第十三話 テスト前のギャルの憂鬱
「うぁーん、ベンキョーしたくないよぉぉぉ」
間接照明が落ち着いた雰囲気を演出するコーヒーチェーン店のカウンター席。
木目の美しいテーブルに突っ伏す金髪頭を、ウチ――
最近仲良くなったクラスメイトのアイは、頼んだシナモンロールを一口、嬉しそうにかじりついた後で呻きながらうなだれた。手には彼女定番のミルクティーがある。
シナモンロールにはやっぱコーヒーを合わせたいところや。風味を引き立て合う相性の良さもさることながら、脂肪燃焼効果やむくみ改善など、女子には嬉しい効果も期待できる。
こう思いながら自分はキャラメルラッテの入った紙カップに口をつける。あったかいキャラメルの甘み。女子でよかったと思える瞬間。
「ちゃんとバイトのシフト減らしてもらいや。高一やって油断しとったらあっという間に受験やで。今から勉強するクセしっかり身に付けとかな」
二月下旬。学年末テストを控え、アイは珍しく浮き沈みが大きくなっていた。
自分らが通ってる高校はそこそこ偏差値が高い。入学試験をパスしたのなら、アイもそんなにアホではないはず。しかし勉強はやはり嫌いらしい。
「わかってるけどぉ。わかってるから憂鬱なんだよう。あぁータイムスリップしたい。乗り越えた世界線のアイに飛びたい」
「アホなことゆうとらんで、起きてシナモンロール食べ! シナモンには憂鬱な気分を払う効果があるんやで。紅茶にもな」
アイはむくりと身を起こすと、店員が添えたナイフとフォークを使わずに手づかみでシナモンロールを頬張った。目を閉じ、全力で味わうように口を動かしている。
可愛い子やな。
んんー、と
ブリーチした金髪ショートヘアにやや狐目。一見我の強い印象を受けるが、誰とでも自然体で話し、あははと大きな口でよく笑う。
わかりやすく可愛いものが好きで、鞄にはピンク色のうさぎのぬいぐるみがぶら下がっている。それでいて一人称が自分の名前という女子にありがちな、甘えた態度は感じない。
遅刻すれすれで教室に駆け込んでくるが授業はサボらない。文句を言いつつバイトにはしっかり向かう。
時折、『北の国のオーロラ~ありんこの涙~いつか~きっと~み~れる~よね~』と歌いだす。謎だ。
アイの耳たぶにある黄色と緑の半透明の、おもちゃみたいなピアスが楽しげに光を反射しているのを見ながら、この子のいる世界に行きたいな、なんて考える自分に気づいて目をそらす。
我ながらアホなことゆうわ。
「得意な英語はやる気持てるけどさ、苦手な教科は頭入ってこないよねぇ」
あっという間に食べ終えたアイが、紙ナプキンで指を拭きつつ言った。
「何が特に苦手なん?」
「歴史とか……。人多すぎない? この人結局何したんだっけ、ってなる」
テキストの人物写真にラクガキして過ごすタイプや。
「今回の範囲ってめっちゃアツい時代やん。二百六十年続いた江戸幕府の終焉と天皇中心の新しい政府の誕生……皆大好き『幕末・明治維新』やで!?」
手にしていた紙カップをどんと置く。
「
アイは目をぱちくりさせながら、ミルクティーのカップのフタに口をつけた。傾けていないので、すぅーという空気を吸う音が響く。
ウチは身を乗り出していたことに気づいて、
あかん。やってしもたわ。
「スミちゃんはやっぱスゴイよ! アイ、ごっちゃになっちゃうもん。でもスミちゃんの話聞くと、なんか面白そうってなったし! 今度教えて!」
弾む声に顔を向ければ、アイは雑誌を読むときと同じ、好奇心に満ちた瞳でウチを見ていた。
「……おすすめの超大作漫画貸したるわ。覚悟しときや」
テスト間に合わないし! と笑うアイに笑みを返し、キャラメルラッテを口に含む。
人の好きなものに引いたり笑ったりしないのは、自分の好き、楽しいに忠実だからだろうか。
まったくこの子は。どこまで人たらしやねん。
甘くてほろ苦い香りが鼻腔の奥を心地よくくすぐった。
「あと、鎌倉時代は仏教も絡んでるやろ。それこそ
あの物腰穏やかな和尚さんなら、丁寧に教えてくれそうだと思った。
しかしアイは、うーんと首をひねって、遠くを見るまなざしでぼやいた。
「帰れなく、なるだろうなぁ……」
○○○
「――学年末テストですか、それは頑張りどころですね」
本堂の前で箒片手に、私はアイと立ち話をしていた。
「うん、でもいまいちやる気起きなくってさ。苦手な教科後回しにしちゃったり、手をつけても集中力すぐ切れたりすんの。お坊さんって一日中修行なんでしょ? なんかこう、ダレないコツってあんの?」
机の上でダレるアイの姿が容易に想像できる。だいぶ失礼ではあるが、勉強嫌いなギャルのイメージがアイにはあったので、なんだか微笑ましい気持ちになった。
しかし本人は真面目に悩んでいる。ここは力にならないといけない。
「基本は『
「それができないんだよぉう。できなくってさらにやる気落ちんのー!!」
「ふむ」
がっくりうなだれるアイを見て、私はあごに手をやった。人が、頭の中にある重い悩みの種に心がとらわれている典型的な様子である。
ここは我ら僧侶の〝秘法〟を伝えるときであろう。
「アイ殿。顔を上げるのです」
アイが私を見上げる。やるべきことをできない自分に直面すると、つい己を責めたりしてしまうもの。アイには、こんな自信なさげな顔は似合わない。
「背筋を伸ばして立つのです。肩が丸まってますよ、ほら!」
アイは私の大きな声に反応し、ピンと垂直に背を伸ばした。
「よいですね。さぁ、肩の力は抜いて」
私が両肩に手を軽く触れると、ほぅ、とアイは息をついた。手を置いた肩が少し下がる。
「そう、自然と深く息が吐けたでしょう。今度は鼻から息をゆっくり出してみましょう。お腹の中の空気を出し切るイメージです。それから一瞬、息を軽く止めてみてください。そうすると、吸おうとせずともお腹に空気が自然と入り込んでくると思います」
アイは私を無言で見つめながら瞬きした。呼吸に意識を向けているようだ。
「どうです?」
「……うん。お腹に空気入ってきた」
「これが正しい深呼吸です。『
じたばたしても仕方ない、と腹を
私はアイの肩に置いた手を離すと足元に目をやった。
「アイ殿は家に帰ったら、履物はどうしますか?」
「え……えーっと、そのまんま!」
アイは履いている革靴を見下ろしながら素直に言い切った。
「
「わかった! やってみる!!」
「今日は勉強をがんばる日と決めて、深呼吸です。つい触ってしまうなら、デバイス端末もはずしておしまいなさい。あとポックリ―などのお菓子は手の届く範囲に置いておかないこと」
うっ、と息を詰めるアイ。なぜわかる!? という顔だ。
お見通しでござるよヌファファファファ。
「勢いをつけるのに、まず得意な教科から始めるのもありですね。苦手なものは、とりあえず流し見して目が止まったところから手をつけるのも有効かと」
「なるほど! じゃあとりま英語から始めてみる!」
「アイ殿は英語が得意なのですか」
少し意外だった。しかし以前、朝は洋楽ポップスを聴いてテンション上げるという話を聞いた。好きだから吸収しやすいのだろう。それにアイはなんというか、こう、ワールドワイドな存在だ。
「うん! 実はさ、アイ将来はツアーガイドになりたいんだよね! 海外旅行の! 世界中飛び回るの、めっっっちゃ楽しそうじゃない!?」
瞳をきらきらさせるアイ。
初めて会ったとき、世界の空はそれぞれ色が違うのだと、両手を広げて私に教えてくれたことを思い出した。
「素敵だと思います。アイ殿にぴったりだと」
アイなら旅行客共に最高の旅にできるだろう。
私ですら一瞬、異国の太陽の下にいる高揚感を味わうことができたのだから。
「そのためにもやっぱ勉強はしないとね! なんかやる気出てきたよ! さすがだね菩伴さん! ありがとっ!!」
目標を忘れてしまえば、近づくための行動も起こさなくなる。
足元を見て、自分がどこへ向かおうとしていたのかを見つめ直すことは大切なことだ。
「笑顔になりましたね。やはりアイ殿は笑った顔がいい」
アイがぽかんとした不思議そうな顔をする。だがそれは一瞬のことで、唇を横長に広げて笑顔を浮かべた。にひっ、と効果音が聞こえるようだ。
「それはそうと、苦手な教科は何なのですか?」
場合によっては、いいアドバイスができるかもしれない。
そう思ったが、アイは急にしどろもどろし始めた。
「う……うん、まぁ暗記すればどうにかなるやつ! アイ、自分の力で頑張ってみる! 高校受験だって通信教材の「赤筆先生」で乗り切ったし! 大丈夫、任せといてよ!!」
「そうですか。応援してますよ」
なんだかすごく張り切っているようだ。
仏教が絡む歴史などであったら、教材不要でとことんじっくり、わかりやすく要約して教えてあげられそうだったが。
私の出る幕はないようだ。ここから先は見守るだけである。
「またね菩伴さん! 二週間後くらいに報告しに来るよ!」
手を振るアイに合掌し、小走りで駆けて行く後ろ姿を見送る。
二週間は来ないということか。
長いな、と思う自分に違和感を覚えたとき、
「ん!」
と上がった声に目を向けると、山門で住職とアイがすれ違うところだった。
「え、あ、どーも!!」
明らかに自分に向けて声を上げた住職に、アイは驚きながらも合掌し、そのまま山門を曲がって行って見えなくなった。
住職は太い首を回してアイを見ていたが、連れの神主さんの存在があったためかすぐに前を向いて歩き出した。
談笑する二人の会話が聞こえてくる。
「いやいや、さすがですな
神主さんの言葉に住職は大きな身振りで謙遜を表す。
「いやいや、それだけ世の中が
私は箒を動かした。
同じところを単調に掃く、ブリキ人形みたいに見えたに違いない。
住職にアイが見つかった。
隠していたわけではないし、何が問題ということもない。
ただなんとなく、アイとの間に住職が入ってくることを想像すると胸がざわめくのであった。
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