふれる荷物がくくられていた。


 はて。これはどうしたことか。

 状況から導き出される考えは、私を少し戸惑わせた。そして逡巡しゅんじゅんする私に、その僧侶が叫んだ。


「来るのが早ぁぁぁぁぁぁい!!!!!!」


 僧侶の怒号に、境内けいだいにいる鳥たちが驚いて飛び立つ。

 来るのが早いと怒られてしまった。

 やはり、この僧侶は――。


「おぉ、もう来たか。昼過ぎ頃かと思っていたが、さすがだな。はっはっは」


 がらりと僧堂の玄関が開き、現れた住職が僧侶を見て言った。


和尚おしょう、この方は……」


 別段驚くこともない住職。言動から察するに、僧侶が来るのがわかっていたようである。住職は私に視線をずらすと、あくびをかみ殺すような顔で言った。


「あー、菩伴ぼはん。こちらは本山ほんざんから来たフオウくんだ。今日からこの寺に入る。まぁ、仲良くやってくれ」


 紹介された僧侶は、私に構わず住職に身を向けると、ぴしっと背を伸ばした。


丹英たんえい和尚。私はフオウと申します。かぜうぐいすと書いて風鶯ふおうです。悟りを極めるため、この悦明寺えつめいでらに置いていただきたく参りました」


「あぁ、あー……」


 住職はあごをくと、ごほんと咳払いする。


「うむ、こころざしは立派だが、我らも人々の布施ふせに頼る身。さらに一人受け入れる余裕はなく……」


「そこをなんとか。この風鶯ふおう、許可が下りるまで動きませぬ」


 棒読みの住職に対し、僧侶は熱のこもった言葉で頭を下げる。

 これは、新たに寺に修行僧として入る際に見られる儀式だ。断る寺側と固い決意を見せる入門者。宗派によってはここから飲み食いなしの粘りが始まるのだが、結局寺は仏の道を選んだ者を受け入れる。

 これも今は形式ばかりとなった古来の伝統だ。


「うむ。ではこの寺にて修行するがよい。日々の精進、忘れるでないぞ」


 きりっと顔であっさりうなずく住職。恐らく内心、早くこのやり取りを終わらせたいのだろう。

 風鶯という僧侶は、物足りないらしくちょっと無言になり、しかしあきらめたのか合掌がっしょうして礼を述べた。


「ということで菩伴、部屋へ案内してやってくれ。読経はなしだ、二人とも中食昼めしに間に合うように」


「かしこまりました」


 数日前に使っていない部屋の掃除を言いつけられた理由が今わかった。

 私は風鶯くんに向き直る。


「私は菩伴と申します。風鶯和尚、よろしくお願いします」


 本来ド新人は和尚付けで呼ばないが、風鶯くんは本山で修行していたというから無難に呼んでおく。

 風鶯くんは無言で笠を取った。

 さら、と前髪が流れる。黒髪ショートヘアの、ファッション雑誌の表紙を飾れそうな青年の素顔が現れた。二十代前半だろうか。


 どこか冷めた雰囲気の黒い瞳が私を見据える。愛想を感じない、引き結んだ唇が静かに動いた。


「ふん。話には聞いていたが、本当に人間と見分けがつかないな。アンドロイド僧侶、ね。ロボットに仏の教えの何がわかるんだか。まぁ、僕には関係ないけど」




         ○○○




 春休みが始まって一週間が経った。

 アイは今、スミちゃんとスタバ中。


「抹茶ラテはやっぱ甘いなぁ。おいしいけど少しでええわ。アイと同じ桜ティーにしときゃよかったわ」


 スミちゃんはカップに半分くらい残っている抹茶色をぐるぐる回す。ネイルは豹柄。ベージュのリブニットワンピに黒のショートブーツ。耳たぶに揺れる大ぶりなピアス。スミちゃんの私服はザ・お姉ギャルって感じでかっこいい。


「あはは、この間、菩伴さんも抹茶ラテ飲んでたよ! 甘いですね、って口からたらしてた」


禅師ぜんじ……口元緩いんか? 見かけによらず、どんくさいねんな」


「あ、うん、そうだね。ストロー慣れてなかったのかも!」


 そうやな、と納得するスミちゃん。

 ふぅ、と心のなかで一息つく。危ない危ない。スミちゃんは菩伴さんがロボットだってことを知らないんだった。

 お仕事上、あまりロボットであることを知られない方がいいらしいことは聞いている。スミちゃんなら悪いようにはならないと思うけど、アイの勝手で菩伴さんに迷惑はかけられない。


「で、どうやったん? 禅師さんとのデートは」


「デ、デートっていうか……あれは」


 ずいっと身を乗り出すスミちゃんに、思わず肩を縮めてストローを噛む。なんかドキッとした。


「なんや、デートちゃうかったん? アイ的には」


「デートです……。うん、デートだったよ!!」


 そうだ。途中で気付いたんだよ。なにを言い訳しようとしてるんだろ、アイのバカ。


「だってね、着ていく服めっっっちゃ悩んだし! 悩みすぎてワケわかんなくなって、もう好きな服着ようってなって」


 でもちょっと女らしさ意識したりしてさ。


「そしたらさ、菩伴さんも気合い入れた格好してきてさ。昔の版画とかに出てきそうな超本格的なやつ! ビビったけど嬉しくなっちゃてさ!」


 笠でアゴしか見えないのは嫌だったけど。


「一緒にご飯食べるのが普通の友達とはなんか違う嬉しさでさ、映画館では女の人に囲まれてんのにイラっときちゃったりしてさ! ふんだくってやったし!」


 その人に触んないで! って思っちゃったよね。アイのもんじゃないんだけどさ。


「そのあとゲーセン行ってね、プリ撮ってさ! 笑い死にするかもってくらい笑ったし! 菩伴さんクレーンゲームで超マジになってて、そんで取れたやつくれたんだ!」


 顔面を面白加工してないプリ写真はこっそりデバイスにダウンロードして、何度も眺めてる。とってくれたユルキャラぬいぐるみは部屋の目につくとこに飾ってる。


「それからメンズ服売り場に行ってさ、菩伴さんに洋服着せてみたりしてさ。ちょっとキュンってなっちゃったし! うわーかっこよ! って」


 アイ、シャツのえりからチラリズムする鎖骨さこつにぐっとくるんだよね。同年代の男子には何も感じないんだけど……菩伴さんは大人の男って感じでかっこよかったな。


「だからね、スミちゃん。……ありがとう!!」


 スミちゃんは頬杖ついて、アイの一方的なおしゃべりを微笑を浮かべて聞いていた。アイが楽しかったことを喜んでくれてる感じがして、嬉しさと、友達になってくれてありがとうっていう感謝の気持ちがあふれてくる。

 今のありがとうには、色々な意味がこめられている。もう全部ひっくるめてのありがとう。伝わるかな。

 スミちゃんはいっそう目を細めて、水滴のたくさんついた抹茶ラテのカップを手に取った。


「うまいこといってよかったわ。あー、甘いなぁ」


 ストローでひと口すすって笑う。


「そんで、次の約束はしたん? 禅師さんは奥手っぽいからな。またアイから誘ってあげな」


「んんー、やんわりと。また行こうねとは言ったけど。今菩伴さん、なんか大変そうでさ」


「へぇ、法事とか?」


 実は一昨日に悦明寺へ行ったのだ。


「なんかホンザンってところから、ひとり新しい人が来たんだって。話してるうちにその人が歩いて来たんだけど、なんか口調強めで菩伴さんに当たってて。アイ、追い出された感じ」


 ぺこりと、すまなそうにアイに頭を下げた菩伴さん。


「ふーん。お寺も色々人間関係難しそうやな。なんやろ、住職候補?」


「わかんない。でも若い人だったよ。髪生えてた! 近寄り難い美青年って感じ。規則が、規律が、って言ってた」


「へぇ。事情はわからんけど、面倒そうやな。菩伴さんはだいぶ穏やか系やし。相反あいはんする二人……空海くうかい最澄さいちょうみたいやな。燃えるわ」


 ちょっと面白そうなスミちゃん。アイは、今までのように菩伴さんとおしゃべりできなくなるかも、って心配なんだけど。


 またデートなんてできるのかな。考えつつ桜ティーをすすっていると、ゴゴゴ、とスミちゃんが抹茶ラテを吸いつくす音が響いた。ぷはー、と息をつき、スミちゃんは腰を上げる。


「ほな、行ってみよか」




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