第15話 湖畔に佇む家族
私の家は湖の近くだった。湖畔に佇むその小さな家とその湖が私の世界だった。
今思うと本当に限られた狭い世界だった。本当はもっとこんなにも広いのに。
ただ、当時の私にとって、そこは世界の大きさなんて関係ない、家族が居ればそれで良かった。
朗らかだけどしっかり者の性格の父、どこかおっちょこちょいだけどいつも笑っている母のもとに私は生まれた。
顔はどちらかというと母似のようだが、一部のパーツは父似のようだ。
似ている部分がある。それだけで両親との繋がりを感じ取れ、ささやかな幸せを享受できた。
裕福ではなかったけど、いつも幸せを感じていた。そんな毎日が大好きだった。
湖の周りには森が生い茂り、外に出ては自然を満喫した。狭いこの世界の隅から隅まで私は知っていた。そして、怖いものはなかった。
この先に行くと、崖がある。湖のこの部分は深い、でもこっちは浅いから、足が付く。
森のあの植物には毒がある。春になると大きな実がなって、果肉を食べると甘くてとても美味しい。
あらゆることを分かっていた気がしていた。
でも肝心なことが抜けていた、自分と両親についてわかっていなかったのだ。
父と母は過去のことをあまり話さなかった、昔のことを聞こうと、母に一度しつこく質問をしたことがある。しばらくはいつもの母だったが、何度か質問をしていると、突然黙り、遠くを見つめていた。虚ろなめだった。
心が抜け落ちたような。抜け殻のような感じがした。
声を掛けても返事がない。
「ねー、ねーお母さん、教えてよー。」
母の身体を揺さぶるが、規則的に髪の毛が揺らめいただけだった。
ある1点をぼーっと見つめたまま微動だにしない。
生きているのに生命力を感じない。
ちょうど釣りに出かけていた父が戻ってきた。
大量だったようだ。籠から尾があふれ出ている。
その様子を見て、釣竿と魚籠をどさっと落とし、こちらに駆け寄ってきた。
地面に落とした時に、魚が籠から零れ落ち、ピチピチと跳ねている。
「おい!!しっかりしろ!!!戻ってこい!!!しっかりしろ、現実はここにあるぞ!!」
父が母の頬をおもっきり叩いた。
すると、徐々に母の目に生気が戻ってきたようだ。
子供ながらに目の色の変化を感じ取った。魂が戻ってきたように輝きを帯びた。
眼は様々なものを映し出す、心、感情、生命力。
「・・・あ、あたし・・・」
父は母を抱き寄せ、背中を撫でた。
「もう、大丈夫だ・・・もう大丈夫だ。」
何故だかわからない、でも父と母は涙を流していた。
父と母は力強く抱きしめあい。父は母の背中をゆっくりと撫でていた。
私は訳も分からず、つられて泣いた。
本当はその時一緒に抱きしめてほしかった。
籠から飛び出てピチピチと元気よく跳ねていた魚たちは、泥まみれになりその活動を停止していた。
清々しく晴れた日の些細な出来事だったのかもしれない。
単に母の体調が悪かっただけかもしれない。明日が元気になっているはずだ。
その時から過去について話を聞くのはやめた。興味はあったが、きっと聞いてはいけないことなのだろう。なによりも今の幸せが崩れるのが怖かった。
その頃から、両親の表情や行動を伺うようになった。するとどうだろう、今まで気づなかった、なんというか、『影』のようなものがあることを察した。
半年が過ぎた。外の景色が秋から冬へと変わり始めた。あの時起こった出来事も今では嘘のように平穏な日々が過ごせている。
冬を迎える前に、食料を調達しなければいけない。母は家で留守番することが多くなった。その分私が沢山働いた。父と釣りに出かけ、山の木の実を集め、家に帰って、それらを保存食として加工する。非常時に備え、家から少し離れたところにある小屋にも、数週間生活できる食料を保管した。
この冬への備えは1年を通じて最も過酷だが、私はなんだかやりがいを感じていた。家族の力になっているそう思える瞬間も幸せだった。
冬の訪れを感じるある日、嵐がやってきた。湖畔の小さな家は吹き飛ばされるのではないかというほどの勢いだったが、父と母はお酒を飲んでゲラゲラ笑っていた。
この森には葡萄が生っていて、それを夏に収穫し、熟成、発酵させて、自家製ワインを何たるも作っていた。この葡萄を実を足で踏みつぶすのがまた面白い。洋服をグチャグチャにして毎年楽しんでいた。
寒くなってくると家の中にいる時間が長くなる。両親にとってはそれは酒を飲む時間が増えるのと同義だ。毎日が宴のようだ。あんなに備蓄に精を出すのもこの為なのかもしれない。
しかし、ものすごい嵐だ。正直家が吹き飛ばされないか心配だ。
なんて能天気な両親なのか、家がなくなったら大変じゃないかと思ったものだ。
嵐が過ぎ去った次の日。湖畔に大量の魚が打ち上げられ、すべて死んでいた。
風で巻き上げられた魚が高い位置から地面に叩きつけられた結果のようだ。
私は喜んだ。だって魚の保存食が一気に作れるから。当面は食事に困ることは無くなるだろう。
だが・・・・・
その様子を見た両親の眼が氷ついていた。
今度はガタガタと震える母を父が抱きしめ
「大丈夫、大丈夫さ!きっと見逃してくれる!!」
そう言って、背中を摩っていた。
嵐から3日目の夜。
異常に静かな夜だった。真夏なのに何故かひんやりとしている。湿った空気が流れていた。その日も家族で大いにはしゃいで疲れ果てていた私は早々に床についた。
今思うと両親があんなにも陽気に燥ぐのは何かから逃れるためだったのかもしれない。
静かな静かな夜だった。嵐が過ぎ去ったあとだから周辺の雲は無くなっていた。
深夜0時を回った頃だろうか、物音が聞こえてきた。
昨晩は早めに三人で床に就いたはずだ。私の部屋は両親の部屋とは別で独立している。
「んーなーに?お父さん、お母さん?」
寝ぼけ眼を摩りながら部屋から出ていく。月明りが窓から差し込んでくる。
夜目がだんだんと利いてきた。
「ねー、どうしたの?」
返事がない。家の中に二人の気配がない。
おかしい。
玄関の扉を開けたところで父の姿が見えた。
異様な空気が流れている。張り詰めた緊張がそこにはあった。
父がこれまでに見たことのない武器を携え、戦闘態勢に入っていた。
相手は・・・・母だった。
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