第九話 ギャル殿は静かに暮らしたい

 二月も中旬を過ぎると、だんだん日差しに春の気配を感じるようになる。

 吹きつける風に、近隣から漂う梅の花の香りを見つけ、私は大地を見下ろしながら梅もいいなと思う。


 そう。私は今、境内けいだいの土の上で降魔印ごうまいんを結んでいる最中だ。

 降魔印とは、悟りを妨げる妄想を振り払うため大地にすわって結ぶいんのことである。

 少し空いた時間にSNSをチェックしているうちにうっかり没入してしまい、住職夫妻の昼食の準備が遅れてしまったのだ。

 台所へやって来た住職に現場を見つかり、罰として降魔印を言い渡された。


 私は寒さを感じないが、住職に職務怠慢と見なされたことは打撃である。

 私の本分ほんぶんは、住職の求めるAI僧侶であることなのだから。


 しかし私がつい時間を忘れてしまったのも無理はない。

 人気アニメ「花娘~トキノハナヲカザシニセヨ~」の公式が、特別イラストを公開していたのだ。

 擬人化された花たちが、苦難を乗り越えはなを咲かせる生き様を描いたアニメで、私もハマってしまった。


 私の推しキャラは蓮の花をモチーフにした「蓮華れんげ」である。今回公式が公開したのは、今が見頃である花がモチーフになったキャラのプレミアムな画だった。


 黄金色の花を咲かせる福寿草ふくじゅそうの「ゴールディ」は、幸福を招く女神の呼び名に相応ふさわしく、明るく神々しくもキュートである。きらきらと輝く瞳に思わず見入ってしまった。

 最近登場したシクラメンの「篝火かがりび」も、内気なようでいながらりんとした雰囲気も持つ、冬の鉢花の女王にふさわしい気迫でうなってしまった。

 

 はなくれないやなぎみどり

 花は紅色に色づき、柳は緑に繁る。どちらも本分をまっとうしていて、それぞれに美しい、という言葉だ。

 花娘を観ていると、心が真っすぐになる心地がするのである。


「まったく! 副アカをつくることを大目に見てやったのが間違いだったか。いいか菩伴ぼはん、つまらぬ空想の世界にうつつを抜かすなど、無駄なことよ!」


 せめて掃除は完ぺきに終わらせるのだぞ、と住職は降魔印を解くことを許可した。そして区民センターで行われる講習会へと向って行った。

 私は私の本分を。

 ほうきを取りに行こうと立ち上がった時、華やかな香りが私に届いた。


 花とは違う、多様な香りを集めて一緒に溶かしたような。

 この香りの持ち主を私は知っている。

 振り向くと、目を引く金色の髪を陽光にきらめかせる姿が視界に入った。

 アイだ。


「あ、菩伴さーん。こんにちはっすー」


 私の前まで歩いて来たアイは合掌がっしょうし、ぺこりと頭を下げる。

 なんだかうなだれるように見えた。


「こんにちは、アイ殿。……いかがなさいました?」


 合掌を返し、私は穏やかな微笑を浮かべてみせる。


「んー……別に。菩伴さんいるかなぁ、って」


「はい、いますよ」


 私はもう完全に、話を聞く態勢になっていた。

 アイに元気がない。

 努めて口調は明るくしているが、心ここにあらずなことがわかる。

 何かあったのだろう。

 掃除は今でなくてもできる。今は、この娘の話を聞く時なのだ。




         ○○○




「アイ、転校生の子に嫌われてるっぽくて」


 という言葉から始まった立ち話。

 アイのクラスに冬休み明けに転校してきた女子に、なぜか敵意を向けられる、という人間関係についての相談だった。


「ハキハキした感じの子でさ。すぐに皆と馴染なじんで、もうクラスの中心的存在なんだよ。それはいいことじゃん? でもね、アイに対しては何かこう、よそよそしいっていうか」


 例えば、その子を中心に女子たちで盛り上がってるところへアイが教室へ入ると、ふっと会話が止まってしまうらしい。その子がアイを見て静かになるからだ。


 そうかと思うと、他の子がアイに声をかけても、自分はアイが見えていないかのようにしゃべり続け、一瞥いちべつもくれないという。

 向こうから話しかけてくることはなく、アイが声をかけてもごく短い言葉しか返ってこない。


「これって完全に避けられてるよね? 理由はわかんないけど、嫌われるのはまぁ仕方ないなって割り切れるの。でも怖いのがさ」


 アイははおったダウンジャケットのポケットに両手を入れ、前身頃を引き寄せる。


「今日バイトのことかれたの。『モモセさんってバイトで忙しそうだよね。曜日決まってるの?』って。決まってないよ、って答えたら『ふぅん……』だって。怖すぎないっっっ!?」


 モモセ?

 訊きなれない人名に私が気を取られたのに気づいたアイが自分を指さす。


「アイの苗字だよ! 百に浅瀬の瀬! 百瀬ももせ! それよりさ、何かもう疲れちゃったよ。人間関係メンドクサイ。嫌いなら放っておけばいいじゃんね?」


「アイ殿は静かに暮らしたい、のですな」


 アニメのタイトルっぽくなった。

 本人の希望とは裏腹に、色々と起こってくるのが定番だ。そして人の人生とは、そういうものであったりする。

 対処法は様々にあると考えられるが、アイの場合はどうすべきだろうか。


 その一、受け流す。

 下手に刺激せず、時間の流れに身を任せ、何かが変わるのを待つ。現状維持ともいえる。だがアイはこうして精神をすり減らしている。いつまでもつかわからない。


 その二、逃げる。

 物理的に距離を置く。もうすぐクラス変えもある。だが辛抱して別のクラスになればいいが、また同じクラスなら悲惨だ。アイが転校をすることは現実的にハードルが高い。


 その三、戦う。

 向き合うという方がいい。あれこれ相手の思惑を詮索せんさくしているより、直に訊いてみてその本音をあきらかにするのだ。そこから見えるお互いの解決策もあるだろう。


「――ふむ、アイ殿。ここはアイ殿に合ってそうな方法で、今ある鬱々とした気持ちを晴らしましょう」


 アイは不安げながらも、期待のこもった瞳を向け、私の提案を待っていた。




         ○○○




 数十分後。

 アイが私を呼んだ時、私は境内の牡丹の木の下で坐禅ざぜんを組んでいた。

 ――来たか。

 すっと目を開き、私は立ち上がる。


「きょ、今日も来ちゃったよー。えーっと、こちらはクラスメイトの白鳥しらとりさんでーす」


 今日初めて会ったという風にぎこちなく笑うアイの横に立っているのは、派手な見た目のギャルだった。

 アッシュ系に染まったロングヘアはパーマがかかっていてゴージャスだ。二月の気温をものともしない短いスカート丈に、アクセサリーがのぞく、大きく開いたシャツの胸元。

 やや地黒の肌に、厚めの唇が不機嫌そうに結ばれている。

 前髪を上げたヘアスタイルが、気の強そうな瞳を際立たせていた。


 これが白鳥さん――ひと月足らずでクラスの覇権を握った女王様か。





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