第二十一話 初めてのオシャレカフェ

 アイの横を歩きながら、私は落ち着きなく視線を四方八方へ向けていた。


「おお……!」


 店先に商品が山積みになっている薬局の手書きポップ、異世界のようなパチンコスロット店の電子音、みんな大好き牛丼屋。


「おぉお……!!」


 大勢の人を乗せたバス、なぜここに作ったのか不明な噴水、花屋、コンビニ、準備中の看板の下がる居酒屋チェーン店、美容院……。

 目に入るもの全てが新鮮だった。画像データとして見知っていたものだが、実際に歩きながら目にすると臨場感がまるで違う。

 小さな古本屋の奥に眼鏡をかけたご老人が座っているのが見えたときなど、思わず「アイ殿!! 本物の古本屋のじいさまです!!」と興奮気味に話しかけてしまった。


「うん……そうだね……」


 しかしアイはどこか気のない返事。

 アイにしてみれば見慣れた光景である、当然の反応だ。いちいちうるさかっただろうか。

 きょろきょろと忙しなく頭を動かすなど、山奥から下りてきた田舎いなか者もいいところであろう。気づけば行き交う人々は皆、私にちらりと送っている。


 これでは一緒に歩くのが恥ずかしくて当たり前だ。

 はしゃぎすぎてしまった。己を客観視できなくなっていたことに気づく。


 気持ちを落ち着けるため、視線を下に向けて目を半開きにする。坐禅ざぜんを組むときや庭を眺めるときと同じだ。周りの環境に心乱してはならない。いつも、内では静かな水面を保つのだ。


「すみませんアイ殿。少々、黙っておき――」


「あーーもうっ! やっぱ無理!!」


 突如立ち止まるアイに私も足をとめる。

 無理とは。やはり私と街を歩くのが嫌になったのか。

 重ねて詫びようと合掌したその瞬間、私の視界は真っ白になった。


「――!?」


 まぶしい白さのあとに、街の情景が浮かんでくる。そして目の前にはアイが私の笠を持って立っていた。どうやら笠をはぎ取られたらしい。


「これでよーし!!」


 アイの瞳がまっすぐに私をとらえる。


「やっぱ顔が見えなきゃ!!」


 笠を私に押し付けアイが笑う。

 その唇が、いつもと違う質感できらめいていることに、私はそのとき気がついた。目尻にもほんのり色がのせてある。春らしい化粧をしてきたのであろう。

 なるほど笠をかぶっていたのは間違いであった。

 こんなに可愛らしい今日のアイが、見えていなかったのだから。


「ほんじゃ、まずはご飯食べに行くよ!! 行ってみたかったカフェあるんだよね!」


 私の手首を掴んで歩き出すアイ。引っ張られるように私はその後について行く。なんだか情けない光景のようにも思えるが、なぜだろう、楽しい気分だった。



 アイに連れられて入ったのはヨーロッパの小さな一軒家風のカフェで、内装もお菓子の家のような配色でオシャレ可愛いものだった。

 女性店員は私たちを見て一瞬固まったように見えたが、すぐに素敵な笑顔で庭を眺められる席へと案内してくれた。


 メニューにはマクロビオテック、ヴィーガンの文字があり、私のような食事に制限のある者でも選べるものが多かった。

 しかしどれもなかなかいいお値段だ。

 住職が「必要になることもあるだろう」と送金してくれたため無一文ではない。これは習慣ともいえることで、修行僧が旅に出るとき、万が一もしものことがあれば、見知らぬ人の手をわずらわせた礼として受け取ってもらうためのお金を持たせるのだ。


 食事に使うのも気が引ける。少しばかり相場が高いが炭酸水などで済まそうか。いや、しかしそれではアイが食事を楽しめないであろう。

 そんなことを考えていると、アイが「迷ってんならアイと同じやつにしよ!」と言ってあっさり注文してしまった。


「お待たせしました。ヴィーガンランチセットです」


 店員さんが運んできてくれたのは様々な総菜が少量ずつ盛られた一皿に、玄米と味噌汁がついたオサレな定食だった。


「やば! 超ヘルシーでオシャレ! 何料理かわかんないけど!」


 確かに、見た目ではどんな味がするのかわからない料理もある。創作料理は家庭向け調理マシンでも苦手分野なので、料理人のセンスが出せるところだ。

 アイは手を合わせ、「あ」と私を見る。


「長いいただきます、するよね?」


 のことだろう。私は首を振る。


「このお昼ご飯は修行としてではなく、アイ殿と楽しむためのものです。なので――飛ばし、です」


 先日の住職の言葉を借りる。にやり笑う私に、アイはきょとんと目を丸くしたあと、にっと笑った。


「そっか!! じゃ、いただきます!!」


 はしを取るアイ。何から食べようかと眺めている。

 私も合掌し、胸の内で感謝の言葉を述べてはしを取った。


「おいしー! このマリネっぽいやつ、ゆり根って野菜だよねたぶん! メニューに書いてる!」


「多品目で楽しい一皿ですね」


 私は一番右上にある総菜にはしを伸ばした。これはキッシュだろう。タルト型の生地に卵ベースの液と野菜やベーコンを混ぜたものを入れ焼き上げたフランスの家庭料理だ。これもヴィーガン仕様らしい。

 薄めにカットされているのを切り崩し口へ運ぶ。ほうれん草がたっぷり入っていて栄養価が高そうだ。うむ、女性が好みそうな一品である。

 続けて添えてあるプチトマトのソテーに狙いを定める。はしで掴み、引き上げようとしたところ。ばつんっ。トマトが皿の上へぼとりと落ちる。


 もう一度はしを伸ばし、強すぎない圧力でトマトを挟み慎重に持ち上げる。口元へ運ぼうとするが、またしてもトマトはつるんとすべって落下した。


「……くっ」


 いまだにはしを使うのは苦手である。最近やっと煮豆を掴めるようになって満足していたが、ここにも強敵がいたとは。

 食べ物を掴み損ねて落とすのは恰好がよろしいことではない。こんなところを見られては……。ちらりとアイに目を向けた私は、うっかりはしを落としそうになった。


 薄くスライスされ、味噌だれのかかったナスをくるりと華麗にひと巻きにし口へ運ぶアイ。玄米の入った茶碗を持つ手はまるで仏が結ぶ印相いんそうのように優雅で、背筋もしなやかに無理なく真っすぐとしている。はしの持ち方も完璧だ。


ふつくしい美しい……」


 我知らずこぼれ出るつぶやき。


「え、なんか言った?」


「い、いえなにも」


 しまった。つい見入ってしまった。


「全然食べてないじゃん。食べちゃだめなのあった?」


「大丈夫です。……トマトがうまく掴めず」


 私は皿の中央でうずくまるプチトマトを見下ろす。二度も落とされてしょげているように見える。


「そっか、菩伴さんおはし練習中だもんね! じゃあさ、こうしたら?」


 アイは自分の皿のトマトをはしで挟むと、そのまま軽く潰した。そしてひと口大に切り分けたキッシュにのせる。


「おお……!!」


 私はアイのやった通りにトマトを潰し、キッシュにのせて掴み上げた。なるほどこれなら、トマトは食べられるし、トマトから出た汁もキッシュに吸われて垂れ落ちない。キッシュも一味違った味わいになる。


「食べれました……」


 マナーは悪いが突き刺すか、すくい上げるかしかないかと、思い悩んでいたのが嘘のようにあっけなく解決した。


「ね!!」


 呆ける私にアイは、キッシュを口へ運んで美味しそうにほほ笑んだ。


 なんのことはない。アイにとっては簡単なことだろう。でも私と同じ目線に立ってくれたのが嬉しく、恥じる気持ちはどこかへ行ってしまった。

 ちなみに、おしゃれすぎるカトラリーボックスのなかにフォークがあるのを発見したのは楽しく食事を終えたあとだった。


 住職からお金を頂いていることを伝えると、アイは迷いなく「別々のお会計で!!」と店員に会計を頼んだ。

 店を出て映画館に向かう間、アイのおしゃべりは止まらなかった。

 今のカフェのこと、学校のこと、バイトのこと、最近見た面白い動画のこと……。笑ったり、むくれたり、また笑ったり。ころころ変わる表情を眺めながら次々にあふれ出る言葉を聞くのはとても心地が良く、私は街の景色を見るのも忘れてうなずいてばかりいた。



 映画館はシックな内装で、独特な暗さのなか、私は場慣れした風に颯爽さっそうと歩くアイの後ろをついて行くように絨毯じゅうたんの上を歩いた。

 人々の私に向ける視線は相変わらず多かったが、街なかに比べるとどこか明るかった。気づかわしげにちらりと視線を向けるのでなく、微笑を浮かべている。

 そのわけはすぐにわかった。


「おお、気合入ってますねー。さすがVR版のお客様です。それを選んだ笑いのセンスもイケてますね!」


 案内の男性がこう言って、白い手袋の親指を立てるのを見て合点がいった。

 今日観る映画のタイトルは「・ラストボウズ」。僧侶コスプレをしてきたと思われたらしい。


 個室のなかは広く、アイは「やば! 教室くらいあるし! ウケる!」とはしゃいでいた。

 案内員からVRゴーグルを受け取ると扉は閉められた。クッション性のある壁に囲まれた異質な空間。私はアイとふたりで閉じ込められたような思いがした。確かこんなホラー映画があった気がする。


 想像とは違ったどきどき感を覚えながらアイを見ると、既にゴーグルを装着していた。

 私のことは見えていないのか、こちらを向いていても視線は違う場所を見ている風だ。


 いやぁひとりにしないで!!!!

 私も慌ててゴーグルを装着した。




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