帰着
少し休憩をしてから、私は起き上がった。湊との思い出を思い返しているうちに、彼に会いたい気持ちが積みあがっていったのである。やはり、休息をとっても頭の痛みと左足の腫れは治らない。
しかし、私はそれらを気にも留めずにマンションに向かった。私たちの家は、公園から出て何十歩か歩いたところにある。公園まで来てしまえば、もう目と鼻の先だった。
家の前に来ると、私はなぜだかとても懐かしい気分になった。死んでからそこまで時間は経っていないはずなのに、不思議である。
お化けならドアをすり抜けることはできるのだろうか、と考えて、私はドアに手を伸ばした。しかし、奥に手が入るような感じはしない。やはり、幽霊は不便である。
私は、結局ドアを開けて玄関に入る。姿が見えないのに勝手にドアが開いたら、湊は相当驚くだろうと考えて、出来る限り音を最小限にしてドアを開閉した。
すると、湊の声が聞こえた。このマンションの部屋は1DKで狭いため、外でも中の声が聞こえてしまうことがあるのが短所である。
耳を澄ませると、湊と他の女性の声がした。しかし、女性の声はくぐもって聞こえる。どうやら、湊は電話をしているようだ。
「うん、そう。昨日、とにかくあいつを橋から落としたんだって。あの、有名な、一度入ったら出てこれないっていう川。あの橋で星でも見に行こうぜって言って、連れてったんだよね。そしたら何も疑わずに信じてついてきてさ。ほんと、あいつ騙されやすいんだからさ」
「え、それ大丈夫?なんでそんなことしたのよ。普通に振ればいいだけの話だったのに。ってか、そんなことしたら湊殺人犯じゃないの」
「そこらへんは大丈夫。夜遅くに連れ出したし、あそこらへん人いないじゃん。あと、スマホとかお金とかも全部取り出してきたし。警察にはなんかあいつが勝手に出ていって帰ってこないって言っとけばなんとかなるっしょ。
あいつ、俺が浮気しているようなアピールしてても全然気づかなかったんだよね。なんかやたらと鈍感でさ。んで、もう最近そのアピールもやめたのよ。なんかあいつ、俺に執着しすぎててもうなんか簡単には放してくれなさそうでさ。他に好きな人が出来たって言ったら一生追われそうなんだもん」
「あー、まあそれは確かにね」
「だからこれでよかったんだよ。もし警察とか来たら、適当に口裏合わせといてくれない?もう何年も待たせてごめんね」
私は、全身から血の気が引いていくことに気が付いた。心拍数がどんどん速くなっていく。頭がひどく痛かった。
そうだ、あの時。私は、湊に星を見に行こうと誘われてそのまま橋に行ったのだ。そして、湊に、かんむり座が見えると言われて、橋に身を乗り出した時に、後ろから押されたのだった。私は、そのまま抵抗することもできずに落ちていった。
怒りの感情以外に湧いてくるものはなかった。靴を脱ぐこともせずに、玄関に上がる。そして、湊のもとに急いだ。彼は、キッチンでスープを作っている途中のようだった。しかし、私が目の前に現れると、悲鳴を上げる。
「瑠香!?お前、死んだはずじゃなかったのか!?
お願いだから、早まるな」
湊は手を床につき、後ろに下がっていく。私は、浅い呼吸を繰り返しながら、キッチンの引き出しを開け、包丁を取り出した。何も考えることができなかった。ただひたすら、彼が憎かった。
「これからもよろしく、湊」
彼に包丁を向ける。お願いだ、お願いだと裏返った声で繰り返す湊。
「湊、湊、大丈夫?何があったの?」
彼が愛してやまなかった彼女の声。
「瑠香、お願いだ。俺が好きなのは君だけだから」
彼が言い終わる前に、私は包丁の刃を湊に突き刺した。血しぶきが広がり、私はそのまま血を浴びた。顔についた血を、半そでで拭う。最後に感じた彼の匂いは、バラの香りであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます