第十七話 自分でなくても
「――って言ったけど改めて見るとやばいねこれ!! とりあえず温めてみようか!?」
部屋に戻って二人でピザに向き合うものの、あまりのグロテスクさにアイは苦笑を浮かべた。
そうですね、と立ち上がろうと腰を浮かせたとき、どすどすと床を踏む音がして
「
現れたのは住職だった。どうやら
わっと声を上げて驚いていたアイは、住職と目が合うと慌てて合掌しぺこりと座ったままお辞儀する。
「あ、あのっ、ピザ頼んだのはアイで! アイが勝手に上がり込んで、その……菩伴さんは悪くなくて! このピザもベジタリアン向けで、肉とか卵とか使ってなくて!!」
しどろもどろになって弁解するアイ。私が住職に叱られないように必死になってくれている。
眞内くんが遺していった骨を片付けておいてよかった、と私は密かに息をついた。何を言っても信じてもらえず、この場で腹を開かれそうだと思った。
アイの前でうんこに近いものをさらされるわけには……いかない!!
「和尚、お
言いかけた私の声は住職の上げた笑い声にかき消された。
「わっはっはっは!! そうかそうか、アイちゃんか!! 菩伴なんぞに気をつかってもらってすまんね! いやよく来なさった! 狭いところだがゆっくりしていきなさい!」
「え、あ……どうも……?」
予想外の反応に首をかしげるアイ。住職が以前から自分に関心を持っているなど夢にも思っていないだろう。
住職はどかっと、眞内くんが座っていた座布団に腰を下ろした。戸惑う私とアイをよそに、ちゃぶ台の上の偏ったピザを見て顔をしかめる。
「なんだこれは、マズそうだな!!」
和尚。そんなにはっきり言わなくても。アイが気まずそうに肩をすぼめる。
「菩伴、どうせお前のせいだろう。転びでもしたか? まったく顔と掃除以外はてんで駄目だな。ふむ、これは……えいやっと」
住職は箱にくっついていた使い捨てのフォークを袋から出すと、先端をピザのふちに引っかけた。そのまま手首をひょいとひねる。
「こ……これは……!!」
私は目を見張った。ピザは半分に折りたたまれ、オムレツのような半月型になっていた。
この見た目の料理を私は知っている。ピザ同様、イタリアの民に愛されるカルツォーネである!!!
その発想はなかった。一瞬でイタリア名物料理に生まれ変わったピザを、私は驚愕の眼差しで見下ろした。
見立てという言葉がある。ものを本来のものではなく、別のものとして見る力を意味する言葉だ。これは和尚の無言の説教である。私は合掌した。
「こら菩伴、じっとしてないでさっさと温めてこんか。あと自販機でアイスウーロン茶を買ってこい、金は送っといてやるから」
追い払うように手を振る住職に言われるまま私は立ち上がる。箱を抱えて台所へ向かい、調理の達人の中にカルツォーネを納め、温めの指示を押す。
調理の達人は少し考えるように入ってきたものを眺め、加熱を始めた。
私は腕のデバイス端末を操作し、住職からの送金を確認する。五百円。お釣りはまた送金で返さねば。
やはり油っこい食事には熱い緑茶ではなくウーロン茶が欲しくなるようだ。もしかしたら住職は、若い娘であるアイに気をつかったのかもしれない。
シュー……と調理の達人がスチームを作動させるのを聞きながら、私はぼんやりと私のいなくなった部屋のことを思った。
今、部屋には住職とアイが二人っきりだ。
私は立ち上がり玄関へと向かった。
カルツォーネを温めている間に自販機へ行くのだ。効率を考えなくては。はやく部屋に戻るための効率を……。
山門を出てすぐのところにある自販機に早足で向かい、手首をかざしながらウーロン茶を選択する。
アイなら初対面のおじさんでもなんとか話をつなげられるだろう。住職もあの調子なら
むしろどんな会話をしているかが気になる。
彼氏はいるのかと住職はずけずけと訊くだろうし、アイは素直に答えるだろう。恋愛経験のある住職ならアイの恋バナにいいアドバイスができるかもしれない。――私よりも。
がこん、と出てくるウーロン茶のボトルを二本取り出し、
効率よく、迅速に部屋に戻らねば。
出てきたボトルを引っ掴む。
説法でも住職の面白おかしい語り口は好評だ。檀家の田中さんや南さんだって、なにも私の顔面を拝むためだけに来てくれているのではない。
人の悩みを聞き、気づきを与えられる僧侶としての力は、きっと血の通った人間の方が上手に違いない。
『菩伴さん、やっぱ頼りになるわ!』
先ほどアイが私に言ってくれた言葉が繰り返し響く。
よほど印象に残る音声データとして記録されたらしい。それが連続で再生し、私になんらかの危機感を伝えてくる。
まるで「バイバイ」と電源を切られるような。もう用済みだと言われるような。
私はウーロン茶のボトルを抱えたまま台所へ行き、ほかほかと仕上がったカルツォーネを箱に移し、蓋の開いたまま片手で持って廊下を急いだ。
どんどんどん、という自分の足音を聞きながら部屋へ向かい、お茶のボトルを脇に挟んで襖を開けた。
「お待たせしまし――……」
「ウケる!! 断食のあとに天ぷら食べたら眉毛が二倍になったとか、ハンパないし!」
「わっはっは! 人間、やはり食べなきゃいかんよ!」
「丹英さんは今でも天ぷらが元気の素ですからね。ふふっ、アイちゃんも無理なダイエットとかしちゃ駄目よ」
楽しげ。しかもなんか増えている。
小さいちゃぶ台の周りには住職とアイの他に奥方もいた。
「あ! おかえり菩伴さん!」
アイが立ち上がり、私の左手からピザの箱を取る。
「菩伴、突っ立ってないで切り分けろ」
「あら美味しそう。これカルツォーネ? 新婚旅行を思い出すわねぇ」
なんだか古き良き日本の食卓風景のようだ。完全に馴染んでいるアイが手招きをする。
「ほら! 菩伴さんも座って座って! はやく食べよ!」
自分のとなりの座布団をたたくアイ。用意されたその場所に私は腰を下ろした。
「あ! なんか長い「いただきます」するんだっけ!?」
「
「よく知ってるわねぇアイちゃん。可愛いわぁ」
切り分けたカルツォーネをそれぞれ皿によそい、箱を下げる。これで膝の上に皿を乗せなくてもよくなった。
アイはひと切れを指で掴み上げかじりつく。チーズが伸びるのを、嬉しそうに目をほそめて食べている。
私も同じようにかぶりつく。伸びるチーズに苦戦していると、アイが私に向かって言った。
「おいしい? 菩伴さん。今度はアイがつくったの食べてよね!」
チーズを口からたらしながら、私はうなずいた。
○○○
「なんかいっぱいもらっちゃった。ピザより絶対高いよねこれ!」
陽も傾いた夕暮れ。山門に影が二つ。
奥方がお礼にと、頂き物のカニ缶やら和菓子やらを詰めた紙袋を持ったアイが複雑な顔をする。
「お気になさらず。住職も奥方も楽しそうでしたから」
奥方にいたっては、まるで孫娘に対するようにアイに笑いかけていた。
「そー? ならよかった! おじさんが来たときは、菩伴さんが怒られたらどうしようって冷汗もんだったけど! チキンの骨捨てといてマジよかったね!」
「ええ」
今日は色々なことがあった。
アイがいると、私の日常はどたばたと落ち着かないものになる。
でも、それがいい。
「今日はありがとね菩伴さん! ねぇ、ほんとのところ、迷惑じゃない?」
アイが真面目な顔になって訊いた。
その心配そうな瞳がなんだか嬉しい。どういう作用が働くのか、我ながら不可解である。
「そんなことはありません。また、いつでも来てください」
アイの悩みが尽きませんように。
そんな、ろくでもない願いがよぎった自分に罪を感じる。僧侶失格だ。
「うん! じゃあまた迷惑かけにくるから! バイバーイ!」
笑顔で手を振るアイに、手を振り返す。
このバイバイはさよならではない。次があるバイバイだ。
アイが背を向けても私は手を振っていた。するとアイがくるっと振り返ったので、思わず振っていた手を握ってごまかす。
「なんもなくても、来るよー!?」
アイが声を張る。
私は両手を口に添えて、叫んだ。
「いいともぉぉぉーー!!!!」
アイは笑って、今度こそまっすぐに歩き出した。
見送る私はきっと、にやにやと気味の悪い顔をしていたに違いない。
その日の夜は、久しぶりにアイのトゥイッターの画面をのぞいてみた。
思えばここ二週間、あえて見ていなかった気がする。
胸をざわめかせる期待のような、なにかを待つような感覚は消えてしまっていた。
地球の次元上昇も救世主の到来もない。ただ、アイのいる日常が戻ってきただけである。
「急募。カニ缶の消費メニュー」と書かれた画面と積まれたカニ缶の写真を見ながら、私はピザをつくるアイの姿を想像しつつ眠りについた。
ピザといえば眞内くんのことだが、後日になってアイから聞いた話では「いい感じ!」だそうだ。
髪をエメラルドグリーンから赤に染め変えたらしい。
理由を訊くと、「あー……緑ってサブキャラっぽいじゃないすか」と答えたという。
「じゃあアイもサブじゃんね! カレー食べときゃいい!?」とアイは笑っていた。
「アイ殿は黄金ですよ」と言うと、「えー、悪役のボス!?」と返された。
眞内くんは出勤時にも「ざいます」と発するようになり、スタッフとも少しずつだが会話をするようになった。電話には真っ先に動いて対応し、アップルパイにさらにバニラアイスクリームをかけて食べる方法をすすめて単価を上げるという成果を上げ、「スイーツデーモン」の異名を獲得したらしい。
「アイの本日の最高傑作あがり! 宅配頼んだよアツシくん!」とアイが焼きあがったピザを渡すと、「……うす」と答える。その横顔がかすかに笑っていたという。
「チームって感じ! くぅー、こういう瞬間が仕事の醍醐味だよね!」とアイは嬉しそうに語るのであった。
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