第18話 蝶を追って
僕がとても小さな頃だった。
公園に行った時のことだった。どのような経緯でそこへ向かったかは思い出せない。
滑り台やブランコ、砂場、一般的に備え付けられている遊具がある、ごく普通の公園だった。その場には他にも小さな子供達、そして彼らの親であろう人達が数名いた。
僕にとって親とはどのような存在かよくわからなかったが、僕と同じくらいの子供のそばに居て沢山声を掛けたり、様子を気にしている姿が映ったのであれが親というものなのだろう。きっとそうなのだろう。
なんだろう、このモヤモヤとした気持ちは。
薄っすらと記憶にあるように思える。だけどモヤが掛かっていて思い出せない。
手料理を振舞ってくれた確か『ビーフシチュー』だったと思う
その味ははっきりと覚えているのに。
じっくりと思い出そうとすると頭痛がしてくるので、深く考えるのはやめていた。
そんな公園で僕に不思議が舞い降りたのだった。
水彩画のような世界の中に、明確な輪郭をもった存在が突如として現れたのだ。
『僕は虹色に輝く綺麗な一匹の蝶を見かけた』
公園の隅の方で揺らめいている。太陽の光を反射して、キラキラと光を放っていたのだ。こんなにも綺麗なものを生まれて初めて見た。どうして他の子供達は興味を示さないのだろう。子供は昆虫が好きか嫌いかどちらかにはっきりと分かれると思うけど、絶対に反応があると思うのだが。考えても無駄だ。独り占めしてやろう。そう思った。
僕はその蝶にとてもとても興味を持った。それまで虫はあまり好きではなかった。特に毛虫や蜘蛛など脚が沢山生えている種類のものは、生理的な拒否感を覚えた。
他の子供たちが捕まえたり、つついたりしているのを見ると、なんでそんなことが出来るんだとびっくりしたものだ。
虫が潰れた時、何の物質かわからない、異様な体液が漏れ出る。
甲羅に身を包まれ、中はドロドロ、一体なぜそのような生命体が活動しているのだろう。拒否感がある一方、その能力には驚かされる。空を飛ぶ虫は、あの小さな羽根で1秒間に何百回と羽根を上下させる。人間の技術ではそのようなものを実現できない。正に未知なる存在。
・・・・いや・・・どういう訳だろうか?僕にはできる気もする。なんでだろう・・・
ビーフシチューが蘇る。あれを食べた後、何かが変わったような気がするのだが。
なんでこんなことを思い出すのだろう。
最近になって知ったが、昆虫は地球外生物ではないかとの説があるらしい。そもそも幼虫から成虫に変異する過程などは明確に解明されていないのだとか。これだけ身近に存在しているけども人知を遥かに超える存在なのだ。それがそこら中に居る。それも無限と思える程の数だ。
そこに嫌悪感や恐怖感を抱いてもなんら不思議ではないのだろう。
生理的にという意味では根本的な起源が違うというところが強く影響しているのかもしれない。別の世界から来たものということなのか?
少しボーっとしていたが、今は蝶を捕まえるのだ!という意識に首を振って切り替えた。
『この蝶を捕まえれば、僕は人気者になれるぞ!』
目の端でキラキラとはためく蝶をもっと近くで見るべく。
僕は歩みを早めた。きっと僕の目もさぞ、らんらんと輝いていたことだろう。
ゆっくりと近づく。そう忍び足だ。忍者のごとく、音を立てず気配を消してその蝶との距離を詰める。一歩また一歩と・・・
なんていう名前の蝶だろうか。羽の紋様が特徴的で、複雑な線を描いていた。
そもそも虫に興味がないので、蝶の名称など知る由もない。
ただ、昔見た昆虫図鑑には載っていなかったと思う。
何よりも本当にキラキラと輝くのだ。羽に宝石が散りばめられていたのかもしれない。構造色とも違う輝きがそこにはあった。構造色はアゲハチョウやシャボン玉の虹色の色合いを思い浮かべてほしい。その輝きは実は表面上の細かな凹凸からなるものだ。これは違う。
一色に輝くのではなくもっと複雑な色合いを放っていた。ルビー、サファイア、ダイア、そんなものを背負っていたのかもしれない。宝石に身を包まれた蝶、なんて美しいのだろう。
不規則に舞うその蝶を僕は夢中で追いかけた。
蝶の軌道は捉えるのが難しい、右に進んだと思えば、左に、左に進んだと思ったら、上へ、子供の僕には予測がとても難しい。
だったら、動く方向が制限させる場所に誘導すればいい。
公園の端にコンクリートで3方向を固められた場所があった。
ここに追い込むのだ。我ながら天才的発想だ。将来は博士になれるかもしれない。
当然追いかければ蝶は逃げる。
小さな身体、短い脚、全速力で追いかけた。
だが追いかけても追いかけても蝶との距離が一向に縮まらない。
僕は考えた。捕まえたいだけど僕の足では追いつけない。
しかし、僕は一生懸命に、一定の距離を保ちながら、蝶をその方向へと導く。
少しずつ歩みを進め、慎重にその一角へ誘導していく。
方向がズレたと思ったら、別方向に自分の体の動きを変え、軌道を変えていく。
大した運動をしてるわけではないのにジワジワと汗が出てくる。
短い時間ではあったが、精神面の削られ方が激しい。
上手いこと僕は誘導に成功した。
捕まえるための網や虫かごは持っていなかった。
単に手で掴もうとしたのだ。
そもそも虫嫌いの僕にとってはそのような装備はこれまで不要だった。
彼は立ち止まって、蝶の動きを観察し始めた。
すると、蝶はゆらゆらと揺れながら、植物の葉に止まった。
僕に追いかけれられて疲れたのかな?
『よし!ここだ!これはチャンスだ!』
僕はゆっくりと近づいた。そして手を伸ばせば届く距離まで来た所で、勢いよく両手を伸ばした。
蝶を両掌で包み込む。
指の隙間から輝きがこぼれ落ちた。
やった!!捕まえたぞ
僕はこの上ない達成感を感じていた。
正に冒険の果てに財宝を見つけた冒険者のように。
少しずつ指の力を抜く。一本一本からまった毛糸の束を紐解くように。
そして掌を広げてみた。
しかし、そこに蝶は居なかった。
「え?なんで?」
確かに捕まえたはずだった。
とてもリアルな経験だったが、何かの勘違いかはたまた夢だったのか。
いずれにせよ、蝶はその包むように保たれた掌から消えてしまった。
「おーい、レイ君、もう帰るぞ。」
仮初の親が迎えに来たのだ。
僕の頭は???だらけだったが、しぶしぶと帰路につく。
「ねぇ、おじさん、今日のご飯はなあに?」
「確か・・・蛇かトカゲか。何んにせよ爬虫類だったと思うよ。母さんがポストに入っているって言ってたから。」
「そっか、美味しそうだね。」
「唐揚げとか、刺身も美味しいよね。」
「・・・ん。そ、そっか。おじさんにはよくわからないな。」
冷たい視線が僕に降り注がれているが、子供の僕にはわからない。
その日からだ、日差しを強く感じたり、眼がチカチカする。
目の下に固いしこりが現れた。そのしこりは日を追うごとに大きくなり、やがて赤いイボのような塊となる。
ピジョンブラッド、運命の歯車が動き出した。
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