第2話 白き部屋

僕が落下したのは見渡す限り白い部屋だった。床も白、壁も白、この室内には他に何も存在していない。僕とスミスという男以外は。陰影が映し出すモノクロの空間。


伽藍洞のせいか、音の反響が良い。心臓の鼓動でさえ響き渡りそうだ。




「・・・これは、これは、珍しいものだな、まさか私の世代でこのような形で跳躍者(ジャンパー)に出会えるとは。いや、まったく。これもまた啓示の一つか。」




『じゃんぱー??』


聞きなれない単語だ。


上着の種類のアレか?




この人は外国人だろうか。緑色の髪はとても自然で染め上げた感じがしない。生まれながらの風貌なのか。それにしては流暢な日本語だな。二世とか?




「おっと、失礼、自己紹介がまだだったね。改めて私はスミス、スミス・レイル・ガード。君がいるこの場は、“メビウス”という研究所だ。私はここの所長を務めている。君が困惑しているのは見て取れるが、細かいことを説明しても長くなるだけなので、今は一つだけ伝えておこう。ここは君が元居た世界とは異なる“別世界”だ。」




「なっ・・・別世界???」




常識の範疇を超えている。理解が出来ないのは相変わらずだが、唯一スミスが危害を加えない人物だということは分かった。語り掛ける口調や投げかける特徴的な眼、仕草から僕を受け入れようとしているのが感じ取れる。




『別世界。よくある異世界への転生が現実に起こったということか?』


『ということは、一度死んだのか?』




「そう別世界。と言ってもいきなり受け入れるのも難しいだろう。初めての跳躍のようだから。実際にこの世界を君自身の目で見てみると理解も出来るだろう。」




『おや?』




制服の汚れに気づいたようで、軽音を立てながらパンパンと土や汚れを払ってくれた。


「何があったかは聞かない方がいいかな」


勘違いしているのだろうが、何かを察知したらしい。




立ち上がらせる時の力の入れ方や角度、そしてこの心遣い。一連の所作が彼の優しさを物語っていた。




「ご覧のとおり、この部屋には何も無くてね。ただだだっ広いだけの無垢な空間さ。もともとの使用用途において物を置いていると邪魔なだけなのでね。まー、この空間はいずれ君も活用することになると思うが。それはさておき、君もさぞ、混乱しているだろう。まずは場所を変えようじゃないか。」




こう言った後、スミスが、何かブツブツと呟いていたが聞き取れなかった。




『僕がこの部屋を活用する?一体何に?』




彼の肩に左腕を預け、少し支えられながらこの虚無の白い部屋の端まで来た。


距離にして300m程度だろうか。僕はこの部屋のちょうど中央に落下したようだ。負傷のせいか長い距離に感じた。いや、この世界を見極めようと脳が必死に情報を捉えようとしているからかもしれない。


スミスが壁を見つめている。




『ただの壁があるだけだが・・・』


その瞬間、壁の一部が消えた。




文字通り瞬時に壁の一角が、人が通過できる長方形サイズに消えた。




「は??」




僕は意味不明な状況の中で、その状況に対する言葉も発せられず、ただ冷や汗を書いていた。


壁に突如として現れた空間、そこは廊下だった。壁が切り取られたその事象に脳が追い付いていかず、そのことについて質問する機会を逃してしまった。


スミスはその様子を横目でじっと見ていた。




「いや~、少し歩かせてしまったね。ここが私のラボさ」


更に400m程歩いた場所にやってきた。廊下は明るく照らされていた。




『やたら明るい照明だ。影がなくなるように均一に照らされているようだ。最新のLEDか?』


そう思いながら天井を見上げると、局所的な照明ではない。


天井に切れ間なく薄い光の層が廊下に沿って浮遊していた。頭がバグって、少し苦笑した。


驚いたが、対象が明かりということもあり、少し免疫ができたようだ。




やはりスミスが壁の前に立つと、何かの拍子で壁が切り取られた。ラボと彼は言ったが、なるほど、この部屋は研究室のようだ。ただ、見慣れない多数のものが置かれていた。




部屋の中には沢山の見慣れない機械や鉱石の原石それに・・・実験体(モルモット)だろうか?何らかの生き物の死骸(?)まである。緑色の生物。ここが別世界というならば、この生物は僕の居た世界では見たことがない。




『いや待てよ、どこかで見たものと似ているような気もする。』




異様な生物が存在しているようだが、空気は正常を保っているようで異臭は無く澄んでいる。とても綺麗に整理整頓されている。先ほどの虚無の白い部屋程広くはないが一人では管理できないような広い部屋なのに。部屋自体は先ほどの空間と同様、白を基調としているが、色彩豊かな物もあり、人の存在した気配というか、人の生活感を感じられた。




無言のままきょろきょろとしていると、スミスが着席を促した。一般的な部屋の面積で考えると比較的に広い空間だ。入口からほど近い位置に机と椅子が置かれていた。ここがスミスの定位置だろうか。他にも何台かの椅子と机があるが、スミスであろうものが一番大きい。所長という立場の裏付けの一つとなりそうだ。




これまた白くきれいな椅子だ。レザーだろうか?質感は似ているが少し違うようだ。


背もたれが長く、いわゆるプレジデントチェアに似た形状だ。緩やかなアーチを描き、人間の身体をゆったりと包み込むようなデザインは目を引いた。


着席すると薄っすらと輝く水色の薄いラインが浮かび上がる。座面から徐々に熱を感じ、やがて体が冷やされていく感覚がした。不思議な感覚だ。スミスの掌を握った時にも感じた感覚に近い。




「どうだい?少しは落ち着いたかな。」


「え、ええ少しは。」


「・・・飲み物を用意するよ。回復にちょうどいいものがあってね。・・・あー、味は・・・アレだけど。ちょっと待ってて。少し席を外すね。」


味の話をした時、大粒の汗がスミスの額からタラーと滴り落ちる絵が目に映った。




『毒とかじゃないよね。ははは』




スミスは立ち上がってゆっくりとした足取りでまた部屋の端に向かう。すると先ほどのように壁の一角が消え、その先の通路へ出て行った。注意深く見てみたが、特に呪文や開閉の動作は無いようだ。一体どんな仕組みなのか。




・・・・・・・・・・


・・・・・・


・・・


『遅い。』




しばらく待ってみた。20分くらい経過しただろうか、大分、心も落ちつき、スミスもこの空間も自分に害をなさないものと感じ取れてきた。それになんだか腕の痛みも和らいできたようだ。




『いや、本当に遅いな・・・』




1時間が経過した。


戻ってくる気配がない。


そうして長時間待っていると右腕・右半身が嘘のように軽くなり、痛みを感じなくなった。


唇からの出血も止まったようだ。目覚ましい回復速度だ、恐らくこの椅子の影響だろう。


それどころか少し前までの陰鬱だった気持ちさえ晴れているような感覚だ。




『はぁー。待つ・・・というか、本当に戻ってくるのだろうか?』




耐え切れず、腰を上げ、ラボの中を見回してみた。視線を上げて見ると、多種多様なものが存在しているようだ。ラボ、つまり研究室だよね?スミスはメビウスの研究所長と言っていたが。ならば、ここにあるものは研究素材や、器具といった類か。




『よし、スミスが言っていた“世界”、その意味を知るためにも、自分の目で確かめるか。』


感覚的ではあるが、僕は別世界を受け入れるべきものとして捉え始めていた。




思い切って、ラボの中を歩いて物色してみることにした、ここが今までいた世界と違うことが改めて判明した。あらゆるものが元居た世界と異なっている。実際に手に触れてみたい。そのような衝動に駆られたが、躊躇いもあった、だが好奇心が勝った。




見たことのない様々な機械が置かれている。不思議なことに、どれもボタンやパネルのようなものが存在しない。触ってみると、ひんやりした石膏のような質感だ。継ぎ目のようなものもない。ものによって質感が若干異なる。つるつるしたものやざらっとしたものまで。温度に差がある。暖かいもの冷たいもの。無機物のはずが生物のような形状を成しているもの。


鼓動?だろうか無機物から心臓の鼓動のような動きをその内部から感じるものもあった。




棚の上に色とりどりの煌びやかな鉱石が飾られていた。


ダイヤモンド、サファイア、ルビー、いわゆる宝石だろうか?本物だとするとこの異常な大きさは一体なんなんだ。未だかつて見たことはない巨大さ。小さいものでも自分の拳くらいの大きさだ。カットされているものから原石までどれも不純物が含まれていないようで、とても透明度が高く美しい輝きを放っている。それだけではない、これまで宝石に興味を持ったのは露店での1度きりだが、なんというか引き込まれるような魅力を感じる。その美しが眼の奥まで入り込み、脳を犯していくような感覚。




宝石を手に取って吸い込まれるように魅入られている時・・・・




『・・・・!!!!!』




何かの気配を感じ、その方向を振り向く。そこはラボの中心。1体の緑色の何かの生物が検査台のようなものの上に横たわっていた。


この部屋に入ってきた時に真っ先に目に留まったものだ。




『なんだ、何か寒気がした。』




先ほどは遠目に見ていたが実際に間近で見ると。


ぞっとした。




『なんだこれは???』


先ほどのこの空間は自分を害さないものとの判断が揺らぐ、楽観できない状況下に自分が居ることが分かった。




緑色の皮膚、黒い毛に覆われた、鋭い牙、長く尖った耳、小柄だが筋肉質な身体。脇腹からは紫色の血を流している。鋭利なもので刺されたような傷痕だ。これが致命傷になったのだろうか。見たことのない生き物。体つきは子供くらい、大体130cmくらいだろうか、生物の血=赤のイメージだが、紫色の血。見たことがない。


文明があるのだろか。赤いマントや鎧、耳飾りなどの装飾品を身に着けている。どこかの部族の戦士のような佇まいだ。体中に傷痕がある。




・・・・しばらく観察を続ける。


・・・・恐る恐る指で一度突いてみる。(思った以上に固い皮膚だ)


・・・・瞳は閉ざされ、近づいても反応がない。やはり死んでいるということか。




不気味な濃い鈍色で紫色の血がドロっと流れている。その傷口や血も乾燥していない。流れ出た血が床に斑点を描いている。全体的な様子からここに運び込まれてから間もないように見える。




凝視してみる。


これほどおぞましものを見たことがない。


『・・・これはどこかで見たことが・・・・』


『そう、どこかで見たことがあると思ったら・・・アニメや漫画、ゲームに出てくるいわゆる“ゴブリン”じゃないか?』




『・・・・・!!!!!』




心臓が突然暴れ出す、脳が警笛を甲高く鳴らし始めた。


これまで生きてきた中で獣に襲われた経験はない。犬に吠えられたくらいだ。だがこの状態は、仮にこの緑の生物が絶命していないとしたら。可能性としてはありえなくない。そんな考えが僕の脳裏をよぎった。


今この別世界でたった一人の頼れる人物・・・




僕は恐怖に震え、慌てて、スミスが出て行った通路へ続くと思われる壁まで後退りした。


体中から汗が噴き出す。可能性の範疇だが、想像できる確実な死がこの場にある。




『やばい!!やばい!!やばい!!』




人間とは単純なもので命に係わる事であれば、他のすべてをかなぐり捨てて、圧倒的な集中力を発揮する。まるで本来の動物に帰化したようだ。




出口であろう壁にたどり着くと一心不乱に拳で叩いた。それこそ、皮が剥け出血するほどに。




「ドン!!ドン!!ドン!!!」




『怖い!!ここに一人では居られない。出してくれ!!』




ドンドンドン!!と何度も壁を殴打するが、反応はない。


(なぜならこの部屋は一定力以下の物理的反応を拒絶するのだから。その事をレイは知る由もない。)




「スミスさん!!!スミスさん!!!」




『早く来て!!』




この時、自殺を試みたあの瞬間では感じ取れなかった恐怖が全身を覆っていた、ひたすらに命の危険を感じていた。つい先刻まで死にたいと思っていたのに、今は真逆だ。そんなことすら考える余裕はない。




死への純粋なる恐怖。僕は生まれてから体験したことのない、生殺与奪がその緑の生物に委ねられているであろう緊迫の状況に直面しているように感じた。




一心不乱に壁を殴打する。その背後で緑の生物(悪魔)は意識を取り戻したのだった。




「スミスさん!!!助けてぇぇ!!!」


今までで最大音量の一段と大きな声を張り上げる。


・・・・・




その時、その緑の生命体の両目が開眼した。



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