第6話
奏が先に立ってカフェに入った。白と黒を基調としたシックでオシャレな内装だった。繁盛しているらしく、ほぼすべての席が埋まっていた。女子学生風の二人組、ママ友三人、マダムが二人。年齢はそれぞれ違ったが皆女子だった。女子、女子、女子。
二人だけ男がいたが、どちらも彼女らしき女子と一緒で、なおかつ爽やかだった。今まで清潔感ってなんだよと思っていたが、これが清潔感かぁと分からされた。場違いすぎて穴があったら入りたかった。
「なんで震えてんの、スマホのマネ? ウケる」
恐怖と緊張から椅子の上で震えていた優太朗を見て奏はおもいっきり馬鹿にした。
仮にも!! 仮にも彼女なんだからフォローしてよ!!
優太朗は泣き叫びたかった。床に転がって泣きながら暴れまわりたかった。
しかし
「アタシこれにしょっ。ゆうゆうは?」
「あっ……えっ……」
周りの目が気になって注文のことなんかすっぽりと頭から抜けていた優太朗は慌ててメニューをめくった。けれど注文する品を選ぶのにも手間取っている今の状況を周りにどんな風に見られているかと思うと余計に焦ってしまい、目はメニューの上を滑るばかりだった。
「選べないならアタシが決めてあげようか? これとかどう?」
「あっ、じゃあそれで」
優太朗の同意を取ってから奏は店員を呼んでパフェとパンケーキを注文した。彼女が助け船を出してくれたおかげで優太朗は一命を取りとめた。
数分してイチゴのパフェとブルーベリーのパンケーキがやってきた。奏の前に置かれたパフェは、こぼれそうなほどイチゴが盛られていて、容器の中に層になった白とピンクのクリームがかわいらしかった。
優太朗の前にはシフォンケーキのようにふわふわでプリンのようにトロトロのパンケーキが三段に重ねられ、その上にホイップクリームが盛られ、ブルーベリーソースがこれでもかとかけられていた。
オシャレな店でオシャレな料理を食べるのは初めてのことなので、どんな味なんだろうと非常に気になった優太朗は、さっそくナイフとフォークを手に取った。
「待たれいっ」
パンケーキにフォークを刺そうとした優太朗を、奏が歌舞伎の見得のように手を突き出して止めた。なんだと思って見ると、彼女は慣れた手つきでスマホを取り出して写真を撮り始めた。
彼女のように写真を撮ってSNSに投稿する人の気持ちが優太朗には分からない。しかし昨今ではカフェもSNSでバズることを狙ってメニューを考えている。ということは店側としては彼女のような客こそいい客であり、むしろ優太朗のような人間のほうが非常識で迷惑な客なんじゃないだろうか。
そんなことを考えているうちに彼女の写真撮影は終わっていた。
「ごめん、もういいよ」
彼女の許可が下りたので、さっそく優太朗はパンケーキを口に運んだ。
「うま~い!」
奏は幸せそうに声を上げた。
それに比べて優太朗は眉一つ動かさなかったが、心の中は彼女と同じリアクションだった。
甘いホイップクリームとブルーベリーソースの酸味がよく合っていて、そこに生地に練り込まれたキャラメル風味がいい隠し味になっていた。ブルーベリーソースに入っている果肉の歯ごたえも口を新鮮にするいいアクセントになっていた。繊細にして大胆。隅々まで料理人の気遣いが行き届いた逸品だった。
そんな風に脳内でグルメリポートをしながらバクバクと食べていると、ふと奏がニコニコ笑顔でこちらを見ていることに気付いた。
「おいしそうだね」
「まあ、はい」
おいしそうに食べているところを見られて、というより感情を表に出しているところを見られたことが恥ずかしかった優太朗はぶっきらぼうに答えた。
「一口もらっていい?」
「あ、はい」
「よかった。そのために頼んだからね、それ」
自分で食べるためにパンケーキを選んだらしい。助け船を出してくれたと少し絆されたことが怨めしい。
しかしこれに関して彼女は悪くないので、文句を言うことはできない。だから優太朗は大人しくパンケーキの皿を彼女の方へ寄せた。
けれど彼女は手をつけなかった。
「じゃあ、はいっ」
彼女は優太朗の方を向いて目を閉じて、ぽかんと口を開けた。クリームとかがついたためか、彼女の唇は艶やかだった。ほんのりと赤くなった小麦色の肌も合わさって、妙に色気があった。
「な、なんですか?」
僕は震える声で聞いた。
「何って、あーんだよ、あーん」
「人前でそういうのは」
「付き合ってるんだから普通でしょ。ほら」
奏の視線を追って横を見てみると、ちょうど近くのカップルが仕組んだみたいに彼氏から彼女へあーんしていた。
でも優太朗にはできない。あーんするなんてそんなはしたない真似、陰キャの優太朗にはハードルが高すぎる。
「嫌なの?」
「滅相もございません」
奏の眉がピクリと動いたのを見逃さなかった優太朗は、瞬時にフォークを手に取った。そして目にも止まらぬ速さでパンケーキを切り取り、突き刺し、ソースをたっぷりつけて持ち上げた。
でもそこからが大変だった。うっかり手元が狂って頬に当たったら怒られるから失敗できないという緊張。そして単純に恋人っぽいことをすることに対する緊張。割合は前者2後者8くらいだろうか。そのプレッシャーによって腕がプルプル震えて照準が定まらなかった。
そうこうするうちに、また奏がしびれを切らした。
「まだ?」
「はいっ! ただいま!」
優太朗は腹をくくって、奏の口にパンケーキをズボッと突っ込んだ。
「……」
彼女は少しうつむいて、しっかり味わうように食べた。まるで料理番組で審査員をするシェフみたいだった。
食べ終わると彼女は頬杖をついてそっぽを向いた。そして言った。
「……おいしかった……」
とてもそうは見えなかった。何が気に入らなかったのだろう。パンケーキの味か、それとも勢いよくフォークを突っ込んだから歯に当たったのだろうか。
いや、そもそも彼女はいやいや僕と付き合ってるんだと思い出した。あーんするのも罰ゲームの一環だろう。
ならどうしようもないや、と自分の手に余ることは早々に諦めて、おいしいパンケーキを食べることにした。
彼女も似たようなことを思ったのだろう。優太朗と同じように無言でパフェを食べだした。
しばらくしてから彼女が呟いた。
「映画楽しかったね」
「そうですね」
機嫌が直ったのだろうか。それはよく分からないが、優太朗にとって都合がよかった。一人だと気にならないが、二人でずっと黙って食べるのは想定以上に気まずかった。だから話しかけてくれるのは渡りに船だった。
「ゆうゆうはよく映画見るの?」
「あんまり。アニメ映画くらいです。か、奏さんは?」
「アタシは恋愛映画よく見るかなー。漫画原作のヤツとか」
「最近よくありますよね、漫画の実写版」
「たしかに! でも嫌がる人もいるよね。ゆうゆうはアリ派? ナシ派?」
「映画単体で面白ければ、あんまり気にならないです」
「一緒じゃん。じゃあ恋愛映画は?」
「積極的には見ないですけど、見たら見たで面白いって思います」
「じゃあ今度また見ようよ。アタシの好きなヤツ」
「あ、はい」
気まずい空気は霧散して、和気あいあい、とまではいかないけれど、一応は和やかな空気の中で二人の食事は進んだ。
「トイレ行ってくるね」
食べ終わると奏がトイレに行ったので、彼女が戻ってくるのを待ってから会計に向かった。映画館では彼女が払ってくれたので、ここは優太朗が払うことにした。
「あーおいしかった!」
奏は両腕を頭上に掲げて背を伸ばした。
「ね?」
「そうですね」
二人は駅までの帰り道を歩いていた。今日のデートがなんとか無事に終わりそうで、優太朗はずっと張りつめていた緊張の糸がゆるんで、ため息を漏らした。
「ありがとねっ」
「いや、別に。こちらこそ」
デートのプランを立てたのも映画のお金を払ったのも彼女なんだから、こっちが食事代を出すのは当然だ。彼女が礼を言う必要はない。そして罰ゲームに付き合わされてるだけだから優太朗が礼を言う必要もない。
でも表面上は付き合ってる体だし、映画代を出してくれたのは事実なんだから、礼を言わないと決まりが悪い気がする。
そんな二つの考えがぶつかって迷った挙げ句の曖昧な返事だった。
それがおかしかったのか、彼女の唇が薄く弧を描いた。
「今日楽しかった?」
「まあ、はい」
「それはよかった。お疲れさんっ」
優太朗に笑いかけた奏は、少し歩幅を大きくしてご機嫌に歩きだした。
すべて見透かされていたみたいで優太朗は恥ずかしくなった。
最初からデートに乗り気じゃなかったことも人ごみが苦手なこともオシャレな店に気後れしていたことも、そのくせ好きなアニメの映画を見て、その話で盛り上がって、おいしいスイーツも食べて、なんだかんだで楽しんでいたこともお見通しだった。すべて彼女の手の平の上だった。
横を歩く彼女はヒールを履いているので頭半個分ほど優太朗より高いけど、それ以上にでかく見えた。
もともと僕みたいなカスがギャルに敵うわけがなかった。優太朗は格の違いを思い出した。
結局何をしようとも、気を遣わないといけない彼女の横は疲れる。楽しかったのは本当だけど、こんな経験は一度で十分だ。二度目はごめんだ。
気力を使い果たした優太朗は、帰宅するとすぐにベッドに骨を埋めた。
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