第十話 僧侶の必殺技

「で、いきなり呼び出して何なの?」


 白鳥しらとりさんは腕を組んだ格好で私を下から上までにらみ上げ、アイの方を向いた。

 アイの友達に頼んで白鳥さんの連絡先を教えてもらい、RINNEメッセージを送ったのだ。高校近くの悦明寺えつめいでらに来て欲しいと。

 アイは笑顔のまま声を張る。


「えぇっとぉ。今お寺でお茶すんのが流行ってるんだよ!! ここの庭、超いい感じなんだよ!」


 もちろん嘘である。寺カフェなるものは存在するが、流行ってるとまではいえないし、ここ悦明寺ではお茶だけ飲みに来る人はまずいない。いたら正直、説法のひとつでも聞いて行けと思うだろう。


「えっ……そうなの?」


 しかし白鳥さんはアイの言葉を信じたようだ。どことなく焦っているように見えるのはなぜだろうか。


「白鳥さんとお茶したことないし、どうかなぁって思って!」


 アイがぐっと身を寄せ迫る。白鳥さんはたじろぐように一歩下がった。

 いいぞアイ!! その調子だ!!


「ま、まぁ。せっかく誘ってくれたんだし、お茶ぐらいはいーけど」


 白鳥さんはプイと顔をそむけて髪をかき上げた。その横顔に私は注目する。

 まさかこの白鳥さん――。

 観察対象にピントを合わせた視界は、アイが肩を叩いた衝撃で大きく揺れた。


「じゃ!!! 菩伴ぼはんさん、アツいお茶よろしく!!!」




         ○○○




「本当……いい庭じゃん」


 まぁまぁ座ってと、アイに勧められるままに広縁に腰を下ろした白鳥さんは、私の出したお茶に会釈をしてひと口すすり、白い息を吐いた。

 つい庭について説明したくなるが、今は私はただの支給係。二人の邪魔にならないよう、端の方で正座をするのみ。

 奥方も歌舞伎を観に行っていて不在なのは助かった。


「日本の心って感じだよね! スタバもいいけど、ひとりでこういう場所でぼーっとすんのもいいよね!」


 明るく話しかけるアイ。対して白鳥さんは前を向いたまま、ふぅと息を拭いて湯飲みに口をつける。


「……百瀬ももせさんは、ひとりが好きなんだね」


 どこかとげのある言い方に、アイは首を傾げる。


「うーん? そうだね、ひとりの時間も好きだよ! あ、でも、皆とおしゃべりすんのも好きだよ?」


 だからハブかないでね、というアイの言葉の続きが聞こえるようで、私は思わず手を強く握った。

 がんばれ、アイ。


「でも遊びの誘いはあっさり断ってんじゃん。いつもバイトってわけじゃないんでしょ」


「今はママと二人暮らしだから、晩御飯の用意とかもあって。白鳥さんが転校してくる前はもうちょっと付き合い良かったんだよ! 最近はあんま誘われなくなったし!」


「何それ、あたしが悪いっての!?」


「そんなこと言ってないし!! アイは白鳥さんとカラオケとか行きたいなって思ってたよ!!」


「……っ!」


 返答に詰まった白鳥さんだったが、突如立ち上がった。


「そないなことゆうて、バレンタインやって、ウチは無視やったやろ!!」


「違うって! たまたまいた他クラスの子たちにノリで交換してたら数足りなくなっちゃったんだよ! 白鳥さん以外にもあげてない子いるし!!」


 なんというバレンタインの弊害。

 そして白鳥さん、口調が乱れている。

 負けじとアイも立ち上がった。


「アイは白鳥さんと仲良くなりたいよ!! でも白鳥さん、アイのこと嫌いっしょ!?」


「んなことあらへん!!!」


 白鳥さんの気迫に、今度はアイが言葉をんだ。私からは白鳥さんの後ろ姿と、アイの驚いた顔が見える。


「ウチかて、百瀬さんと仲良うなりたいわ!!」


「じゃあ……何で?」


 アイが目を丸くしたまま尋ねる。私も同感するようにこっそりうなずいた。

そう。その気持ちがあるのなら、色々なんでなのだ。


「ウチ……百瀬さんがうらやましかったんや」


 自分がアイに対し、敵意があると勘違いされてもおかしくない行動をとっていた自覚があるのだろう、白鳥さんはわずかにうつむいて話し始めた。


「ウチなぁ、中学までは陰キャやったの。昔、好きなアニメの話ばっかしとったら、オタクや言われてバカにされてん。それからな、人に自分の好きなことゆうの怖くなって。しまいには誰ともしゃべれんくなったわ」


 今の姿からは想像もできないが、それは辛い経験だろう。


「でも中学に上がって、ギャルっちゅう存在に出会ったんや。他人の目なんか気にせぇへん、自分貫く姿がかっこよくてなぁ。憧れたわ」


 その気持ちはわかる気がする。言いたいことも言えなくなった者には、ギャルはまぶしい存在であろう。


「髪染めてメイク勉強して、形から入って。高校デビューした矢先の親の転勤やった。昔のウチを知る人間はおらん、そう思って張り切ったわ。人気者になったろうってな。

 でも、百瀬さんは誘いスパスパ断るのに、誰も悪口言わへん。クラス皆から好かれてんねん。ウチと何が違うんやろって」


「白鳥さん……」


 人から見える自分の姿を気にするあまり、ありのままで好かれるアイがまるでチートに感じたのだろう。憧れと、嫉妬。これがアイに対する複雑な態度の原因ということか。


「ごめんな。アホやな自分、ダサすぎて恥ずかしいわ。でも今日はウチ、誘われてほんまに嬉しかったんやで」


 思った通りだと、私は白鳥さんに抱いた直感を確信した。最初に会ったときに目にした、そっぽを向く仕草と表情。

 ツンデレなのだ、彼女は。

 きっと今はあの時と同じ、照れくささを隠した顔をしていることだろう。


「よかった!!!」


 アイの元気な声に、白鳥さんの肩が跳ねる。


「スミちゃんに仲良くなりたいって思ってもらえててよかった! だってアイも友達になりたかったんだもん! スミちゃん、かっこいいし! クラスの皆まとめるのうまいよね!」


 白鳥さんはスミという名らしい。


「かっこいい……マジで?」


「うん! 頼れるお姉さんだよ! そう、委員長って感じ!!」


「委員長って……昔からのあだ名やし!!」


 委員長。きっとその呼び名には、ただ真面目で大人しいだけの少女像だけが込められていたわけではないのだろう。同級生たちは、彼女の意思の強さも感じ取っていたはずである。


「あはは! いいじゃん、そのままで! 関西弁も出しちゃいなよ! スミちゃんらしくていい感じだよ!」


 アイが笑う。きらきらと、黄金色が舞った。


「そう? せやな、殻やぶったるわ。……アイ、ありがとう」


 ギャルは相手との間に友情が生まれた瞬間、下の名で呼び合うという暗黙のルールがあるらしい。

 いいものを、見せていただいた。

 合掌がっしょうする私に、アイの声が届く。


「菩伴さんも、ありがと!!」


 顔を上げると、白鳥さんと目が合った。うっすら残っていた笑みを消し、彼女は歩いて来る。


「あ、あのね、お寺でお茶会が流行ってるって嘘なの。ごめんねスミちゃん」


 慌てた様子でアイも駆け寄って来る。


「そやろな。トレンドの情報収集はがんばってんねんで、ウチ。一瞬だまされたわ。でもええねん、そんなことはもう」


 バレバレだった。それはそれで、寺の者として少し悲しい。


和尚おしょうさんがはからってくれはったん?」


 私は立ち上がり、合掌する。


はなくれないやなぎみどり。あなたはあなたの、輝くところを磨いていけばいいのです」


 後ろでアイが「出た、必殺技」と小さく言うのが聞こえたが、白鳥さんは神妙な面持ちで合掌した。


「ありがとうございます。この白鳥、下の名をさんずいに登るですみと申しますは、禅師ぜんじの教えを心に留め、感謝します」


 ものすごく礼儀正しく挨拶された。


「私は菩伴と申す、未熟な修行僧でございます。禅師などとは身に余るお言葉……」


 禅師とは徳の高い僧の尊称である。大先生、と呼ばれているに等しい。こそばゆく、まことにおそれ多い。だが……ちょっともう一回だけ言ってみて。


「ね、菩伴さん。お仕事大丈夫? 何か手伝えることあったらやるよ?」


 アイが手首にある、バングルの形をしたデバイス端末を見て言った。時間を気にしてくれているのだろう。頭の中に住職の言いつけが浮かぶが、私は首を振る。


「大丈夫です。本来寺とは、人のり所であります。今日はお二人のすれ違いを解決できる場をつくれたという、立派な仕事ができましたから」


「でも、また罰食らってたじゃん! 何かやらかしたんでしょ。アイのせいで住職さんにまた怒られるとか、嫌だし!」


 最初にアイが来た時に、降魔印ごうまいんを組んでいたのを見られていたようだ。

 唇をきゅっと寄せるアイ。むくれた顔も可愛いものだ、なんて鼻の穴を広げていると、澄もアイの横で白いダウンジャケットを脱ぎ始めた。


「ウチもやるで。お寺っちゅうたら雑巾がけやろ。任しとき!」


 やる気満々のギャル二人を前に、遠慮することはもうできまい。私は合掌し、二方の思いやりに感謝した。




「あはは! スミちゃん遅っっっそ!! 啖呵切ったくせに、ウケる!!」


「うっさいわ! 床拭きはな、膝カバーつけてパンツ見せん体勢でやるもんやで普通はな!!」


 どたどたと足音と弾む声が聞こえてくるなか、私は本堂の前の広場でほうきを動かしていた。中に入る勇気はない。

 花も盛りの女子二人。

 根っこは違うが、ギャル同士、きっと仲良くやっていけるだろう。


 前後際断ぜんごさいだん

 現在は過去と未来の一線上ではない。

 例えどんな理由で変化をげても、今ある姿こそすべてである。


 掃き集めた枯れ葉から、茂る木々の深緑の葉に目線を移して、遠く昔の偉大な禅師の言葉を、私は噛みしめていた。



 その日の「ai」のアカウントの写真はピースをした手であった。ピンクのラメ入りネイルの指と向かい合わせに、健康的な小麦肌の、オリーブ色のネイルを塗った指先が映っていた。




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