第1話 跳躍者
『・・・僕はなぜこの世に生を受けたのだろう。』
「おい!この変人!なんとか言えよ!!」
複数人の男子に腹部を蹴られ続ける。サッカーボールでも蹴り上げるかの勢いだ。
「おいおいっ。それ以上やるとヤバいんじゃねーの?」
エスカレートする同級生の執拗な蹴りに焦燥の色を浮かべた1人が言った。
今蹴り続けているのは僕の幼少期からの腐れ縁の男子A君。幼稚園児の頃は僕を守ってくれていたが。人間というものは弱いものであっという間に他の影響に飲み込まれる。
A君は高校でも随一の悪に昇格した優秀な人材だ。
「問題ねーよ。こいつは昔っから、この程度どうってことないんだ!リアルサンドバックみてーなもんだ!!!」
内臓破裂の勢いで蹴り上げる。喧嘩上等のこいつは、急所を感覚的に知っていて、楽しんでそこを狙う。
『僕はリアルサンドバックかー。物ってことね。』
最近では一つの興行のような状態で、教師や女子も含めたギャラリーが見つめている。
誰もが止めに入らないのは“こいつは変人”“こいつはリアルサンドバック”の共通認識が定着されているからだ。
『早く終わんねーかな。』
学校での日々は、いじめによる苦痛の連続。初めの頃は抵抗もしていたが、もはや日常と化しており、なんの感情の揺らぎすら起きない。自分のことなのに他人事として傍観しているようだ。
運動神経にも恵まれず、頭脳明晰とは程遠い。
目の下に大きな赤いイボがあり、いつも弄られていた。瞳の色も変わっている。
いつの頃からかコンビニで買える最大級の絆創膏で隠してきたが、最近はより大きくなり、このままいくと隠しきれないのではと思いつつも、今となっては半ば投げやりな気持ちでいた。
脳みそと身体が神経で結ばれていないのか、行動や言動が人と異なっていた。
何故だろうか、身体で表現したい動きが鈍く感じる。
外見や性格の影響か、友人の一人もおらず、常に孤独の中にいる。
温もりを感じる家庭はもはやなく、親や兄弟からの言葉も数少ない。
まっ、実の家族ではないようだが。このことは最近知った。
夢と現、現実とは思えない、ぼんやりとした日々を送っている。
幼い頃から幻覚が見えることがあった。視界に蛍が舞うような光がちらつく。
成長するにつれ、その光はより大きくなっていくようだった。
以前、医師には飛蚊症ではないかと言われたが、確信は持てない。
今日も、そのチカチカとした光が私の視界を遮る。雪虫が舞うかのように細かな粒子が視界に走ることもある。
視神経への影響か、慢性的な頭痛も伴う。
今日は特にその痛みがひどい。
ズキンズキンと脈打つ痛みが頭に針のように刺さる。
堆積する日々のズレはやがて理想と現実の摩擦を生み、僕を鬱にした。
『もういい、僕はこの世には必要とされない存在・・・』
そうして僕は電車を乗り継いだ。汚れて泥だらけの制服を着た青年が吊り革を
持って立っている。もともとの風貌も相俟って、車内でも倦厭の視線を感じる。
それもいつものこと。
ガタンゴトンという音に合わせ、身体が振り子のように揺れる。まるで死へのカウントダウンだ。
田舎の部類に入る県から都内まではさほど距離はないが、随分と久しぶり来た。
そもそも、来る用事が基本的に存在しない。以前来たのはいつだろう。過去を辿ってみるが鮮明な記憶はない。というか、考えてもしょうがない。
駅の東口を出て大通りを抜ける。スクランブル交差点では沢山の人とすれ違ったが、そもそも人間が嫌いなので、意識的にぶつからない様、細心の注意を払い搔い潜った。その先には空を突き破るのではないか、と思える程の高層ビルが建っていた。実はこのビルの屋上には展望台があり、そこで以前アルバイトをしていた。とは言ってもたった1日でクビになったのだが。
この時は街の露店で見つけたあるものをどうしても手に入れたくて金が必要だった。何度か露店に顔を出していると見かねた店主が譲ってくれた。
展望台のバイトでは人との関り合いが上手く取れず、結果、同僚だけでなくお客からもクレームが入ったようだ。しかし、ここへ来たのは今日の舞台の場が他に思い当たらなかったからだ。なんと自分の世界が狭いことか。
最後に見ておきたいものがあった。
それはこの“世界”だ。短い人生だったが自分が生きてきた世界を見渡せる、人が混じらないそんな景色を見納めたかった。
そして、その都内でも有数の高層ビルの頂上までやってきた。
人に紛れてエレベーターに乗るのも抵抗があるので、階段で50階まで登った。昔から運動神経は鈍いものの、とりあえず一通りのことは最後までやるようにしていた。これは無用な問題をおこさないための、自分なりの処世術だった。
50階も3階も大差ないと思いながら、息切れしながら登って行った。
屋上に出ると太陽を一層近くに感じる。刺すような暑さに覆われた。
今日は初夏。暑いのは苦手な方だ。何が嫌かってあまり汗をかかないせいか、熱が身体に蓄積していくようで、めまいと頭痛が一層増すからだ。
自分が生まれてきてからをできる限り振り返ってみる。
「ふっ」
あまりにも良い思い出が無さ過ぎて、笑えて来る。
小さい頃は不思議なキャラでまだ許容されていたと思うが、小学生の頃からは完全ないじめの対象となった。
『あの子は別だったけどな・・・』
この世に未練があるとするなら、たった一つ。彼女にもう一度逢いたかった。
高層ビルから地上を見下ろしてみる。
これ程の高所に来たことは未だかつてない。時より吹く強風に髪がなびく。もともとの躯体がしっかりしていない方なので体がふらつく。
『この世界ともおさらばか。来世ってあるのかな・・・』
そう、僕は命を絶ちにここまで来たのだ。
「もういいんじゃないか。よく耐えてきたよ。」
実際に声に出してみる。これが身体を再起動するきっかけとなった。
落下防止柵を乗り越え、足をビルの縁にかける。
正直もっと怖いものかと思った。
だが、思いの他、緊張や不安がない。なぜだろう。恐怖がないのか。
これまでの生活の中でネジが外れた結果、死を直面したこの場面でさえ、感情が動かないのか。
『ある意味すごいじゃん・・・』
一層周りが輝いて見える、極限の状態で飛蚊症が悪化しているのだろうか。
「もう終わりにしよう」
そして、僕はそっと両足を縁から離した。
つま先に力を入れた結果、身体が前のめりになる。
身体が水平になった状態から、急速に落下する僕の身体。
起動が変わる、人間の部位で一番の重さを誇る頭部が加速させる。
重力という強大な力がそこにはあった。
『テレビやアニメで見た通りだ』
自分の眼に映る光が一層増す。いつもの点滅ではなく、点灯しているかのようだ。
『ああ、やけに眩しいな』
50階のビルから飛び降り、ちょうど半ばまで落下しただろうか。
更に加速していく身体。それとは反比例に体感時間は低速化する。
走馬燈の瞬間はこのような感覚か。
そして僕はゆっくりと目を瞑った。
『おかしい』
目を瞑っているのにやたら眩しく感じる。
(・・・て)
『ん??』
(・・きて)
『声?』
僕の身体を光が包み込んだ。
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
ドン!!!!
突然、予期せぬ衝撃が走り、僕の身体が地面を叩きつける。
腹部を強打し、胃液が口から洩れる。下唇を嚙んだらしい。血が混じっている。
「うぅ・・・おぇっ」
今日は食事を摂っていなかった。横隔膜が激しく上下するが出てくるのは胃液ばかりだ。
何度も嘔吐を繰り返す。
続いて身体の痛みを感じる。これまで身体的な痛みはあまり感じた経験がないが、今回は感じているようだ。
「イタタタ・・・」
確かに痛みがあったが、高所から落ちた衝撃とは思えない。
いや、それ以前に
「いや、おかしいだろ」
「生きている?」
地面に激突したら即死の高さのはずだ・・・なんだ?何が起きている。
非常識な状況に理解が追い付かない。
『夢だったのか?』
『いや・・・つっ!!』
普段殴られても蹴られても木偶の坊の僕だが、久々に痛みを感じる。
右半身を打った、軽度の打撲だろうか。
眼を見開くとそこは一面“白”白白白。
白い大理石のような床が広がっていた。
カツン、カツン
と空間を響き渡る反響音と共に足音が聞こえる。
次第にその反響音は一定のリズムで近づいてきた。
痛みを噛みしめながら、音の発信源の方向を振り向くと。
何者かの2つの白い足先が視界の端に捉えられる。
「大きな音がしたと思ったら・・・・ほう。跳躍者(ジャンパー)か・・・これは珍しい。こういう状況は初体験だね。」
僕はその男の顔を見上げた。男の目には、何か特別な光が宿っているように見えた。
黒縁の眼鏡を手首でクイっと上げる仕草に合わせて、目が輝いているようだった。
しばらく男は僕を観察している様子だった。
まるで動物園にいる檻の中の珍獣を見るかのように、男の視線が僕の隅々まで見ているのが分かる。好奇心に溢れた目を光らせていたが・・・
男の眼の色が変わった。一瞬空気が変わる。
特に左目の下の絆創膏を細い目で凝視していた。
そして、僕の背後の空間を見つめ驚愕した表情を見せた後、頭を下げた。
『なぜ頭を下げている?』
男の一挙手一投足、そして容姿に着目すると不可解な点が多い。
男は色白でひょろりとした長身だが決して瘦せ型ではなく、無駄な脂肪のない絞まった身体つきがシルエットから見て取れる。髪色は黒を基調とし緑のメッシュが所々に入っている変わった髪色だ。そして特徴的なのがエメラルドグリーンの両瞳。僕という人間をまるで見透かすかのような眼光を放っている。全体的に学者のようないで立ちだ。
「・・・ようこそ。”この世界”へ。」
「・・・君はまだ死ぬべきじゃない。君にはまだ見ぬ世界が待っている。さぁ、立ち上がって、これからが君の物語の始まりだよ。」
と、その男は言った。
「おっと!すまないね。」
負傷していることに気づいたのか、白衣のようなものを羽織ったその男はそっと手を差し伸べてきた。
ブレスレットだろうか。緑色の宝石が際立ち金の唐草模様の施された繊細なデザインのアクセサリーを付けている。
差し伸べたときにそのアクセサリーが前後に揺れた。光の加減だろうか、繊細な輝きを放っていた。僕は一瞬その宝石に魅了されたように引き込まれてしまう感覚があった。明らかに腕のサイズより大きいのにすり落ちていない。いや、ブレスレットが“浮遊”している。
『どんな仕掛けだ』
またもや理解ができない。
手を差し伸べられたことは僕の人生経験ではなかったように思う。ただ、躊躇う気持ちはなかった。状況が明確にはわからないものの、こんな不可解な状況下なのに、僕は人から手を差し伸べられたことが嬉しくて、負傷していない手で男の手を握った。大きく力強い手に感じた。握った掌から熱が注入され身体が熱くなるのを感じた。男も瞬間目を閉じていた。
僕はゆっくりと立ち上がった。男がぐっと引っ張った瞬間、バランスを崩し少し倒れ掛かるような恰好になったが、負傷部分に影響が出ないよう男が上手く支えてくれた。
「ここは、一体・・・」
今まで見えなかった世界が、僕の目の前に広がっていることに気づいた。床は大理石のような素材だが、どこか質感が異なる。真っ白い部屋のようだが、何もない。空っぽの空間。
男も何かが違う。空間の雰囲気も何かが違う。
そして一番は・・・
『あれ?』
身体がいつもと違う。生命力が漲っているかのような・・・そんな感覚。
そして、僕の中にあった違和感が・・・いや「ズレ」というべきものが消失しているのを感じた。
何故だろう。これまで感じていた身体を覆う、薄い粘膜のような、もったりとした感覚が無い。加えて、五感が鋭くなっているのか頭がとても冴えている。これまで視界にあった光や、頭痛も全くない。
全身が本能的に感じ取った。
“僕はこの世界に必要な存在だったのだ”
なぜだかはわからい。不可解なことだらけのこの状況でだ。
ただ、パズルのピースがはまった時のように、しっくりと来るのだ。
帰郷したかの安堵感さえあった。
まとめて表現するとしたら、まるで別の人間に生まれ変わったかのような新鮮さだ。
男は困惑してる僕の様子をそっと見つめながら、言葉を掛けるタイミングを見計らっているようだった。僕が少し落ち着いたところで彼が聞いてきた。
「私はスミス。君の名前は?」
「僕は・・・レイです。」
スミスは微笑みながら言った。
「改めて、跳躍者のレイ、ようこそ“この世界へ”」
・・・・これがすべての始まりだった。
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