第二十二話 映画とジェラシー
目を開くと私は宇宙空間に立っていた。前から光る物体が向かってきたと思ったら制作会社のロゴマークであった。映画が始まる前のアレである。
注意事項の説明が流れたあと、視界は暗転、大きな山の頂上を見下ろす映像になる。森林に囲まれ佇む寺の
本堂に当たるものなのだろう、
「来よったな!! 武士
堀の深い、
「わっ、わわっ!!」
「アイ殿」
「わっ、ちょちょ、刺さる! え、これ大丈夫!?」
「大丈夫ですよ。映画ですから」
なるほど開始早々、観客を驚かせる展開だ。私はこの映像に溶け入るような感覚が、割とネットワーク世界を漂うときと似ていて妙に落ち着いてしまう。
目をぱちぱちさせるアイの真横を、さきほどの堀深イケメン僧侶が手にした
わぁぁ、と響く怒号。森のなかから刀を持った武装した兵が押し寄せてくる。
「うわっ、くる! くるよ
おろおろと
「は、はさまれるぅぅぅ!!」
「ですからアイ殿、これは映像ですからだいじょ――」
だいぶ
飛び込んできたアイは身を縮めて、顔を私の胸に埋めている。
私は「じょ」の口の形のまま硬直した。
こ、これは……!!?
地鳴りのような怒号をかき消し、響くのはソウルフルな歌声のあのラブソング。
落ち着け菩伴!! 空耳だ!! 自分都合のミュージックエフェクトだ!!
これは衝突事故だ!! ラッキースケベに近い!!!
「あれ!! ごめん!」
顔を上げたアイに、私はさまよわせていた両手をさっと頭の後ろで組んだ。
決して肩を抱こうなどと思ったのではない!!!
「なんか
身を離して爆笑するアイ。
ほら、ラッキースケベだった。
口笛を吹きながら私はうなずいた。
「生き残りは我だけか……無念……」
激しい合戦のあと。焼け落ちた本堂にひとり膝をつく堀深僧侶。
ハプニングのせいで途中観ていなかったが、この鋼のような男がこの映画の主人公で間違いなさそうだ。
僧侶の前には奇跡的に残った仏像が立っている。左手に薬壺――
「おのれ
仏像の前の
なんとなく離れた場所から見ていた私とアイ。
アイは流れるBGMが悲壮感のあるものから
その後は修行や仲間との出会い、別れを乗り越え、ついに最終ボスへとたどり着く主人公僧侶。数百年燃え続ける
「凄かったねー最初はマジビビったけど! 面白かった!」
ゴーグルを取り、
「ええ。アイ殿はすっかり入り込んでいましたね」
「だってさー仕方ないっしょ! 臨場感やばいよこれ! 仲間のなんとか武将さんとの別れのシーンとかマジ泣けたし! アイ、ずっととなりにいたのにさ!」
扉が開いて現れた案内係にゴーグルを渡し、部屋を出て廊下を歩く間、アイは熱っぽく映画を振り返っていた。
そう。鑑賞中、アイは僧侶の仲間である武将の近くにずっといたのだ。豪快だが知性もある渋いおじ様であった。アイは、ああいう殿方が好みなのだろうか。
気持ち眉と目元をきりっと引きしめつつ、アイの話に相づちをうつ。がはは、と歯を見せ笑うタイミングを計っていると、
「あのっ! 写真撮ってください!!」
と横から声をかけられた。
見れば中学生くらいの女子が、合わせた両手の先をあごに当て、私を見上げて立っていた。その後ろにも友達らしき女子が三人、パンフ片手にこちらを見ている。賑わっていると思ったら、グッズ売り場の前であった。
「あ、はい。いいですよ。端末をどうぞ」
友達四人で集合写真を撮りたいのだろう。そう判断した私は声をかけてきた女子の腕にあるバングル型デバイス端末に手の平を向ける。すると彼女は両手を振った。
「違くて! お兄さんと一緒に撮りたいんですっ!!」
――なに!!? そっちか!!
寺の外で写真を頼まれるとは予想外であったが、女の子の持つパンフを見て悟る。表紙では笠をかぶった、修行用の白装束に身を包んだイケメン僧侶が
「いや、あのさ――」
「はい、喜んで」
アイが何か言いかけるのと私がうなずいたのは同時だった。
やったぁありがとうございます! とはしゃぐ少女たちの間に立つ。仕事モードで顔面をキメ、合掌する。女の子は細いメジャーのような形状の自撮り用具を使って、楽しげに何枚か撮った。
「あのう、私も」
「私もお願い~!」
あっという間にできる人だかり、身を寄せてくる女性たち。向けられるレンズの気配。どこを見ればいいかわからなくなり、私は身動きもとれずに立ち尽くした。
映画の主人公俳優はワイルドな魅力の持ち主で、私は似ても似つかないと思うのだが……。
増える人だかりに戸惑いを覚えたとき、私の腕を掴む手があった。その手が私をぐいと引く。
「はいはいはい! 終わり終わり! このヒト一般人だからさ!!」
人だかりから私を引っ張り出したアイは、ついてこようとする数人の女性から私を引き離すように、掴んだ腕に自分の腕を回して足早に歩きだした。
残された女性たちに
厳しい口調と腕の力がなんだか怖くて、アイの方を見れなかった。
映画館を出てもアイは無言だった。
怒っているようだ。緩い坂道を下りながら、私はこの張り詰めた空気を
「いやはや、びっくりしましたな。コスプレだと思われたようです。皆さますっかり映画の世界に魅了されたようですな。僧侶ブームがきますかね?」
「……アイ殿?」
顔を向け、アイの頭のてっぺんを見下ろす。
そこでアイが立ち止まった。はー、と息を吐き、吸うと同時に顔を上げた。
「もーさぁ、あのさぁ! なに対応しちゃってんの! 『はい喜んで』って、仕事じゃないんだからさ! さっき菩伴さんが言ったんだよ!? 今日は楽しむって!」
私は気づいた。
女性たちの要望に応えることで、アイとの時間をないがしろにしてしまったことに。くせとはいえ、アイのことを考えていなかったのは事実だ。
「申し訳ございません……。せっかく、アイ殿が私のために時間をつくってくださったのに。私が愚かでした」
本当に、私という者は。
大事にしたい人に好かれたいと望みながら、その人の心を思えないなんて。
なんと未熟なのだろうか。
私を見上げる、怒ったような瞳に向かって、こぼれ出る心のままの言葉。
それ以上何も言えないでいると、アイの目がふっと緩んだ。
その瞬間、私の中の何かが跳ね上がる。
「わかったらよーし!! そうだよ、せっかくのデートなんだからさ! サービス精神は置いといて、ちゃんと今を楽しんでよね!!」
――デッ!!!!?
「デ……デデデデデデd」
「デート!! デートでしょこれ! アイが誘ったデート! そういうことにしよ! あー、スッキリした!!」
なにがスッキリなのかわからないが、アイは確かに晴々とした顔で笑った。
「ね?」
つやつやにきらめく唇を横に伸ばして首を傾げる。陽に当たった頬はほんのり桃色で。黒い瞳はすぐ近くで私を見上げている。
か――。
わなつく我が唇。
――かわうぃい!!!!!!!!!
かわいすぎるではないか!!! 反則だ!!!!
「は……はふぃ」
腕を組んだ体勢のため密着するからだ。
私は温度を感じないはずなのだが、二の腕がもぎ取れそうなほどのエネルギーを感じていた。
そしてこの図は……まさしくデート中のカップル。
「じゃ、行こっか! まだまだ遊ぶよ! こっからデート! アイに集中! はい集中!」
「はふぃ」
アイは組んでいた腕を解き、私の手首を掴んで歩き出した。
アイがまた笑ってくれた。
安堵と歓喜が同時に訪れると、まるで天地がひっくり返るような感覚になるものなんだと、先ほどの心が躍動した瞬間を思った。そして私は天を歩くかのごとく、地に足つかない浮遊感のままアイに引っ張られている。
そういえば。映画の中でもアイは、主人公一行の最後尾で、遅れがちな私の手をとって楽しそうに笑っていたのだった。
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