第八話 アツい優しさ

「えー、彼氏ぃ? いないよそんなの」


「いないのですか」


 ピーナッツが偏らないよう混ぜつつ、あられにチョコレートを絡ませながら、アイはあっけらかんとした調子で言った。

 こんなに明るくて可愛い子なら、まぁいるだろうと予想していた私は単純に驚いてしまい、それが声に出た。


 ――そうか、いないのか。

 失礼な反応をしてしまったと反省しつつ、なぜか安堵あんどの色を示す私というプログラム。いないからといって、何だというのだ。


「初彼は幼稚園の時でさ。『僕のこと好き?』って訊かれて、うん、って言ったら付き合ってることになってて」


 あられ焦げちゃうよ、と手の止まっている私をたしなめながらアイは語る。

 幼稚園生とは……色々と早い。


「でも他の子とも遊びたいじゃん? フツーに皆と一緒に帰ったりしてたら、『君は僕じゃ止められない』とか謎なこと言われて。そんで終わり」


 うむ……前世の経験によるものとしか思えない言動だ。魂はやはり、輪廻りんねするものなのか。


「二人目は中学ん時。告られて、とりまオーケーしたけど、自然消滅。周りには『アイが放ったらかすから』って責められるし」


 なるほど。

 歴代彼氏二人とも、アイが構ってくれないと感じたようだ。


「アイはアイらしくいたいだけなんだけど。みんなみたく、彼氏彼氏って夢中になれない。アイって冷たいのかな?」


 わずかになったチョコレートをすくったり戻したりしながら、アイはボウルの底を見つめている。


自灯明じとうみょう法灯明ほうとうみょう


「じと……豆苗とうみょう?」


「お釈迦しゃかさまが最後に説かれた教えのひとつです。他人と比べず、依存せず。自分を頼って生きなさい、と仰いました。

 アイ殿が自分らしくいれば、手を取り合って歩んでいける方と出会えるでしょう。その時は、そのごえんを大事にしてくださればいいのです」


 私はうっすら黄金色に揚がったあられを、アイの前にある網に移す。アイはチョコのついたさじを持ったまま、私の顔を見ていた。


「……そっか! だよね! 菩伴ぼはんさんが言うと、そうなんだって思えるよ! ありがと!!」


 アイは残っているピーナッツチョコをさじですくうと、あられにかけずに自分の口へ運んだ。「んふー」と声をもらしながら目を閉じている。

 唇の端についたチョコについ手を伸ばしそうになったが、待て待てと引っ込める。唇の横のチョコを指で拭ってやるなど、そんなベタなことはフィクションの世界の画だ。

 そう。今頃SNSではきっとそんなキュンキュンな画があふれていて……。


「でもさ。なんでこのあられ、素直にって読まないの?」


 アイの質問に私は我に返る。

 キュンキュンは消灯後、こっそり夢で見よう。


「それはですね」


 花供御と書いてと読む、その心は。


「江戸時代の人々は、無病息災むびょうそくさい祈念きねんするこのあられ菓子を『お釈迦様の鼻くそを頂こう』と揶揄やゆしたそうです」


「やっぱハナクソなんじゃん!!!!!」


 恥じらいを忘れてツッコむアイ。

 推しのからだから出たものはすべて尊い。今も昔も変わらないのである。




         ○○○




 できあがって熱がとれたあられを耐油加工した和紙袋に詰め、花供御は無事に完成した。アイの手伝いもあって、予定より早く作業を終えることができた。


「アイ殿、大変助かりました。昨日作った団子がありますので、お茶と一緒にいかがですか」


 涅槃会ねはんえではあられの他に、団子も作る。釈尊しゃくそんの遺骨、仏舎利ぶっしゃりを模したもので形は寺院によって様々、悦明えつめい寺では犬の形に仕上げる。


「お団子!? やったぁー食べるー!」


 アイが茶を用意すると言ってくれたので、私は団子を漆喰しっくいの丸盆にのせて広縁へ向かった。私の作った犬型団子は皆同じ顔をして礼儀正しく座っている。

 これも、アイと作ったらどんな仕上がりになるのか。楽しくなったことだろう。


「お待たせー!」


 ダウンを着たアイが茶器の載った盆を運んで来た。


「はいこれ!!」


 二人で腰を下ろしたあと、アイは湯飲みを私に差し出す。合掌がっしょうし受け取った私は、その湯気の立つ液面を見てフリーズした。

 ――これは。


 ミルクチョコレート色の液体が緑茶の代わりに入っている。

 何か浮いて見えるのは、カラフルな星形の砂糖菓子。アイが私にくれたチョコのトッピングに使われていたものだ。


「液体状なら口にできるっしょ? 取っておいたのを豆乳に混ぜてみたよ! あ、ちゃんとバレンタイン用にアイがあげたやつの残りだからね!!」


 固形物を食べることのできない私のために。

 アイが遠慮なくチョコレートを刻んでしまったのは、このためもあったのか。


 諸行無常しょぎょうむじょう

 物事はすべて移り変わる。しかし悪い方に変わるとは限らない。

 姿は変われど気持ちは同じ。

 形にとらわれずに優しい心を伝えてくれたアイに、再び合掌した。


「食べれないもの渡すのもどうかなって思ってはいたんだよね! 飲んで飲んで!」


「では、いただきます。……ズビョッ、ズビョビョッ!!」


「あはは! 相変わらず飲むの下手!!」


 爆笑するアイの横で、私はゆっくりと飲み下す。生身の人間なら食道を火傷する温度だが、私はアツい思いをそのまま受け取れる。

 私に味覚はない。だが、美味しいとはきっとこういう感覚なのだろうと思う。


「あ」


 しみじみとしている私にアイが近づいた。しなやかな指が自分の口元を拭ったと気づいた時には、アイはその指で犬型団子をつまみ上げていた。


「可愛いーウケる! なんで犬なの? 忠犬ハチ公? 桃太郎?」


 元ネタを尋ねるアイの声が私の耳の奥でエコーする。

 桃太郎……桃太郎……今のは何だ?

 桃太郎……一体何が私の身に起こったのだ。

 桃太郎……ウケる……アイが、アイの指先が。


 甘々ベタ展開の現実化に私のプログラムは激しいショックを受ける!!

 沈まれ菩伴!!

 アイはただ、口元から垂れ落ちる豆乳チョコドリンクが気になっただけのこと!! 母親も子に対してやることだ! そう、母性! 母性である!!


「なぜ犬かと申しますと釈尊の最期に集まった十二支の中でも作りやすい犬や鳥がモチーフとして選ばれたわけでありまして明日の涅槃会ではとことん釈尊の偉業をしのぶのでありますがそうですね来年は龍をモチーフにしてみるのも一興かと」


「へぇー素朴だけど美味しいね! ごちそうさま!!」


 早口で言い切った私の横で、アイは茶をすする。盆にあった三体の犬団子はもう姿を消していた。


 夜になり帰った住職は、チョコがけあられが混じる花供御を見て


「お前はなぜ無駄に斬新なんだ!!?」


 と頭を抱えたが、奥方とのバレンタインデート(後から気づいた)で機嫌がよかったためか、それ以上のお叱りはなかった。

 翌日の涅槃会に参加しにいらした方々にはこの「チョコがけ花供御」は好評で、あっという間に完売してしまった。「来年は作る量を増やしてもっと売るか!!」と住職は乗り気であった。

 ちなみに檀家だんかの田中さんや南さんが私宛にくれた一日遅れのバレンタインチョコレートは、すべて住職の栄養分となった。




 参拝客も帰り、静かになった本堂。

 釈尊の最期の時を描いた涅槃図という掛け軸を前に、ひとり手を合わせる。


 まだまだ。私は、まだまだです。


 消灯後、布団の中で開いてみたSNS。

 「ai」のアカウントにはチョコがけあられの写真とともに、「昨日つくったはなくそwww #あられ #ねはんえ #マリアージュ」とあった。





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