第十四話 さぁあなたも。ブォン・ジョォールノ!!
二月が終わり、三月も二週目が過ぎようかという頃。
私は本堂を背に箒を動かしていた。
何度も顔を上げては山門の方を見て、何の変化もないことを確認しては、集中力を邪魔するもやを祓うように落ち葉や枝を掃き集める。
そろそろだと思うのだが。
ここ数日間はずっと、何かを待つような、身構えるような心地が続いてる。
忘れているタスクがあるのかとスケジュールを整理してみても、これといっったものもない。ただ何事もなくスムーズに過ぎる時間に、拍子抜けするように首を傾げつつ一日を終える、そんな始末であった。
もうそろそろ、来るのではないか。
何が、と自問する。
何か大きな事件への予感か。何か見落としているニュースがあるのだろうか。例えば寺の存続に関わるような。
それとも、職業上よく接するスピリチュアル方面でささやかれる、地球の大幅アップデート――
いや、もしかしたら、ついに
この予感がそれなのであれば、胸躍ることも致し方ない。仏と同じ時を生きるなど、僧侶にとっては世界的ロックスターのライブで舞台に引っ張り上げられて一緒に歌うぐらいの夢物語であろう。
そんな風に妄想が宇宙規模になっていたとき。
ぱっと、視界が真っ暗になった。
「!!!?」
目は開けている。しかし一切の光はなく、突如訪れたブラックホールのごとく漆黒の世界に、私はただ固唾を呑んだ。
なんということだ、これはまるで世界の終わり――。
「
真後ろから聞こえる声で私の世界はいとも簡単に終わるのをやめた。
「なんだ、アイ殿ですか」
眼球に感じる圧迫感。後ろからアイが目を塞いでいるのだろう。
ここは普通「だぁ~れだ?」という台詞が妥当なのではと思うが、アイはワールドワイドだから致し方ない。
「なんだってなんだし!! ぷふっ、くすぐった!!」
視界に光が戻る。
振り返ると、アイが手の平をすり合わせていた。
「
どうやら瞬きでまつ毛が手の平をくすぐったようだ。
それにしても
目隠しだぁ~れだ? というベタ甘シチュエーションも、アイの手にかかればギャグテイストになる。
「久しぶりですね。髪が伸びましたか、雰囲気が変わったような……」
なんだかひどく懐かしい。
「いやそんな変わってないし! 二週間ぶりくらいっしょ! でもまぁ、テストという試練を乗り越えてオーラにじみ出てるかもね!!」
腕を組んでドヤ顔をキメるアイ。
今日はダウンジャケットを着ておらず、ブレザーに赤いチェック柄のマフラーを巻いていた。
その姿が新鮮に映っただけなのかもしれない。
「お疲れ様でした。手ごたえあり、という様子ですね」
「えっへへー。まだ全部返ってきてないけど、なかなかいい感じだよ! 丸増えてんのがわかる感じ!」
ぐっ、と親指を立てる。
きっとアイなりに一生懸命やれたのだろう。
だからこそ、少しの成果でも胸を張れる。
「よかったです。すっきりして遊べそうですね?」
「うーん……そうしたいのはやまやまなんだけど。バイトも再開でさー」
曇った顔になるアイ。なにかまた、店長と喧嘩でもしたのだろうか。
「問題発生ですか?」
「むぅぅ……
「どうぞ」
ぱん! とアイは合掌する。
「ありがと!! 最近入った新人君のことなんだけどさ!」
気持ちのいいくらいの切り替えの早さ。アイのこういうところが爽快で私は好きだ。
「態度悪いっつーかやる気ゼロで! ザ・不真面目で困ってんの! 頑張ってるこっちがバカバカしくなってくるし、イライラするよね!」
「ほう。アイ殿のお仕事は何でしたか」
「宅配ピザ屋だよ! アイはピザ作る担当で、問題の人は届けるドライバー!」
「アイ殿はピッツァヨーロでございましたか……」
「う…うん!? たぶんそれ! でさ、その人、挨拶もしないの! 出勤した人から挨拶すんのがルールなのにさ、無言で現場入ってくんだよね! 先輩ドライバーが挨拶しても無視! ありえなくない!?」
ふむ。それは確かによくない。
ぎこちない空気が流れて、職場全体の雰囲気も緊張したものになる。いい仕事をするには、適度にリラックスできる人間関係が必要だ。
「その人、入って二か月なんだけど。完全に孤立してて、意思疎通できないからミスも起こるの! 届けるピザ間違えたりとか、もうトラブルばっか!」
腕組みしたまま、唇を尖らせ荒ぶるアイ。
以前新人の指導をすることもあると言っていた。きっと責任感を持って仕事に臨んでいるのだろう。それだから、不満も募るというもの。
「ふむ……」
どうしたものかと考える。
挨拶とはもともと仏教に関係のある言葉である。
師と弟子の問答の様子を言ったものであり、人と人が言葉で押され返されを繰り返し、その心の成熟ぶりを見るという意味だ。
しかしながら現代はどちらかというと、円滑なコミュニケーションのためのきっかけ作りという意味が強い。
やはり挨拶を交わすことは基本にして最強の処世術だ。
「あとから出勤した人の方から挨拶をする。確かにそれがマナーだと思います。が、どうでしょう、そこにこだわらずに自分から挨拶してみては?」
「だからー先輩がやってみたけど無視なんだって!」
「そうでしたね。ちなみに先輩はどんな風に挨拶を?」
アイはんん、と喉を調整すると一歩私に歩み寄った。そして近づけた顔を傾け、目をくわっと見開いた。
「おぉーはぁーよぉーござぁぁぁぁいまぁぁぁぁす?」
「……」
すごい圧だ。確かに挨拶を返さないと命の危険すら感じる。しかし逆にいうと、気持ちのいい返事も望めない。無視という極端な対応になるのも仕方がないのでは。
「それは……勝ちにいってますね」
「うん……。アイも見た瞬間は正直気分爽快だったんだけど。でも結果は最悪だったよね。余計にギスギスしちゃって」
アイが顔を伏せる。どこか間違っているやり取りを見て、一瞬でもスカッとしてしまったことを恥じるようだった。
さっきは怒り心頭だったが、どうにかいい方向へ関係を築きたいという、その新人へ対する思いも見える。
「挨拶に関する、こんな話があります」
合掌し話を始める私を、アイが見上げる。
「昔、あるところに僧侶がおりました。その僧侶は毎日同じ時間に、山門の前で掃き掃除をしていました。通りすがりの人々へ、僧侶は必ず挨拶をします。たいていの者は何らかの返事をしてくれます。ところがひとりだけ、無視をする老人がいました。
そのお爺さんも毎日同じ時間に山門の前を通るので、僧侶は毎日、他の人と変わらぬ挨拶を老人にしていました。
僧侶の丁寧な挨拶にも、老人は
そんな日々が三年続きました。
ある日、いつものように老人へ挨拶をすると、お爺さんは立ち止まりました。僧侶の方へ歩み寄ってくると、声を上げて泣き始めたのです。
それから老人は人が変わったように明るくなって、僧侶と毎日、挨拶を交わすようになった、とのことです」
僧侶の見返りを求めない挨拶が、老人の心を動かしたのだ。
「ふぇぇ……三年ってやば! 感動するけど、そんな待てないし! その前にアイなら心折れそう!!」
確かに、この話とアイの場合では状況も関係性も違う。
「アイ殿は、その新人君と会話をすることはないのですか?」
「最低限、仕事に必要なことだけかなぁ。それも返事ないし。最初は話しかけてたけど無視だし! 相手は十九歳で年上だし、話しかけんなオーラすごくって」
アイでも手こずるとは。なかなかの人間嫌いなのか。
「
「褒めまくるとか? そんなんで効果あるかなー」
「
他人を変えることは難しい。ならば自分の行動、考えを変えるほうが簡単だ。
なぜ自分が、と感じるかもしれないが、その方が案外するっといい方へ向かうケースが多い。ただ無理な我慢は禁物だ。
「うぅーん……」
アイは腕を組み、目を閉じて考えている風だった。
頭の中でシュミレーションしているのかもしれない。
「ね、菩伴さん」
ぱちっと目を開けると、アイは私をじっと見据えた。
「……ピザ、食べたくない?」
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