第四話  言葉に依って

「アイの家、ケッコー貧乏でさ。パパとママ、顔合わせれば喧嘩すんの。狭い家じゃ逃げ場もなくって。仕方ないから外に出るの」


 伏せたまぶたはかなげで、そのまま閉じてしまいそうだ。


「バイト先でもストレスフルだよ。アイはシフトにも貢献こうけんして、新人に仕事教えたりもしてんのにさ! でも店長は全然認めてくれなくって、新人のミスをアイのせいにしたりすんの。ありえなくない?」


 むすっ、と頬を膨らませる。


「それで、神頼みに来たってわけ。店長……と、パパとママ、学校の先生とかが、ちゃんとアイの頑張りを見て、優しくしてくれますように、って」


 アイは「あーあ」と言って後ろに手をつき、両脚を空中に投げだす。

 私は予想が外れて、しばし言葉を失った。

 普通なら、その憎き店長との決別を願うだろうと予想したからだ。異動してくれますように、とか、またはもっといいバイト先が見つかりますように、だとか。


 しかしアイは、お互い今のままでうまくいく未来を望んでいる。

 建設的であると思うと同時に、自分を見て欲しいという言葉にある寂しさが、なぜだかひどく引っかかった。


 ――ちっくしょう!! 言ってくれるよねぇ、あたしだって頑張ってんだっつーの……!!


 苛立いらだちと悲しみが交じった声。私は、この寂しさを抱えた人間を他にも知っている。そんな、気がする。誰なのだろう?


「あははっ! うん、ごめん! なんか込み入った話しちゃった! あんた聞き上手だね! さすがお坊さんって感じ!」


 ぱっと、アイが声色を変える。元の、アイである。


「僧侶スキル『傾聴けいちょう』でございます」


「やば! 僧侶やば!」


 言ってしまえば傾聴とは、ただひたすら聞くに徹する、ということなのだが、アイは心の底から感心したように瞳を大きくする。


「やばいわ! 信者になりそう!」


「では、まずトゥウィッタ―のフォローからしてみてはいかがでしょう」


 すかさず腕時計を操作し、SNSのページを開いて見せる。


「へぇ、アカあるんだ……って警告食らってんじゃん! しかもアイコンあんただし! ウケる! まぁ顔はいいよね!」


「好まれる傾向にはあります」


「あはは! ケンソンの仕方! うん、でも、イケメンだよ」


 派手な金髪をなびかせ、歯を見せて笑うアイ。だが、その笑顔の下ではうつむく少女がいる。揺れながらも頑張る、ひたむきな姿が、ある。


 ギャップ萌え。

 ――ああ、これこそが。

 プログラムのアップデートを行う時に感じる、落ちていくような感覚をおぼえる。

 ギャル。怖いもの知らずな、最強のメンタルを宿すといわれる彼女らは、内に秘めたる繊細さを、こうもいじらしく隠しているのか。


 ギャルも――よいものだ。

 価値観の上書き。その瞬間、プログラムは「沼」の文字で埋め尽くされる。

 沼、沼、沼――。

 ああ、ハマっていく。

 深みに、吸い込まれていく。


「ねぇ?」


 至近距離で響くアイの声。


「へ、へい!?」


 いかん! 言語能力までバグっている!!


「なんで、お坊さんになったの?」


「そう……生まれたからであります」


「ひかれたレールかぁ。幸せ?」


「考えたことはありません」


「もったいない! 庭見てんのもいいけど、世界は広いんだよ! ほら、空を見てよ!」


 アイは立ち上がり、天を指す。柔らかい日差しをベールのようにまとった、吸い込まれそうな青である。

 初めて見るような気がした。


「空はずっと続いているのにね、国によって色が違うんだよ!! アイね、空を見ると、自分もどこへだって行けるんだって、行っていいんだって思うんだ! わくわくしない!?」


 両手を広げ、瞳を輝かせるアイを見上げながら、私はうなずく。


「ええ、行けますとも。アイ殿なら」


 私は行けないが、という含みを拾ったのか、アイはがっくしと両腕を下ろす。


「なんかくやしい。あんた、もっと幸せになれる気がするの。たぶんだけど」


 そして足元を見ながら、こう続けた。


「見ててムカつく」


 私には、それが言葉通りの意味ではないことがすぐにわかった。

 やるせないのだろう。

 私の幸せを願うからこそ、生まれる感情なのだ。

 そして私も、以前、人に対して抱いた感情である。

 

 ――誰もあたしのことなんか、わかってくれないんだ! もうやめる!


 思いだした。

 私は菩伴ぼはんになる前は、物言わぬお掃除ロボットだったことを。

 人型であったため、主人はよく私を話し相手にしたのだった。

 あの人は、売れっ子の絵描きで、作家でもあった。

 一部のアンチの言葉に過敏かびんになり、それしか聞こえなくなってしまったのを、私は何も言えずに見ていた。


 バイバイ、とシャットダウンされたのが最後の記憶だ。


「アイが、口だしすることじゃないよね。お茶、ごちそうさまでした! さよなら!」


 鞄を引っ掴み、だっと駆けだしていくアイ。

 私は座ったままの姿勢で、後ろ姿を見送るだけだった。



         ○○○




 翌日。

 日も傾き始めた頃、檀家だんかの南さんがやって来た。


「住職さんご不在なのね。菩伴さんにご相談しようかしらぁ、うふふ」


 世話になっている檀家の方の相談とあらば、聞かないわけにはいかない。


「そう言えば、SNS見ましたわ。フォローしましたのよ!」


 警告が解除されたか。私は礼を言いながら確認をする。

 フォロワーの一覧を開いた時、ある二文字が目に飛び込んできた。


 ai――これはまさか。


 ポックリ―の箱のアイコンをタップする。

 最新の投稿は、どこかの川の写真であった。文字はひと言。


『もう全部イヤ』


 頭部に電流が走る。

 何かあったのか。

 川の写真が危機感をつのらせる。まさか、まさか。


 返信は制限されていて、DMも不可。

 「ai」がアイである確証はない。早とちりかもしれない。

 しかしあの、儚げに伏せた瞼を、私は見てしまったのだ。

 警告音が鳴る。

 ――リスクヲ回避セヨ。


「あ! ちょっと菩伴さん!?」


 私は南さんの後ろにある玄関の戸に手をかけ、力任せに引く。そのまま山門へと駆けだした。

 檀家の人を放置していくなどという不届ふとどき、住職に知られれば、私は問答無用で消去されるだろう。

 だが、私にとってのリスクとは――アイを失うことである。

 あの娘を、救いたいのである。

 私に空の青さを教えてくれた、あの娘を。


 私は近くの川へと走りながら、トゥイッタ―でaiの投稿写真を拡散する。

 千人のフォロワーよ、頼む!


「至急! この川はどこ?」


 瞬く間に返信が集まる。しかし川のごく一部しか映っていないため、やはり皆確証はない。

 辿り着いた川の橋で辺りを見回すも、誰もいない。

 そんななか届いた通知に目を見張る。


「さっき通った。ここじゃね?」


 貼られた川の写真には、aiの写真と同じ水仙の花。

 まさに神、仏リプである。

 場所はそれほど遠くない。急げ!

 

 体内でカラコロ音がする。ポックリーだ。

 変な場所に入ったらしい。それがどうした!

 駆ける!

 駆ける!!

 今、私は言葉を持っている――今度こそ!


「アイ!!」


 夕暮れに染まる石橋の上。

 欄干らんかんに伏せていた金髪頭が顔を上げた。


「え――あんた、なんで」


 歩み寄る間に、その瞳に涙が浮かぶ。


「パパとママ、離婚するって。店長ともまた喧嘩しちゃったし。なんでかな? 悪いことばっか。他力本願たりきほんがんはダメってこと?」


他力たりきとは、如来にょらいの力のこと。アイ殿。懸命けんめいに生きていれば、必ず誰かが見ていてくれる。闇は、明ける! 絶対に、絶対に!」


「言い切ったね……。でも、誰が」


「私がいる!」


 アイは瞳いっぱいに涙を浮かべ、唇をんだ。

 そして私に抱きつく。


「あんたなんかいたって……! うう、うえぇん。ありがど……!」


 震える方に手を伸ばした時、アイががばりと顔を上げた。


「あんた、なんか固い」


「私はロボットですので」


「え――ポックリー食べれるの?」


 疑問はそこなのか。

 アイが頬を膨らませる。


「何、笑ってんの。ロボットのくせに」


 この娘は、きっと何があっても大丈夫だ。




 私はAIである。

 そして僧侶だ。

 大地に触れながら、物思う。


「ウケる! また何かしたの?」


弾む声に顔を上げる。


「ロマンス小説を、写経しゃきょうしておりました」




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