第14話 生にしがみつく者達
イフリートの業火はスミスの身体を焼き、黒ずみになった部分が剥がれ落ちる。骨が露出し、部分的に炭化していった。両手は魔力における重要な器官、神経組織と魔力の関連性は深く、指先は魔力の放出や吸収の大切な器官となっている。今は一番炎の影響を受けやすい場所に当たるが、集中的に魔力障壁により防御されている。しかし、通じる腕の部分は半分以上が重度の火傷、黒く焼け焦げて水分を失い割れている部分もある。誰がみてもその部分は壊死であろう。
スミスはそのような状況下で、暴食と遭遇した時、毒を体内に取り込むことによって一命を取り留めた出来ごとを思い出していた。過去の極限の状況における体験とはこんなにも重要なものか。このやり方は正直苦しい。最後の選択だろう。
スミスは身体の四肢を捨てた。
『生きるにはこれしかない。あの時と同じだ・・・身体の重要な部位にだけ魔力を集中し防御壁を内側から張る。心臓、内蔵、指先、そして脳・・・・』
魔法とて失った命を呼び戻すことはできない。魔法は万能ではないが、命があれば、ある程度の肉体的損傷は回復できる。高名な神官なのであれば腕を生やすことも可能だ。
『・・・生きていれば。その先の活路は開ける。』
スミスにはこの世界の「ブレイン」としての立場があった。仮にブレインが居なくなった場合、世界のどこかで新たなブレインが誕生する。しかし、スミスの家系は歴代ブレインを担ってきた。その誇りが彼にはある。
『せめて、子供を、もうけるべきだった。先の事と思っていたが、人生とは予期せぬことの連続。もっと備えておくべきだったか。』
神から与えられる役割、それは血筋や家系の影響が大きい。スミスの場合も実子を育てることが役目の一つであった。機会は幾度もあったが、研究に没頭するあまり、実ことはなかったのだ。
メビウスには歴代のブレインの脳が保管されている。メビウスの地下深くには知られざる施設がある。そこに保管されているのだ。
その蓄えられた英知を享受しながら、このメビウスと時空間列車ライトニングは創造された。
『私が死んだら、祖父の脳の横に鎮座することになるのか。・・・・まだ早い。』
グラトニーに食われた父の脳は当然存在しない。彼の英知もこの世界には必要だったであろう。スミスは亡き父の研究の足跡を辿るように生きてきた。
意識が朦朧とする中で、スミスは自らの経験と知性でこの現状での最適解を見出した。
しかしこれもどこまで耐えられるかは疑問であったが。
黒いスーツはあらゆる耐性を付与されている。火も例外ではない。
そのスーツをいとも簡単に消失させていく。ノートの紙を1枚破り、ライターで火を付ける。すると淵に黒い輪郭を作りながらジワジワとその輪郭が広まり焼け落ちて消えてく。スーツが焼ける。肌が露出する。皮膚が焼ける。肉が焼ける。何とも言えない異臭を放つが、スミスの嗅覚はもはやない。神経が焼ける。骨が焼ける。やがて炭化し炭となる。そうして右足が先に崩れる。右足を折って膝をつく。次は左足だ同じように燃え、膝を付く。尻もちをついた状態になり、今度は尻から焼けていく。
人肉が焼ける時の匂いというのはこういうものか。スミス自身もあまたの戦場で戦士として戦ってきた。これまでに沢山の人間の死に直面してきた。焼けた人間も目の当たりにしてきたが、これほど匂いに反応はしなかった。まさか最後に嗅いだ匂いが、自分の肉が焼ける匂いとは。
イフリートの火炎放射は強力で部分的に厚くした防御壁と生命力強化だけではあと数秒と持たなかった。
スミスの髪の毛が焼け落ちた。右目がボコボコと沸騰するように溶け出した。
それでもまだ微かな命を繋いでいた。
『・・・・これ以上は・・・・』
イフリートがジリジリと詰め寄ってくる。
その時、全身に降り注がれていた炎が止んだ。
人影が朧げに見える。
(やがてスミスの視力は完全に失われた。)
『・・・・君は・・』
声帯から器官は内部から炎症を起こし、もはや声も出ない。
そこにはスミスを覆い隠すほどの大きな盾を持ったピートが立っていた。
「大丈夫。あなたは僕が守る!!」
ピートは団員の序列では最下位だった。彼は特段秀でている才能は見られない青年だった。特に生き物を傷つけることが苦手で、討伐の対象となる敵にさえ時に慈悲を示すこともあった。血をみるのが嫌ですぐに泣く、あだ名は「泣き虫ピートくん」だった。
魔法力は並以下、特別な能力も持ち合わせていない。そんな彼に対して団員の中から馬鹿にする声(言わずとしれた3人組みだが・・・)も稀にあったが、大半は信頼していた。それは彼がひたむきな努力家であったからだ。訓練をきっちりとこなすだけでなく、それ以外の自主訓練も欠かさない。おかげて小さな身体に似つかない体力、筋力を得た。それらは想像以上のものだった。
小さな身体に不釣り合いな大楯。しかし、その体は筋肉隆々であり、メビウスでも一番の怪力だ。一度ガゼットが面白がって、ライトニングを持ち上げてみろと言ったことがある。ピートは魔法を使わず、軽々と持ち上げてしまった。ガゼットは口をあんぐりとさせ、加えていたタバコがぽろっと落ちた。それ以来、真正面から彼に喧嘩を吹っ掛ける相手は居なくなった。
何よりも彼には揺るぎない勇気があった。
入団して3年が経過した時、団長から大きな盾を貰った。
「なぁ、ピート、お前にこれやるよ。この前の遠征で遺跡があってな。そこでこれ見つけたんだよ。綺麗な装飾だろ?金になるかと思って、技術班に調べてもらったが、そもそも解析ができなくてな、魔力反応も薄いから値打ちはないらしい。邪魔になるだけだから、体力のあるお前専用にやるわ。俺には重すぎて扱えんしな。」
それ以来、ピートは身を挺して団員を守る役目をになってきた。
ピートは数々の遠征で同行し、多種多様な強敵達と邂逅し、団員を救ってきたのだ。
それが彼の自信となり、人を守ることが信念となった。
得体のしれない怪物と相対した時、通常は恐怖を帯びる。ピートはそれを覆す強い心を持ち合わせていた。
イフリートの業火が大盾によって遮られる。
「・・・・だ、大丈夫ですかスミスさん!!?声は聞こえていますか??」
声を発することの出来ないスミスが辛うじて頷く。
眼は白くなり、完全に視力を失っていた。
ピートは治癒することができない。
(早く、治療できるものの所へ連れて行かないと・・・・。スミスさんを失うわけにはいかない。)
「・・・良かった!!」
大盾を構え果敢に仲間を守るその背中は壮大だ。ここには昔の泣き虫はいない。
大盾には唐草模様の美しい装飾が施されている。魔力を微量にしかおびていないその縦は魔力的な価値でいうとクズ同然らしいが、ピートにとっては長年の相棒だ。
この盾と沢山の修羅場をくぐり抜け、多くの命を守ってきた。ピートの全身は傷だらけだが、この大盾は傷一つついていない。恐らく特殊な鉱石が使われているのだろう。頑丈さはお墨付きだ。
ピートはこの大盾を「相棒」と読んでいた。
なぜだろう相棒を構えている時、内から更なる勇気が湧いてくる。
なぜだろう相棒を握るだけで、大地と一体になり、大きな岩の塊のようになった感覚がする。
盾を携えた時のこの防御力だけでい言ったらマザーズNo.1であることは間違いない。
しかしながら・・・
イフリートの灼熱の炎はその苛烈さを増す。大盾は強固で確実に炎を防いで居たが、それを保持しているピートの身体が徐々に痛めつけられていた。
これまで毎日の鍛錬を欠かさず、頑丈な肉体を作り上げてきたが、筋肉が悲鳴をあげている。
ブチブチと筋繊維が切れる音が聞こえてくる。
大地と融合したかのような感覚が徐々に薄れていく。
少しずつ火炎放射の勢いに体が押され始めていた。
スミスの前方1m程を維持していたが、両足の周りの土が膨れ上がり、後退していく。
『相棒は優秀なのに、僕が非力でごめんよ・・・、ぐ、、もう持ちそうにない』
遂に右足が折れ、膝をついてしまった。
だが、両手で正面を支える腕だけは必死に保持した。
その時、イフリートの背中から突き抜ける水の刃が閃光のごとく駆け抜けた。
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