縋る
「可愛くなりたいと言ったんです」
古い木造アパートの一室。部屋の住人である湯島は年季の入ったリビングチェアに力無く腰掛け、抑揚のない声で言った。
「可愛く、ですか」
刑事の涼森は腕組みをしたまま、和室の方へと視線を向ける。
畳には不釣合いなピンクを基調とした家具や大量のぬいぐるみ。部屋に散乱したフリルの多い洋服。この世の可愛いと呼ばれるものたちを手当り次第かき集めたかのようだった。
そんな部屋だったからなのか。涼森は現場を訪れた時、部屋の中心に横たわるピンクのロリータドレスを着た湯島あかりの遺体が等身大の人形のように見えた。腹部に刺さった包丁すらも小道具に見えてしまったくらいだ。これが被害者の望み通りだというのならば、刑事以前に一人の人間としてどうもやるせない。
「…………死んだら元も子も無いだろうに」
誰に伝えるでもなく、ぽつりと零すように言う。
長い沈黙の後、返答かもわからないくらい小さな声で湯島は呟いた。
「噂が本当だったなら」
「噂?」
聞き返した涼森は、初めて顔を上げた湯島と目が合った。その淀んだ黒い瞳に生気は全く感じられない。
「死んだ人間はゆるになる」
「…………死んだらゆるに?初耳ですね」
「私も娘に聞いて初めて知った事です。ゆるは事故現場や病院に多く現れる。それは死んだ人間がゆるになっているからだ、と」
「そんなの、学校の七不思議や都市伝説のようなものでは」
「ええ。ネット上で密かに広まっているだけの、全く根拠の無い噂話。ですが娘はそれを信じ込んでしまったんです。私も死んでゆるになったら今よりもっと可愛くなれる……世界中の人に愛される。そう言って……娘は……あかりは……」
言葉を詰まらせながら言う湯島の目元には、大粒の涙が溜まっていた。
「本当に、死んだ人間がゆるになってくれたらよかった。せめてあかりの願いがかなってくれたら、あかりが自殺したことにも意味が生まれたのに……なんて、父親失格ですね」
「そんなこと。大切な娘さんの事ですから、噂にすら縋りたいと思ってしまうのは当然です。娘さんに聞いたことなら尚更」
家族を失った遺族が都市伝説や怪しい宗教にのめり込んでしまうことは珍しくない。実際その状況に涼森は何度も出くわしている。ゆるが現れ始めてからは特に。
「縋りたい……。死ぬ前の娘も今の私と同じ気持ちだったのでしょうか」
ゆるになりたい、なって欲しい。それが僅かな希望でも、可能性があるのなら。
「……かも、しれませんね」
曖昧な言葉を返した涼森は、捜査を終えた部下に湯島を任せて部屋を出た。
確認のしようもないことは自分の信じたい方を選んだ方がいい。赤の他人が肯定も否定もするべきでは無
い。これまでの刑事人生で得た結論だ。
涼森は胸ポケットからスマホを取り出して画面をつける。ホーム画面には自分の帰りを家で待つ、愛しい息子が映っていた。
息子が死んだら、自分も湯島と同じことを願うのだろうか。願いが叶ったとして、目の前に現れたゆるのことを自分の息子だと思えるのだろうか。まだ涼森の中でどこか他人事に感じているからなのか、人がゆるになるということが上手く想像できなかった。
「涼森さん!」
自分を呼ぶ声に涼森はハッと顔を上げる。目線の先にはアパート脇に停めていたパトカーの傍で手を上げて呼びかける部下の姿があった。今行く、と返し歩き出す。
スマホをしまう直前、妻からのメッセージ通知が表示されたが、涼森は気に止めることなく胸ポケットへと入れた。僅かに見えたメッセージの『ゆる』という文字の続きを読んだのは、深夜に自宅へ帰宅して全てを知った後のことだった。
ゆるとひと よもぎ望 @M0chi_o
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