第4話

 昼休み。


 多くの同級生が机を引っ付けたり椅子を移動させて友達と楽しく談笑しながら昼食をとっている中、優太朗はぼっちなので早々に弁当を食べ終わり、一人スマホで漫画を読んでいた。


 前回の話は仲間のピンチに修行を終えた主人公が駆けつけたところで終わった。今回は敵との戦いから始まり、主人公は修行の成果を存分に発揮して互角以上に戦う。今まで塵芥のように思っていた相手に苦戦していることに苛ついた敵は”固有世界”を展開する。それに対して主人公も印を組む。


 まさか主人公も展開するのか!!?


 ウオオオオッッッ!!!!


 心の中で熱盛しながらページをめくった瞬間、メッセージの受信通知が画面に表示された。


 くそったれぇぇ!!


 最高に盛り上がるシーンに水を差され、さっきとは真逆の意味の叫びを心の中で上げる。


 ページをめくった瞬間、見開きいっぱいの決めゴマが視界一面に飛び込んできて、まるで自分がその世界に入り込んだように錯覚する衝撃。あの初めてページをめくった時の衝撃は、その時にしか味わえない。初めて読んだ時にしか味わえない。


 なのに……! なのに……!


 ほんとお母さんはタイミングが悪い。 勉強しようと思った時に勉強しなさいと言ってきたり、わざとやってるんじゃないか? わざわざこんなタイミングになんの用なんだ、とメッセージを確認して、それが母親からじゃないことに気付く。


 えっ誰、怖っ、と一瞬混乱するが、あ、昨日秋津とライン交換したんだったと思い出す。普段母親としかやり取りしないから早とちりしてしまった。


 メッセージは、


『今日も一緒に帰ろ』


 なんて返そう。頭の中に選択肢が浮かぶ。


 はい。うん。了解。かしこまりました。がってん承知。


 断る選択肢がなかったので、泣く泣く、かしこまりましたを選び、返信した。



 放課後。


 昨日と同じように人通りの少ない住宅街の細い路地へ行くと、すでに奏が待っていた。昨日の一連の出来事が全てなくなってリセットされたみたいに彼女は不機嫌面だった。スマホをしまった彼女は眉間に皺を寄せて優太朗に尋ねた。


「ねえ、アタシたちのこと誰かに言った?」


「言ってないです」


 優太朗がそう言うと彼女は、


「よかった」


 と柳眉をゆるめた。


「あのさ、アタシたちが付き合ってること秘密にしない?」


 そりゃあなたはバレたら嫌でしょうね。陰キャと付き合ってることなんか。


 でもそれなら、なんでこんなことをしてるのか。始めからしなければいいのに、と不満に思う。


「あ、でも絶対に嫌ってわけじゃないよ。ただ付き合ってること周りに茶化されるの嫌だし、なんか二人だけの秘密ってよくない?」


 なんと白々しい。昨日はオスカーだったが、今日は大根にしか見えない。


「……イヤ?」


 拒否権はないので


「いいですよ」


 とうなずくしかない。


「よかった。じゃあ帰ろっか」


 奏は後ろで手を組んで軽い足取りで先に歩き始めた。優太朗はその三歩後ろを黙ってついていく。


 少しすると奏が横に並んで話し始めた。昨日と同じように彼女が話して質問して、優太朗が答える。その繰り返し。


 何度も繰り返すうちに、一方的に情報開示をしていることが嫌になってくる。


 まあこちらが全く話を広げる気がないから、必然的にそうなるんだけども。でもやはり、弱みを握られて脅されるんじゃないかと不安になってくる。


 やはりこちらからも攻めるべきか。情報は武器だ。もしもの時のためにこちらからも質問をして、彼女の弱みを持っておくべきでは。


 そんなことを考えていると、ふと隣が静かになった。不審に思い横を見てみると、奏が不満気にこちらを睨んでいた。


 やばい! 全く話す気がないことがバレた! 殺される!


 優太朗が子羊のように恐怖に震えていると、彼女はおもむろに手を伸ばして、優太朗の手を握った。


「えっ!!?」


 手っ!!?


 驚いてあんこうのように口を広げている優太朗を見て彼女は満足気に笑った。そしてスマホを取り出し、その健康的な二の腕を高く伸ばした。繋いだ手が二人の顔の間に持ち上げられ、頭上のスマホがカシャリと鳴った。


 !?!?!?!?!?!?


 驚きすぎて声も出せずにいる優太朗に向かって彼女ははにかんだ。


「初手つなぎ記念だから」


 そう言った彼女は紅潮した頬を隠すように先へ歩きだした。


 でも手を繋いでいるので、優太朗は引きずられるようにして彼女のすぐ後ろを歩くことになって、目の前に薄紅色の化粧をした小麦色の耳がくる。


 どういうこと? どういうこと? どういうこと?


 なんで手を繋ぐのか。写真を撮るのか。赤くなるのか。考えようとしても、熱湯に入っているみたいにのぼせ上がった頭では何も考えられなかった。そのまま二人は手を繋いで無言で駅までの道を歩いた。


 しばらくして駅が見えてくると奏はパッと手を離した。駅前の広場には、ちらほらと同じ学校の生徒がいた。


 優太朗は繋いだ手から伝わってくる熱がなくなって、ようやく考えられるようになる。


 昨日は全く働かなかった灰色の脳細胞がひらめく。なぜこんなことをするのか。それは罰ゲームにミッションがあるからだ。つまり告白するだけじゃなく、付き合って一緒に帰ったり、名前で呼び合ったり、手を繋いだりするように友達から指令が出ているのだ。手を繋いだ写真を撮ったのも証拠として送るためだろう。


 孫子の兵法にこう書いてある。「敵を知り己を知れば百戦危うからず」と。


 優太朗は15年間ずっと自分としか会話してこなかったから己のことは誰より熟知している。そして今、ギャルの意図も看破した。恐れるものは何もない。


 孫子の兵法を修めた現代の天才軍師たる優太朗が導き出した策。それは、


現状維持なにもしない”だ。


 だってしょうがないじゃん。断ったらいじめられるんだもん……。何もしないほうが殴られたりカツアゲされたりする可能性が低いなら誰だってそっち選ぶでしょ!


 消極的で後ろ向きな決意を脳内で自己正当化していると、いつの間にか優太朗の最寄駅に着いていた。


「じゃあ、また……来週っ!」


 横のつり革に捕まっていた奏が、首を傾けてはにかんだ。


 間があった気がするが、優太朗は深く考えないことにした。そっけなく会釈して電車を降りる。


 今日は金曜日。やっと週末でギャルから解放される。


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