第二十話 デートの勝負服

 えらいことになった。


 ここ数日、私はかつてないほど混乱していた。

 何をしていても浮かぶのはあの、黒い封筒を見せられたときだ。映画を観に行こうという言葉を聞いた瞬間、駆け巡る思考に処理が間に合わずフリーズ状態に陥ってしまったのだ。


 アイに誘われた。

 男女が二人きりで映画を観に行く。一般的にはこれは「デート」と呼ばれる行事イベントに当たる。

 アイは私とデートしようというのだろうか。

 しかし待て。

 待てよ私。落ち着け私。冷静になるのだ。

 私は見た目は男性だがロボットである。アイも知っていることだ。


 頼られているからといってうぬぼれてはいけない。

 アイは交友関係にかたよりがない。男女交じって遊びに行くこともよくあると言っていた。映画に誘われたからといって、自分がアイの恋愛対象に入っているなどと思うのは勘違いもはなはだしい。超恥ずかしい。


 私は読経に専念した。いつもはSNSを開くような空き時間も、偏った思考を整えるべく、経典を広げて己に読み聞かせた。

 シンプルに。広い視野で。


 アイは日頃のお礼に、と言った。

 それならば受ける他ないと、あの時素直にうなずいたのではないか。

 ありのままでよかったのだ。

 アイは迷惑をかけてないかと心配していた。アイなりの感謝の気持ちなのだ。


 深呼吸をひとつし、私は経典を閉じた。

 今私は偏りなく、水面のごとく心は静かだ。


 住職には街を見て回りたいと言ったところ、「そうか、わかった。お前も僧侶の端くれ。真似事まねごとでも、入鄽垂手にってんすいしゅを実践してみるがよい」と外出を許可してくれた。

 入鄽垂手とは、街なかに出て人々と接し、手を差し伸べたり悟りを深めたりすることである。最近経典を取りつかれたように読んでいたので、「なんかすごいやる気」に見えたのだろう。

 ちょっと心苦しいが、致し方ない。アイに誘われたとは言えなかったのだ。反対されるだろうし、最悪廃棄処理スクラップ逝きだ。


 アイとの約束は明日。

 ふと思いつき、布団に正座した格好で腕のデバイス端末に触れる。アイと観る予定の映画を調べてみようと思った。

 ネタバレしない程度に出演俳優や見どころをおさえて、ギャルっ子との感想言い合い会に備えなければ。


 VR版だからどうのこうの、と言っていた気がする。上の空でその辺はあまり聞いていなかった。「・ラストボウズ VR」と入力し出てきた情報に目を走らせる。そしてある一文を私は目にした。


「VR版は個室での鑑賞となる。二人で楽しめるのでカップルに人気」


 カッッッッッッッッッップル!!!!??


 カップルとは……カポォーのことでござるか!!!??

 カップル。確かにあのカップル。紛れもなくカップル。

 カップル…………。

 カップルという文字が頭の中を埋め尽くす。


 自分が何を考えているのかわからなくなり、視線は浮かび上がる画面を漂う。

 カップルとは……カップルとは……。

 心の水面は緩やかに渦を巻き、私はあらがうこともできずにただゆっくりと、底知れぬ回転の中に呑み込まれていった。



 翌朝。

 ついにこの日がやってきた。

 眠れぬ夜を過ごした私だが、掃除を始めて朝日を浴びる頃には、行ってみるしかないと腹をくくれていた。

 いい緊張状態にあるようだ。すべての動作が研ぎ澄まされている感覚がある。


 約束の時刻まで少し時間が空いたので、部屋で坐禅を組んで精神統一する。

 そして気づいたこと。

 ――この格好でいいのか。

 私は着ている青色の作務衣さむえを見下ろした。


 デートに現れた男性がよれよれのTシャツやスウェットでがっかりしたという話はよく聞く。

 百万が一にもアイがデートのつもりでいたとすれば、掃除をこなした格好で行くのは失礼極まりない。それに作務衣は外出に適してはいない。TPOをわきまえ、きちんとした身なりで向かわねば。


 アイはどんな格好で来るだろうか。今日から春休みであるから制服ではないだろう。

 アイに恥ずかしい思いをさせるわけにはいかない。

 私は立ち上がった。




         ○○○




 午前十一時五三分。

 駅前の広場は賑やかだ。お昼休憩らしきサラリーマン、小さな子の手を引く母親たち、おじいさん、おばあさん。

 明るい空の下、それぞれの歩調で行き交う人々を私は目を細めて眺めた。

 この街で暮らす人たちが、こんなに。


 目が合うたびに合掌をする。会釈えしゃくをして足早に去っていく人もいれば、合掌を返してくれるご老人もいる。

 触れ合いを感じながら歩き、街の名物七福像の横に立つ。

 待ち合わせは十二時。早すぎるでもなく、待たせるでもない絶妙なタイミング、七分前に到着するように計算して寺を出た。


 さて、どこからでもかかってき――


菩伴ぼはんさん?」


「ふぁっ」


 真横からかけられた声に飛び上がる。実際はビビりすぎて身動きできなかったのだが。


「アイ殿」


 アイは白いトレーナーにデニム生地のショートパンツ、ラメ入りの黒いキャップという服装だった。トレーナーはアルファベットのロゴが入っており、なんとけしからんことに「肩が出てるやーつ」であった!!

 けしからん!! なんとけしからんデザイン!! 

 私は無意識に合掌していた。ありがとうございます!!!


 しかし黒いタンクトップを中に着ているとはいえ、のぞく肩は少々刺激が強い。

 私はアイの足元、ピンクのハイカットスニーカーに目をそらして息をつく。

 菩伴よ、肩はただ、肩なのであり――


「いやわかんないし!! 声かけんの迷ったんだけど!!」


 己をさとす間もなくアイのお叱りが入る。いかん。やはりこちらから声をかけねばならなかったようだ。


「それは失礼しました。私からアイ殿に声をかけられればよかったのですが」


 いまいち視界が良くなかったのでアイに気づけなかった。


「いいんだけど……それ……なんて服?」


 アイはどこか遠くを見るようなまなざしで私を眺めている。


「これは行脚あんぎゃ装束でございます。雲水うんすいの勝負服といえましょう」


 雲水とは修行僧のことで、流れゆく雲のように各国各地を歩くことを行脚という。   

 半円型のかさに墨染めの直綴じきとつを着て、足元は白い脚絆きゃはん草鞋わらじを履く。肩から下げた頭陀袋ずだぶくろにはいざというときのために日用品などが入っている。さすがに坐蒲ざふと食器は置いてきた。


 街を歩くにふさわしく、修行中である私らしい一着。

 以前に袈裟けさを着た姿を褒めてもらったことを思い出し、これならと思った。ちらっと、住職が正装を着てデートに向かった話がよぎったのも白状しよう。


「うん……気合い、入れてくれたんだね……」


 私を見つめるアイはなんだかぼうっとしてるようで、もしかしたらほうけているのかもと、私は内心ガッツポーズをするのであった。




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