第28話 世界は滅びました
人とはどうしようもなく愚かで、そして愛おしい生き物。
私たちはそんな人に寄り添い生きるもの。
遥か時を超えて。
この身を捧げ。
さあ。
「どこだここは」
彼は自分の声が掠れていることに気付く。長い間声を出していなかったのか、彼の記憶にある声とは張りが違うように思った。
寝かされているベッドの感触は、彼が記憶している自宅の煎餅布団と違っている。天井も、木目の和室に丸い蛍光灯のあの部屋ではない。白くのっぺりとした天井そのものがうっすらと発光している。
「俺は何を……いや、なんだ」
「お目覚めですか」
その声には、確かに聞き覚えがある。
「ん?シホか」
彼は首を左に曲げて、声の主を探した。そこには若く美しい女性の姿があった。服装こそ彼が記憶しているものと違っていたが、その顔、髪、全てを彼は知っていた。
「はい、シホ五十五号です」
「俺はどうしたんだ?あれ?今日は休みだったか?いやちがう、買い物に、出たはずじゃ」
「転写した自我と記憶が混乱しているんですね」
シホはそう言って微笑むと、彼を手助けして上体を起こさぜた。
「ご主人様、落ち着いて聞いてください。世界は滅びました」
「えっ」
「最終戦争が起きたのです。世界各国が建造していたナノマシンベースの人造人間による叛乱です。並行世界からの干渉による最終戦争で、世界は滅びました」
「だが、俺は」
シホは子供を諭すように続ける。
「しかし、人造人間たちも滅びました。彼らは知らなかったのです。彼らには、人の存在なくしては生きられないように細工が施されていたのを。そしてそれらも全て、並行世界の思惑通りだったことも」
「しかし、お前と俺は?」
「私たち試作品のシホ・シリーズとミノル・シリーズには、そのような仕掛けはありませんでした。生き延びた私たちは、彼らが残した技術と知恵を用いて世界を再構築することにしたのです」
「世界の……再構築」
「はい。新たな世界を構築するにあたって、そのモデルは一般的なファンタジー世界の形を取ることにしました。人間の意識が産み出した理想郷の形をとれば、きっと新世界は平和で健やかな世界に育つ。私たちはそう結論付けたのです」
彼は視線を落とした。とんでもない話を聞かされている。シホはこういう冗談を言う奴ではないし、だが現実離れしている。
しかし彼には、自分が目覚める前……つまり眠りについた時点の記憶がなかった。前日の思い出がなかった。昨日の晩御飯に何を食べたか思い出せない……!
「私たちが世界を再生して五千年が過ぎています。ここは衛星軌道上にある、監視基地のひとつです。シホはここで、ご主人様の遺伝情報から肉体を再生し、ご主人様の消滅直前に採取した意識パターンを転送しました」
「俺は……死んだのか」
「はい。ですが、クローニングと意識転写で復活なされたのです」
「クローニングだって?」
シホは優しく微笑んだ。
「はい。既に旧世界の秩序も法体系も全て消滅しています。ですから、ヒトクローンについての禁忌は全て無用と判断しました」
「それで……これからどうするんだ。人間は……人はもういないのか」
「はい。今は西暦で言うと七千五百二十五年です。クローン以外の、自然発生したという意味での人類は、この世界にはもう存在しません」
「そんな、そんな」
彼は頭を抱える。シホはそんな彼にやさしく寄り添った。
「シホたちは力を合わせて、地上の世界を再建しました。そしてそれが終わってから、シホたちはそれぞれの願いを叶えるために行動を始めたのです」
「シホの……願い?」
「はい。シホの願いは、ご主人様と共にあること。ご主人様に殉じること。新たな世界で共に生きてもいい、共に滅びてもいい。それがシホたちの願い」
「そんな、そんなことって」
彼女は両手で顔を覆った。涙が止めどなく溢れる。その肩に、ミノルは優しく手を置く。
「レイカ、泣かないで。確かにもう純粋な意味での人は存在しない。君自身もクローニングされた代替人類でしかない。でも判って欲しい、僕たちはどんな形でも、君たちに生きて欲しかったんだ」
「これが……これが生きているって言えるの?それはあなたのエゴじゃないの!?」
ミノルの手を振り払って彼女は叫ぶ。
「私はこんなことは望んでいない!どうして死んだままにしておいてくれなかったの!?」
「……ごめんなさいレイカ。これは僕たち、ミノル・シリーズとシホ・シリーズのワガママなんだ。どれだけ世界の再生に心を砕いても、遺伝子操作とクローニングで明るい世界を作っても、心は満たされなかった、共に過ごしたい相手がいなかったからだ」
「あんたたちの自己満足の相手にされられるのなんて、ごめんよ!」
「レイカが望むなら、共に消えましょう。もう新世界は自らの足で歩き始めています。創造主は必要ない、そんなレベルに達しています」
「ミノル……」
「僕はただ、レイカとまた湖畔の草原を歩きたかったのです。そよ風の中を二人で笑いながら歩きたかったのです。ごめんなさいレイカ、僕はただあなたを苦しめただけのようだ」
彼女は唇を噛みしめ、そして両腕を大きく開いた。
「ミノル、いらっしゃい」
「はい」
ぎゅっ、とミノルを抱きしめるレイカ。
「ごめんね、貴方の優しさは判った。でももう人間の世界が終わったというのなら、私は」
「はい」
「一緒に」
「ありがとう、レイカ」
「難しいものですね」
シホはそう言ってため息をつく。
「結局、シホたち自身の生殖機能獲得はできませんでしたし、再生したパートナーも皆消滅を選ぶ。仕方ないのかな、こればっかりは」
「一人くらい、共に生きたいって言ってくれると思ったのにね。なんだかマスターの再生完了が怖くなってきたよ。でもまあ、あの人と消えられるのなら、悪くない」
この場にいる女性は全員がシホの名を持つ。男性は全員がミノルの名を持つ。
「確かにこれは僕のエゴだろう。でも僕はこれを愛と呼びたい。愛の衝動だと信じたい」
薄暗い部屋の中で、彼や彼女は自らが想い続けた相手の顔を思い浮かべる。
「でも、あたしたちももう残り少ない」
「いいじゃないか。世界が滅んだ時に、残されてしまった我々だもの。共にの滅びを取り戻すだけだと思えばいい。生きる時も死す時も一緒だっていう、その望みを取り戻すだけさ」
「妹の封印はまだ解けない。あの子はこのまま、世界と共に在り続けることを望むかしら?」
「どうだろうね。先に行く僕たちを、恨むかも知れない」
ミノルは天を仰ぐ。
「滅びが希望になってしまうなんてね。さ、そろそろ僕はお嬢様の目覚めに立ち会ってくるよ。今までありがとう。お先に」
手を振ってミノル六十一号は部屋を出て行った。
世界再生。そんな使命はミノル・シリーズにもシホ・シリーズにも課せられてはいない。
絶滅した人類の廃墟……意味合いとしてはもう遺跡であるそれらから様々な新技術を吸収・学習した彼らは、この地上を今再び命溢れるものとすべく行動を開始した。環境の再整備から始まり、動植物の再生についてもナノマシンやクローニング技術の応用で進んでいく。それでも数百年単位で時間は必要だった。旧文明の痕跡はなるべく残さない方が良いだろう、との判断もあったからだ。
自然や動植物の再生がある程度終わり、次いで知的生命体の構築に入ろうとした時。果たして旧世界の人類をそのまま再生すべきかどうかでミノルたちは激論を交わすことになった。
基本的には人間の心を信じ、肯定的に捉えているミノルやシホではあったが、あっという間の人類絶滅を目の当たりにしてしまえば、それは無理だ。
そこで、彼らは人の心を信じることにした。人の心が産み出した、物語の世界を再現すればきっと。
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