第十九話 映画に誘おうそうしよう!!!

「アイ。ほら……例のブツやで」


 朝の出席確認が終わった教室内。別の教室で行われる授業へ向かうために椅子を立ったとき、斜め後ろの席のスミちゃんが声をかけてきた。

 机にお尻を乗せ、足を組んだ格好で黒い封筒を差しだしている。なんかスパイ映画とかに出てきそうだよスミちゃん。


「えー! この前の話マジだったの!?」


 人差し指と中指に挟まれた黒い封筒を抜く。やけに上質な手触りの封筒の中には、これまた豪勢なデザインの二枚のチケットが入っていた。

 今話題の映画「・ラストボウズ」の鑑賞チケットだ。VR版と書かれている。


「VR版って入手困難なんでしょ!? しかもペア! ホントにもらっていいの!? スミちゃん!」


 VR版は、まるで映画に入り込んだような臨場感が楽しめるもので、映画館はチケット購入者のための個室を用意している。最高の音響と映像を独り占めでき、世界観にどっぷり浸かることができるということで、チケットはどの映画も常に完売状態だ。

 そしてペアだと、一緒に観ている人の姿も映像に映る。二人で楽しめるのでカップルに人気がある。


「ええよ。父親が取引先の人からもらってきたもんやし。それにウチはやっぱ、映画は通常版派やな。監督のこだわりが見えるカメラワークは全てが見逃し厳禁。カメラマン、俳優やその他のスタッフがひとつになって作りあげたワンシーンが映画やと……ウチは感じるねん」


「そっか!! じゃあありがたくいただくね!! ありがとう!!」


 腕を組み天井を見ているスミちゃんにお礼を言って、きらきら光るチケットを眺めた。


「……ちゃんと禅師さん誘うんやで。前もって言っとかなあかんで? お彼岸近いし、予定合わせな」


 なんか非常に心配そうなスミちゃん。


「うん! 最近助けてもらってばっかだし、何かお礼したかったんだよね! スミちゃんと仲良くなれたのも、菩伴ぼはんさんのおかげだし!!」


 ね! と笑いかけると、スミちゃんは「せやな」と言ってアッシュ色の髪をかき上げながらそっぽを向いた。でも横顔は笑ってる。アイ、スミちゃんのこの横顔、好きなんだよなぁ。




         ○○○




 そうして放課後、アイは学校を出て悦明寺えつめいでらへと向かっている。

 かばんの内ポケットにある黒い封筒を何度も確かめる。


 菩伴さんはオーケーしてくれるかな。

 菩伴さんは自由があまりないことは知っている。僧侶ってこともあるけど、そもそもがロボットという、人間の助けになるために生まれた存在ってことがあの人の世界を狭めている。


 スミちゃんから映画チケットの話を聞いたとき、浮かんだのは菩伴さんの顔だった。

 近くのスーパーに行くぐらいしか外出の機会はないと言っていた菩伴さん。

 いくら頭の中が世界中とつながっていたとしても、それじゃあんまりだ。

 菩伴さんに外の世界を見せたい。

 日頃の感謝はもちろんあるけど、一番の理由はこれだった。


百聞ひゃくぶん一見いっけんにしかずっていうし!!」


 なんなら住職さんにだってアイが交渉してみせる、そう決心して山門の階段を上った。

 真っすぐ一直線上の先に見える本堂。石畳の上でほうきを動かす長身の坊主頭。いつもこの時間に来ると、もう掃くところがないくらいきれいなのに、菩伴さんはここで箒を動かしている。

 アイが呼ぶ前に、筆で描いたような顔がこちらを向いた。


「菩っ伴さーーーん!!!」


 手を振りながら走ってく。アイが目の前に来ると合掌する菩伴さんに合わせて手の平を合わせる。この挨拶、なんかいいよね。


「こんにちはアイ殿。おや、何かいいことがありましたか」


 にやにやが隠し切れなかったみたい。前振りなしで本題に入ろう。

 鞄から封筒を取り出す。菩伴さんの視線が手元に向く。ホントまつ毛長いなぁ、なんて思った瞬間、言葉が出なくなった。


「あ、あのさ……」


 どうしちゃったのか。口がもつれる。


「これ、映画のチケットなんだけど……」


 菩伴さんの瞳がまっすぐにアイを見る。それで? って感じ。これはいつもの世間話じゃないよ。あんたを誘おうとしてるんだよ。

 あ――断られたらどうしよう。

 突然浮かんだ可能性に、手が震えた。

 

 断られることを考えてなかった。マジウケる。

 胸がばくばくする。なんだろう、痛いし苦しいし――泣きたいんだけど!!

 もう吐き出したい!!


「アイと一緒に観に行こうよ!!!?」


 言い切ったし!! 言い切ったよスミちゃん!!

 ごくんと息を飲みこんで、菩伴さんの顔をうかがい見た。


「………………………………」


 フリーズしてるし!!!!!!!!!!!! フリーズしちゃったんだけど!!?? ナニコレどういう反応!!?


 どこを見ているかわからない無機質な瞳。固く結ばれた唇。からだは時が止まったかのように微動だにしない。

 まさに電源の切れたロボット。


「ちょっ、菩伴さん!? 菩伴さぁーーん!!?」


 ゆさゆさと肩をゆさぶり、ばんばんと胸を叩いた。

 太古の昔、調子の悪いテレビはこうやって直したという。


「――――はっっっ!!!!」


 息を吹き返す菩伴さん。よかった。


「ちょっとー大丈夫? どっか調子悪い? マジ焦ったし!」


 なんかちょっと怖かったし。

 菩伴さんのほっぺを両手で挟んで下を向かせる。

 うん、瞳はちゃんと動いてアイを認識してるっぽい。というかなんか震えてる。


「ふぁ、ふぁい……。だいじょうぶれす」


「えーっと……何だっけ。あ、そうそう」


 とっさにブレザーのポケットに突っ込んでいた封筒を引っ張り出す。ちょっと折れてる。それを見るとさっきの謎の緊張が謎に引いた。


「映画のチケットもらったの。付き合ってくんない? 日頃のお礼も兼ねて、街案内もするよ!」


 でも、とか、しかしとか言って困りだすかと思っていたら、菩伴さんはあっけないくらいに首を縦に振って合掌した。


「はい。お心遣いに感謝いたします」




         ○○○




「あー疲れた。栄養とってはやく寝よ」


 帰宅後、あくびをしながらも夕食の支度をする。今夜のメニューはカニ缶を使った炊き込みご飯とCookクックドォーの麻婆豆腐。

 ちらりと玄関に目をやる。きれいだ。整ってる。最近はちゃんと靴を棚にしまっている。

 にんまりと笑みをこぼし、大豆の水煮のパックの封を切る。

 最近のアイ、ちょっといい感じだと思う。えらい。


 菩伴さんを街に連れ出そう計画は最初にして最大の難関を突破した。

 行くとうなずいてくれたのはよかったけど、たぶんあれは日頃のお礼という言葉に反応したからだと思う。

 菩伴さんは人からのお布施ふせを断れない。きっと菩伴さんは、アイの布施を受けるという感覚でいる。


「まぁ、実際そうだからいいんだけど……」


 どこかもやっとしながら油揚げを刻み、大豆とカニ、米の入った釜に加える。醤油と料理酒を入れて、炊飯の倍速モードスイッチを押した。

 そこで玄関の鍵を開ける音がして扉が開いた。


「あ、ママ。おかえりなさーい」


「ただいま。ふぅ、疲れた」


 ママは脱いだパンプスを気だるげに掴むと棚へ無造作に置いた。アイのいるダイニングルームを通り過ぎ、自分の部屋へ向かう。


「今日も麻婆豆腐と炊き込みご飯だよ。そろそろあきた?」


 いいわよ別に、と開いたドアから聞こえてくる。

 ママは食にこだわりがない。何を前にしても、同じ速さ、同じ表情で食べ物を口に運ぶだけ。


「そういえばテストはどうだったの? もう全部返ってきたんでしょう。通知表、ちゃんと見せるのよ」


「いい感じだよー。どれか一つくらい、数字上がってんじゃないかなー」


 冷蔵庫を開け、中を物色しながら答える。なんか野菜なかったっけ。


「もう二年生になるんだから、受験のこと考えなさいよ。バイトして遊び歩いてる場合じゃないのよ」


「わかってるよぉ」


 きゅうりがあった。旬のものじゃないけど、野菜は野菜だし。

 きゅうりとドレッシングを取り出して冷蔵庫の扉を閉める。


「……ねぇ。カニ缶、本当にもらったものなの?」


 いつの間にかドアの前に立っていたママが低い声で訊いた。ベージュのタイトスカートと白いブラウス姿で、腕を組んでアイを見てる。

 肩にかからないくらいの長さの髪は、結わなくてもいいという理由でボブ。前は黒髪だったけど、四十代になって白髪が気になり始めたと言って染めた色は濃いめのブラウン。

 目元とか鼻とか、アイはママに顔立ちが似ているはずだけど、あまり似てないと言われるのはママが生真面目な雰囲気だから。


「そうだよ。何度も言ったじゃん! ぼ……友達の家でピザパーティーしたら喜んでもらえて、そのお礼なんだって! たくさんあるからどうぞって」


 ママは何か言いたそうに口を動かしかけて、あきらめたように息をつくと背を向けてソファへ向かった。

 ママは、何がそんなに心配なんだろう。


 麻婆豆腐を作り終え、ご飯が炊けるまでママはそれきりしゃべらなかった。

「きゅうりサラダ追加したよ」と笑いかけてみても、「うん」しか返ってこなかった。

 今度、菜の花買ってみようかな。

 でもきっとママは、それもあっという間に食べちゃうんだろうな。今のきゅうりみたいに。



 お風呂に入った後、今度は部屋のクローゼットの中を物色した。


「うーん……何着てこうかなぁ」


 菩伴さんと映画を観に行くのは一週間後に決まった。

 チケットは日程が選べるものだったけど、ネットで見たら既にほぼ埋まってた。深夜以外で空いてるところを慌てて押さえた結果、終業式の次の日になった。

 その日に法事とか入りませんように。皆さまどうかお元気で。


「やっぱ、スカートにするべきなのかなぁ……」


 制服はミニスカートだけど、私服は動きやすいものが多いアイ。

 服を引っ張り出してはからだに当て、鏡の前に立つ。うーんと唸って別の服を出す、を繰り返す。

 全部お気に入りなはずなんだけど。これだ! って決められない。


 どんなのが、好きなんだろう。


 手首のバングルに指を触れ、小さな声でささやく。


「年上にウケる服」


 浮かび上がるディスプレイには、清楚せいそなワンピが目立った。「可憐さをアピール」という文句通り、小さな花柄とかえりがレースとか。うん清楚。


「やっぱりかーこういうのも可愛いけどさー……持ってないし!」


「クールな彼のとなりを歩ける背伸び系」と題されたページも見てみる。大人っぽいモデルが大人っぽい服を着こなしている。みんな高いヒールだし。


「あーーわかんない!! ……なんか、買い足そうかなぁ」


 ベッドにお尻を下ろし、プーさんのぬいぐるみをバックハグする。

 というかアイは何を悩んでいるのだろう。

 服なんて当日になったらその日の気分で決めればいいじゃないか。いつものように。


 そうだ。考えなきゃいけないことは他にもある。

 映画の他に行く場所をどうするか。菩伴さんが興味ありそうなものって、何だろう。


「はー……」


 なんだろ、すごく頭を使う。

 考えるうちにめんどくさくなってくる。

 でもまた考える。

 悩ましい……でも、楽しい?


「一週間、長いなぁ……」


 声に出さずにつぶやいて、プーさんの背中に顔をうずめる。

 今日はだいぶ頭を使ったせいか、眠気がすぐに押し寄せた。この体勢で寝たらやばいな、と思いつつ遠のいていく意識。

 最後に部屋の入口の方で、みしっと床を踏む音を聞いたような気がしたけれど、顔を上げる自由は利かないまま、アイの意識は沈んでいった。





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