プロローグ

電話先の名前も知らない彼女が最後に何と言っていたか、包丁をどこに投げ捨てたのかは覚えていない。私は、熱に浮かされたようにふらふらと歩いた。


 彼とは、これから会うのだろうか。彼は、どんな顔をして私を見るだろう。そして、私はどんな顔で彼を見ればいいのだろうか。ともに地獄で仲良くできるだろうか。いや、できるはずがないか。また、このような死んだ人が犯人の事件は、どのように解決されるのだろうか。


「ちょっと、瑠香ちゃん?何があったの?」


 後ろから声がする。私を呼ぶ声だと脳内で処理をするのに数秒かかった。

振り向くと、同じマンションに在住の内本さんがいる。内本さんは、眉間にしわをよせて、こわばった顔で私を見た。私から一歩一歩後ずさる。


「ー私の事、見えるんですか」

 私は一呼吸おいてから口を開いた。


「あ、あたりまえじゃない。逆に見えない人がいるわけないでしょ。そんなことよりも、何があったの。あなたの部屋から叫び声もしたけど」


 内本さんが言い終わらないうちに、遠くからサイレンが聞こえ、音がだんだん大きくなってくる。それに伴い、彼から落とされた続きの記憶がよみがえってきた。


 そうだった、運良く、私が落ちた場所は河原の上であった。そして、そのまま意識を失ってしまったのだ。湊が間違えて河原の上に落としたのか、私がなんとかして河原のほうに体重を預けたのか、もしくは両方か、詳しいことは覚えていない。


しかし、一つだけ言えることがあった。



ー私は死んでなんかいなかったのだ。



何も考えることが出来ず、私は呆然と立ち尽くした。生ぬるい風が吹く。


やけに、その風は私の肌にまとわりついた。

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ある夏の日の匂い 白秋詩依 @shihakusyu

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