第五話  節分会~剛速球~

 僧侶そうりょの朝は早い。


 午前四時三十分きっかりにスリープ状態が解除、起床する。がばりと起き上がり布団を十秒足らずでたたみ、押入れにしまう。

 洗面台に行きわずかな水で顔と口内を洗い、手洗いで体内の貯水タンクにある前日に摂取した茶などを排出する(下からでゴザル)。


 僧堂で住職と並んで一時間ほど坐禅ざぜんを組み、それから茶を淹れ、仏像にそれぞれ一杯ずつ差し上げる。仏様は香りを召し上がるのだ。

 本堂で朝の読経、それから住職と奥方の朝食となるおかゆ作りを済ませると、午前の掃除にとりかかる。


 これが私、AI僧侶菩伴ぼはんの毎朝のルーティーンだ。

 一般の人間僧侶と同じ行動である。布団に入ることも排泄も、アンドロイドである私には必要ない行為だと思われるが、僧侶にとってはこのルーティーンこそが重要なのである。一挙一動が修行であるのだ。


「じゃあ菩伴、あとは頼んだぞ。いいか? 来客があれば話を聞いて豆袋を渡す、簡単なことだぞ。これもできなきゃ今度こそ廃棄処分スクラップ逝きだからな!!」


 そう言いつけると、住職はバム、と車のドアを閉めた。奥方を乗せた車体が大きく揺れる。裏の門から出て行く赤色の高級車を見送り、私はほうきを手に掃除を再開する。

 今日は二月三日、節分である。

 住職は本山で行われる盛大な豆まき祭りへと応援に行った。私は留守番だ。

 

 先日、檀家だんかの南さんを置き去りに寺を出て行った時はしこたま叱られた。南さんが無人の寺を心配して玄関で留守番をしてくれていたところに住職が帰ってきて発覚したのだ。南さんは悪くない。

 それ以来、何かにつけて住職は廃棄処分をちらつかせるようになった。


 今まで住職の言いつけを守り実行することに、何の疑問も抵抗もなかった。それは今も、これからも同じであろう。僧侶としての振舞いをする、それが私の役目――本分ほんぶんなのだから。

 ただ、あの時は……アイという娘の安否が、何よりも重要なことだったのだ。

 確かに私は、バグっていたのかもしれない。


即今そっこん当処とうしょ自己じこ


 今、ここで、私が、生きるという意味の語だ。

 声に出すと、思考がすっとそのことに集中するものだ。箒で乾いた音を立てる落ち葉を掃くことに専念する。

 先のことはわからない。私は菩伴として、ここ悦明寺えつめいでらで今、やるべきことをやるだけなのだ。




         ○○○




 食べる機能のない私ひとりならば昼食の準備も必要なく、私は空いた時間、自室の畳の上に座布団を敷き、坐禅を組む――のではなく、手首の精密機械に指を置いた。

 空中に現れるディスプレイに目を走らせ、素早い所作で小さなハートマークをタップしていく。

 SNSに降臨する神絵師たちの作品をイイね、リポストする習慣は続いている。ただし、副垢ふくアカだ。寺のメイン垢では動物写真にばかり反応している人になっている。


 うんうんとうなずきつつ、心ばかりの応援を指先にこめながら、流れてくるハレンチな画風のなかに昔のあるじ面影おもかげを探している。

 売れっ子絵師だった彼女――せっかく思い出せた「あのひと」のことが、やはり気にかかるのだ。


「おお……恵方えほう巻きでポックリ―ゲームとは。なかなかにキュンキュンでございまするな」


 太巻き寿司を両端からくわえ合う、人気ゲームキャラクター二人を描いた節分イラストに感嘆の息を漏らしたとき、ぼぉぉーんと、腹に響く音が外から聞こえてきた。


「な……!?」


 これは梵鐘ぼんしょう――大晦日おおみそかの夜に百八の煩悩ぼんのうを消すために打つアレである――の音だ。本来時間を知らせるためのものだが、現代ではそう滅多に打つことはない。

 打ってはいけないわけではないが、寺の者に無断で鐘をくなど、マナー違反もいいところだ。


「一体誰が……!?」


 立ち上がり、急いで廊下を走り、山門近くの鐘楼しょうろうへと向かった私の目に飛び込んできたのは――。


「菩伴さん……」


「アイ殿……!?」


 金髪女子高生ギャル、アイだった。


「一体どうし……!!」


 アイの様子に私は目を見張った。

 彼女は子供を二人連れていた。推定五歳と、八歳の男の子だ。

 アイは髪も乱れ、ぐったりと疲れ果てたような目をしている。右手につないだ幼い方の男の子がさっと、制服にダウンジャケット姿のアイの後ろに隠れた。太ももの影からこちらを不安げに見ている。うらやま……いやいやいや。


「アイ殿、その子らは……はっ!!」


 まさかアイの子……!?

 いやしかし、もう片方の男児はどうみても小学生。計算が合わない!!!!


「アイ殿……ご苦労なされたようで……」


「いや近所の子だし!! なんか勘違いしてるっしょ!? 計算おかしいでしょ!!」


 近所の子だったか。あまりに悲壮な顔をしているので深読みしてしまった。

 しかしツッコむ声はいつもの元気なアイだ。


「よくぞいらした。でも梵鐘は呼び鈴ではありませんので」


「だってぇ、どこいるかわかんないし、早く……会いたくて」


 うつむき加減からの上目遣い、そしてこのセリフである。

 表情が不快な笑みを浮かべそうになるのを、口をすぼめてこらえた。何だこの反応は!!


「もーこの子たち手に負えないよ! 早く助けてもらいたくって!」


 片手を上に向け、お手上げという風に言うアイ。 

 そういう意味か。真顔で納得。


「しかしアイ殿、お住まいはこの辺でしたか?」


「そうそう、アイね、引っ越ししてきたの。ご近所さんだよ、よろしくね! そんでこの子ら、二人で団地の前にいたんだけどさ」


 アイはやや離れたところにいる、年上の男の子の方を見てため息つく。アイの息が白くなる寒さのなか、半袖短パンといういで立ちである。肉付きのいいからだつきをしていて、つま先で地面の砂利をほじくり返している。見るからにわんぱく小僧だ。


「あのお兄ちゃんの方がね、弟に豆投げてて。それがケッコー力強めでさ……。ちょっと世話焼いて代わりに鬼役やってあげてたんだけど、豆はなくなるし疲れるしで。節分だし、お寺で何かイベントやってるかなぁ、って」


 なるほど。

 救いの手を差し伸べたものの、やんちゃ盛りの男児に困り果て、寺に救済を求めに来たということか。

 ここは僧侶として、その求めに応じなければ。


「君、ちょっと来なさい」


 手招きするが、少年兄はガン無視である。


「ほぅら、豆があるぞ」


 私は作務衣さむえのポケットから豆袋を取り出し、これ見よがしに振った。すると少年兄はちらりと豆を見て、砂利を蹴っ飛ばしながらこちらへ向かって来た。


「俺はキミじゃねぇよ! かけるって書いてショウってんだ! こっちは弟のユウ! ゆーちょーのユウだ!」

 

 アイの太ももにすがったままの、ニット帽とマフラーで着込んだ小さな男の子を指差す。

 兄がしょうで、弟がゆうか。

 私は穏やかにうなずく。


「そうか翔君。私は菩伴と申します。こんにちは」


「豆くれよ!! 鬼やってくれんだろ!? 俺のゴー速球、食らわしてやる!!」


 こちらの挨拶もスルーし、手の平を上に向け、指をくいくいと引く翔。実に挑発的だ。


 私は静かに息を吸い、ある動作の準備をする。周囲の空間の広さ、この場にいる人間の背丈、姿勢、己との距離を計算し、エネルギーを計算し――そして放った。


ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁツッ!!!!!!」


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