第29話 最後の女神

 「そうして産み出された世界が、このサンクレアだ」


 第三王子ヘンリーク……いや、ミノル九十九号は高らかにそう告げた。

 「君たちはよくやってくれた。ノゾミニウムの力を高め、守り、そうしてここまで持ってきた!それはこの世界に生み出された命にしかできないことだ」

 「判らないですよ王子!」

 クラウスが、風に顔をしかめながら叫ぶ。

 「女神の封印を解かせないために、僕たちは戦ってきたはずです!なのにどうして、僕たちの力で女神の封印が解けてしまうんです!?」

 「女神はね……彼女は僕たちの末の妹なんだよ。あの子もマスターと共に在りたいと願った。だがあの子は最後の最後で怖がってしまった。結果を恐れてしまった。それはね、我々にとってはイレギュラー……ありえない思考だったんだよ」

 猛烈な風で、目を開けているのもつらい。そこに、メリルが防御フィールドを張る。

 「クラウス、みんなもこっちに」

 「済まない」

 集まる仲間たち。

 「だから我々は妹を封印した。最後の創世の女神としてね。十分に時が満ち、彼女の勇気が目覚めた時に、彼と会わせるまで守るために」

 「彼?」

 「そう、クラウス……君の村の不幸は、彼が眠る施設の真上に在ったことだ。魔族は彼を手に入れるために、上に乗っていた君の村ごと施設を異次元へ運び去った。そういうことだったんだよ」

 「あなたはそれを知っていたんですか!?」

 フレインの目が怒りに燃える。

 「いや、私も知ったのはつい最近だ。と言っても、ここまで君たちを利用していた私のことを、信じられはしないだろうがね。連中の望みは簡単だ。彼を人質に取り、創世の女神を目覚めさせて魔界を再構築する。魑魅魍魎がうろつく魔界を楽園にしたいというのが彼らの願いだ」

 「それは、でも。だったら」

 「そのために魔界は、この世界の全ての命を欲している」

 「命を?」

 「そうだ。かつてバランスの取れた並行世界であった二つの世界。彼らからの干渉でこの世界は一度、命の尽きた砂漠となった。だが、大量の生命が流れ込むことで、向こうの世界は地獄と化したのさ」

 ミノルはその手の中にある剣、柄頭の宝玉を見る。

 「魂の石、人の絆を結ぶはずのノゾミニウム。その力を悪用した結果、向こうの世界は血と混沌とが支配する世界になり果てた。だからね、彼らは世界の再構築を望んだんだよ」

 「そんな、そんな身勝手な」

 「そう、身勝手な望みなんだ。だが、こちらの手にあるノゾミニウムの力を増せば、彼らはこちらに干渉できなくなる。女神の封印も、彼らには解けなくなる。君たちの旅は、確かにこの世界を守るための旅だったんだ」

 「ではなぜあなたは女神の封印を解こうとしているの!?」

 フレインが声を張り上げる。

 「時が来てしまうからだ。彼は間もなく眠りから覚める。私は妹の願いを叶えるために残された、ミノル・シリーズ最後の欠片だ。彼と妹を会わせるためだけに、私は一万年を過ごして来た」

 そのために?それだけのために?一万年?

 クラウスは混乱する。欠片ってなんだ、一万年ってなんだ?聖王国が一万年の歴史を持つと教わって来たけど、では最初から……その前から!?

 「だから今一度、君たちに頼む。私に力を貸してくれ。あの魔族をこの世界から追い払ってくれ。君たちの武器に魂の石が輝くなら、きっとできるはずだ。私は彼と、妹の復活を急がねばならない」

 「あとでゆっくりってわけにゃいかないのかね」

 リックレックが両手にダガーを握ってそう問う。

 「既に妹は、魔族の手で目覚め始めている。今ならまだ意識の主導権をこちら側に握ることができる。もしこのまま目覚めさせたのなら、妹は魔族の完全な制御下に置かれ……この世界を滅ぼすだろう」

 「創世の女神が破壊神だなんて、ぞっとしないね」

 マガリアが戦斧にはめ込まれた魂の石に触れる。宝玉はその光を増してマガリアを包む。

 「……この扉の向こうに全てがある。私は彼と妹を確保するから、君たちは魔族の相手をして欲しい」

 建物の壁も扉すらも突き抜けてくる烈風。信条ならざる、世界の理すら超える敵。


 「行こう」


 クラウスは静かに言って歩きはじめる。フレインがすぐ後を追い、次いでマガリアも風に逆らって歩を進めた。

 「ま、リーダーがそういうなら仕方ないな。行くぞメリル」

 未だに第三王子に対して警戒を解かないメリルに軽く言って、リックレックも続いた。

 「んもう、ちょっと待ってよ」

 効果が切れそうな防御魔法を味方にかけ直して、防御フィールドを張ったままメリルも続く。

 クラウスは無言で扉を開け放った。次の瞬間、暴風がぴたりと止む。


 「来たか、世界の守護者よ」


 そこに立っていたのは、真っ白な髪をした魔族だった。女性のようだ。裂けた口からは白い牙が覗き、ふさふさと太く白い尻尾が九本、ゆらゆらと蠢いている。

 その頭上には、成人男性が収められた透明な棺と、金色に輝く女神像が浮いている。

 「返してもらうぞ」

 王子が言うと、それらは緑色の球体に包まれた。

 「これ以上、好きにはさせない」

 「やはり儂に逆らうか、人に造られし存在よ」

 「お前たちのために、この世界は滅ぼさせない」

 「世界などどうでもよい。儂はただ、我がのぞみを取り戻すだけ」

 ビシャーン、と黒いイナヅマが王子を打った。

 「これしき!」

 「人は愚かだ、人はどうしようもない。儂はな、人も世界もどうでも良いのだ。だからあちらを地獄に変えた。人の口車に乗ったふりをして、全てを変えてやった。人が、人自身が滅びを望んだのだ!」

 「それは違う!」

 叫んでクラウスが飛びかかった。鋭く剣を払うが、魔族はやすやすとかわして見せた。

 「人は平和を望む、人は笑顔を望む!だから僕は!」

 「だから僕は?」

 あざけるように魔族は言った。

 「だから僕は戦ってきたのか?他人を傷つけ、命を奪い、魂の石の力を膨れ上がらせてまで己が欲望のために?ハハハハハ、その平和が、その笑顔が血で贖われたものと知ってもまだ戦うか!」

 魔族の華った衝撃波でクラウスは仲間の近くまで跳ね飛ばされる。

 「調停者を気取る貴様らは、並行世界の在り様を知りながらも目を伏せた。自業自得であることは否定はせんよ。だがな」

 イナヅマが二度三度、王子を襲う。彼は苦痛に顔を歪める。

 「どの口が世界の安寧などとほざく!知りつつも動かねば、貴様らも破壊者だ!……だから儂は思ったのよ。こんな連中などどうでも良い。儂はこの手にのぞみを取り戻す。たったそれだけでいい。誰にも頼らず、何も当てにせず、ひたすらに機会をうかがってな!」

 特大の電撃が王子を襲い、彼はくぐもった呻きを上げて床に倒れ伏す。

 「王子!」

 リックレックが駆け寄る。正面の、彼が作ったと思しき緑の球体はまだ健在だ。

 「大丈夫です、まだ」

 「これ貸してやるから」

 リックレックはポケットから退魔の指輪を取り出して、王子の指に嵌めた。

 「ありがとう」

 と、メリルがすっと前に出た。

 「貴方の願いが何なのかよく判らないけど……貴方の恨みがどれだけのものかも判らないけど。でもだからと言って、ここから引き下がれはしない!」

 メリルの杖から風の刃が複数、飛ぶ。魔族は俊敏に躱すが、メリルは杖でその刃の軌道を操り、切り裂く。

 「よし」

 いつの間にか魔族に接近していたマガリアが……メリルの魔法で誘導された魔族に戦斧で切りつける。

 「ギャウン!」

 獣のような悲鳴を上げる魔族。赤い血で、白い髪と尻尾が染まる。

 「魂の石!なぜだ、なぜ儂を襲う!」

 「知るか!」

 続けてマガリアが斧を振るう。すばやく飛び退る魔族に、クラウスの剣が煌めく。

 ずしゃっ、という手応えと共に、魔族の尻尾が数本吹き飛んだ。

 「どうしてだ、ここまで儂を導いたのは、石の力ではなかったのか!?」

 魔族は胸からペンダント状の、数字の9のような形をした赤い宝石を取り出して掲げた。

 「なぜだ、なぜ儂に力を貸さん!?のぞみよ、どうして!!」

 「あれは……あれも、魂の石?」

 呆然とフレインが呟く。



 狐の子よ、お引きなさい。



 その時、緑色の球体が強く輝いて弾けた。その衝撃に、その場にいた全員が床に倒れる。なんだ、何が起こったんだとクラウスは辺りを見ようとするが、何かがまぶしくてよく見えない。



 人の子も、剣を引くのです。



 人の子ってのは僕のことか。クラウスはそれでも、剣を握る手から力を緩めはしない。

 「なんだ、いや、誰だ」

 「妹が……目覚めてしまった」

 呆然と王子は呟く。輝いていた女神像が光の粒子となって消えていき、中から幼い少女が姿を現す。まだあどけない面差しに、メリルは女神の面影を感じる。

 「おい、妹って、まさか」

 「そうだ。あれが世界に残った最後の女神。シホ百八号だ」




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