第十二話 ギャルとお粥を

「こちらが坐禅ざぜん堂です。食事もここで摂っています。アイ殿は楽な姿勢でどうぞ」


 中央にきらびやかな仏像をまつる坐禅堂に食事を運び込む頃には、私はすっかり煩悩を吹き払っていた。

 自己を冷静に見つめることは、やはり大事なステップだ。

 私はアイを、まれに訪れる「悦明寺一日お気軽体験会」の参加客のようにもてなした。


「お粥とお漬物におひたし……やば! 超お坊さんの食事って感じ!」


 やばいとは言うが、アイはぜんを前に楽しげだ。


「お粥はおかわり自由ですので遠慮なさらず。では、「」を唱えます」


「げ?」


「お釈迦様の教えや徳をたたえたりする詩句です。「いただきます」と言うようなものですね。我々は食事も重要な修行と考えます。だからこその、今回の機能追加なのです」


「ふぇー……。お坊さんって大変だね」


 うぉっほん、と咳払いし、私は喉を調節する。


仏性迦毘羅ぶっしょうかびらぁ~成道摩偈陀じょうどうまかだぁ~説法波羅奈せっぽうはらなぁ~入滅狗絺羅にゅうめつくちらぁ~」


「……」


如来応量器にょらいおうりょうき我今得敷展がこんとくふてん願共一切衆がんぐいっさいしゅ等三輪空寂とうさんりんくうじゃく~」


「……」


「続けて五勘ごかんの偈を。

 一つには功の多少を計り、彼の来処を量る

 二つには己が徳行の、全欠を忖って供に応ず

 三つには心を防ぎ過を離るることは、貪等を宗とす

 四つには正に良薬を事とするは、形枯を療ぜんが為なり

 五つには成道の為の故に……今、此の食を受くッッ」


 堂内には私の読経の声が響くのみ。

 ますます心は清らかになっていく。


「最後に擎鉢けいはつの偈を。じょう~ぶん~さん~ぼう~ちゅう~ぶん~しおん~…………」


 唱え終えてとなりを見た時、アイは堂内中央に鎮座する仏の姿に、遥か遠い視線を向けていた。

 私の美声で、アイの心も仏の膝元へと飛び立ったようだ。


「アイ殿、いただきましょうか」


 声をかけると、アイはとろりとした夢を見るようなまなざしで私を見た。

 いかん。これはまた、かっこいいところを見せてしまったようでござるな。


「あ、終わり……? 長いいただきますだねー」


 手を合わせ、さじを取るアイ。

 私は決められた作法通りに手を動かす。さすがにアイにそこまではさせない。


「ん、おいし」


 粥をひと口、アイはゆっくり咀嚼しながらこうこぼした。


「お粥とか、何万年ぶりって感じ。じんわりくる味!」


 なるほど。水分をたっぷり含んだ柔らかい米は舌に広がりやすく、繊細な甘みや塩気を感じやすいのかもしれない。

 消化の良さが優しい印象となり、それが心地の良さにつながっているのだろうか。


「おひたしもおいしー! これ菜の花っしょ? うん、ご飯進むねこれ! 春を食べてるって感じ!」


 菜の花は栄養満点だ。少々苦みがあるが、人がこの苦みを喜ぶのは、季節限定という特別感に気持ちも高揚するからなのか。


 寺内での食事中は私語を慎まなければならない。

 普段食事の感想を聞くことのない私にはアイのおしゃべりは参考になった。ぽりぽりと漬物を噛むテンポのいい音を聞きながら、私は慣れない咀嚼運動と次々に流れてくる味覚の解析に注力していた。



「ごちそうさまでした!! あーおいしかった! なんか、ちゃんとご飯食べたって気がする!」


 茶をすすり、アイがほうと息をつく。


「アイ、基本パン食だけどお米ってやっぱ最強!」


「晩御飯はアイ殿が担当しているのでしたか」


 なんだか栄養バランスが心配になる。魚や緑黄色野菜などもちゃんと食べているだろうか。


「ママと交代でやってるよ。ママは最近お弁当買ってくること多いかな。忙しいしね。アイはCookクックドォーが頼り! つい麻婆豆腐ばっかになっちゃう!」


 Cook道とは合わせ調味料のシリーズの名称である。中華系が主だが創作的なものもあり、材料を切って加えて加熱すれば、本格的な料理が完成するというお手軽さが人気だ。


「それでも偉いと思います。「調理の達人」は使わないのですか?」


 調理の達人とは調理マシンの名だ。四角い扉のついたマシンで、大抵の家庭の台所にはこれが装備されている。

 メニューを選び材料さえ入れれば、あとは全自動。洗浄から始めて切って焼いて、蒸して煮込んで、盛り付けまで行ってくれる。

 忙しい近代人にはありがたい存在だ。


「うーん、あれ掃除大変だし。アイん家のやつ、やたら焼き入れるのがクセでさ。げる一歩手前まで攻めるんだよね」


 調理の達人にはAIが搭載されているのだが、しばしばこれが使う人を悩ませる原因となる。

 材料の質が気にくわないと、勝手にメニューを変えてつくる。切り方や盛り付けにこだわり過ぎて時間がかかる。酢豚ではパイナップルが弾かれる。味が濃い、薄い、などなど。

 マシンによってクセがあったりするのが難点だ。


「ひと口ずつ味わって食べたのも久しぶりかも! 超満足感ある! つい、ながら食いしちゃうんだよねー」


 時間を有意義に使おうと躍起やっきになるのが近代人。

 心ここにあらずで食べる物の味は、記憶のものではなく、本当に今感じている味覚であろうか。


喫茶喫飯きっさきっぱん。お茶を飲むときはお茶を飲むことだけに。食事をするときは食べることだけに一生懸命になるのです」


 はぁーい、とアイが軽く肩を下げる。


「からだ温かくなったし、元気になった気がする! 食べるって、からだのためなんだね。しみじみ!」


 食材が目の前に届くまでには様々な人の手を渡る。その労力に感謝し、世界のつながりのなかに生きていることを感じる。食事はその機会をくれるのだ。

 そして己もまた、やるべきことを為すために、食べるのである。



 アイを見送り、私は片付けをする。

 陽が落ちたせいか、とても静かに感じる。

 

 夜坐やざ(夜の坐禅)でもしよう。

 なんとなく音が恋しくなって、葉の揺れる音や街の音を目当てに、坐禅堂ではなく広縁へ向かおうとしたとき。


はんさーん」


 戸が開くとともに聞こえてきた声。

 顔を上げると、玄関にアイが立っていた。


「あれ、ばったり! ウケる! どっか行くの?」


「いえ、本堂の広縁で坐禅でも、しようかと……」


 さすがに予想外の再びの登場に、私は驚き、しかし広がる喜びの色にまた戸惑い、言葉はさまよった。

 アイは片手に持っていた化学素材の袋をかかげると、いたずらっ子のように歯を見せて笑った。


「じゃじゃーん! あーんーまーんー!! 一緒に食べよ!!」


 どうやら、自分と向き合う時間はまだおあずけのようだ。




「おいしかったし、満足したけどさ! やっぱ足りないよね! ごちそうしてもらっておいて何だけどさ!」


 腰かけた広縁。アイは大きな白い中華まんを取り出して言った。

 あつつ、と言いながら半分に割り、片方を私に差しだした。


 合掌し受け取った私は、白くきめ細やかな生地のなかにある、あんこの温度を視覚で測って危機感を覚える。

 やけどしないように注意しようとアイの方を向くが、既に口に入れていた。


「あっふ! んん、あふー!」


 眉を寄せつつ、なんとも嬉しそうに食べている。器用なものだ。


「期間限定ジャンボあんまん、食べてみたかったんだよね! 通常の二倍なんだよ! テンション上がるよね!」


 二倍なら、あんまん二個買うのと同じでは……それにこうして半分にしてしまえば、結果ひとつ分だ。

 そう考えたが口には出さずに、私は中華生まれの蒸し饅頭を一口分ちぎった。


「こーゆうでっかいのはさ、やっぱシェアするのが楽しいし美味しいんだよね!」


 私はあんまんのかけらを手にしたまま、アイの方を見た。

 アイはちぎった生地であんをすくって、それを上を向きながら口に入れては足をばたつかせている。


 分けるからこそ美味しい。

 その考えに私は、頬を張られたような衝撃を受けた。

 なんと、慈愛に満ちた言葉であろうか。物質的な価値のことしか考えなかった自分の愚かさ、浅はかさを思い知る。


 私は手元の蒸し饅頭を見つめ、アイと同じように上を向いて口を開き、ありがたきその一片を落とし入れた。

 ほかほかな味がする。

 解析するまでもなく、美味であると己が判断している。


 釈尊の膝元に、今私はいる。

 空を舞う天女――アイが蒸し饅頭を振りまきながらほほ笑みかける。

 ほかほかな心地。

 ――美味しいとは、こうも安らかな境地に包まれるものなのか。


「菩伴さーん、大丈夫? 故障した?」


 目を閉じ上を向いたまま動かない私を心配したのか、アイが肩を叩く。

 私はゆっくりをアイの方を向いた。

 

「大丈夫です。たいへんに美味しいので、ちょっと極楽ごくらくを見ましたが」


「そー? あはは、大げさ! うん、でもよかった!!」


 笑うアイの頬と鼻先は、温かいものを食べてほんのり色づいている。

 私も血が通っていれば、からだの反応を感じるのだろう。


 僧侶にとって、食事は修行である。

 楽しみのためでなく、飢えを満たすものでもない。

 しかし、こういう食事も……いいと思う。


「じゃあね菩伴さん。おやすみ!!」


「おやすみなさい、アイ殿」


 夜風に吹かれながら手を振るアイに合掌する。

 後ろ姿を見送り、僧堂へ戻る。

 静かな部屋でも、私の中はほかほかのままだった。




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