第27話 聖櫃
旅は続いていた。
マガリアは理想の武器を作るため、同行者のソルムは歌の続きを探して。
かれこれ半年になるだろうか?簡単な体力回復のできるソルムは、戦闘の役には立たないけれどなかなかいい相棒だった。エルフの吟遊詩人は、その長い命のお陰で沢山の歌をレパートリーとして持つ。行く先々の村で歓迎され、路銀も稼いでくれるのだから言うことなしである。
北方のどこかに歌がある。北方のどこかに魂の石がある。
魂の石、それは深紅に輝く宝石。人の想いを繋ぎ、奇跡を起こす石。
僅かな欠片でも高額で取引されるそれは、道具に埋め込むだけでその効果を強くする。武器に埋め込めば鋭く切り裂き、盾に埋め込めば何者も防ぎ、楽器に埋め込めば魂を震わせ、首飾りとして祈れば願いを叶える。遥か古代より伝わるとされるその石は、創世の女神による世界創造以前より存在したという。
「しかし歩きづらいですね」
王都ではまだ秋だというのに、北方はもう雪が積もっている。踝あたりまで積もった雪に難儀しながら、ソルムはマガリアの後をついてくる。
「こりゃ探索どころじゃないかもね」
次の村まで平時なら半日といったところだが、この様子では一日はかかりそうだ。一面の雪景色、少し遠くに見える山裾の針葉樹林。今夜はあのへんでビバークかとマガリアは嘆息する。
幸い、冬になってまで大々的に活動する魔物は少ない。自然の恵みも獲物もいないんだから仕方ない。大抵の魔物は冬眠に入っている。
二人は街道を歩いているはずだった。たまに柵のようなものが雪に埋もれていたり、立て札があったりで道を間違えているということはない。ただ単に時間がかかっているだけだ。
北の村の近くに確か、女神さまの石碑があったな。前の村で、何人かの酔っ払いが口を揃えて言った。なんかよく判らない、古代文字も彫ってあったと。
古代文字なら読めますから行きましょう、と乗り気だったソルムはもうその体力の大半を使い切り、ひいひい言いながらようやく歩いている。エルフだから仕方ないよなーとマガリアは思うだけだ。
「スノーラビットって、なんで起きてるんでしょうね」
ソルムがまたどうでもいいことを訊く。
「食べるものなんてほとんどないだろうに」
「兎の気持ちは判らないよ」
吐く息は白い。ソルムは決して強がっているわけじゃない。こうやって無駄口を叩くことで、自分が生きていることを確認しているのだ。だからマガリアも適当にという注釈はつくが、返事をする。
もう日が暮れて来た。冬の日は短いから、そろそろ寝る場所を探さないといけない。もう三十分も歩けば森の入口に着けそうな感じではあるが、避難小屋なり材木置き場なり風を凌げる場所があればいい。
最悪の場合は雪のブロックでも積んで囲いを作るしかない。割といいアイデア扱いされるが、実際に作るのは実に手間がかかる。水分の少ないサラサラの雪ではどうにもならない。
木の間にロープを張って、布をかけて簡易テントか。マガリア一人なら夜通し焚火の前で酒でも飲んでいればいいが、ソルムはそうはいかない。
体力方向に基礎パラメータが偏っているドワーフに比べて、エルフは知力・精神力が高い。向き不向きという点からすると種族ごと正反対なのだ。ひ弱なドワーフになら文句は言うけれど、エルフは元からこうだから言っても仕方ない。仕方ないことは言わない。
「おや、あそこに小屋がありますよ」
ソルムが指さす先、針葉樹に隠れるように小さな小屋が見えた。木こりの使う小屋だろうか?
「いいね、あそこで一泊させてもらおう」
二人は小屋に近づく。屋根には雪が積もり、中に人の気配はない。かと言ってどこにも壊れた様子はないので、やはり春から秋まで使う小屋なのだろう。
「お邪魔します、よ?」
そっとソルムが扉を引く。鍵もかかっておらず、微かな軋みと共に扉は開いた。ひょっとしたら魔物でも隠れているかと少し用心はしていたが、それもなかったようだ。雪にはうっすらと埃が積もっている。
「うん、暖炉に薪もありますね。一晩お借りしましょう」
「だな。軽く掃除しとくか」
マガリアは部屋の隅に木のバケツと雑巾を見つけたので、表に出て少し深い部分の雪を掘って放り込む。発熱のまじない石をポケットから取り出して、それもバケツに入れた。じんわりと暖かくなる程度の威力しか残っていない、古いまじない石。彼女の祖父が鍛冶に使っていたものの、残り滓。
雪はバケツの中でゆっくりと解けていき、その水に浸した雑巾をギュッと絞ったあたしは床をささっと拭き掃除する。埃にまみれて一夜を過ごすのは、やはり御免だ。
その間にソルムが暖炉に火を入れる。簡単な発火魔法を使える奴がいると、こういう時に本当に便利だなとマガリアは思う。
固いパンとチーズの夕食は、冒険者なら食べ馴れた食材だ。沸かした湯で紅茶を淹れて一息をつき、ソルムはリュートをつま弾く。
夢の続きと風の色
うたかたの夢のその果てに
女神の夢が埋まりたもう
共にあれよと願いしも
途切れた絆のその果てに
女神の夢が埋まりたもう
静かな歌だ。ソルムの透き通る声が、静かな小屋の中に満ちている。
「その歌は?」
「創世の女神たちの歌です。教会ではオルガン演奏だけですが、古では合唱もされていたそうです」
「ふーん」
さほど敬虔な信者でなくても、創世の女神の話は知っている。一度滅びた世界を作り直した女神たち。世界の全てを作り直し、そして光の中……神の世界へと帰って行ったという。
女神の子らが築いた国こそが古代魔法王国という話だが、真偽は誰も知らない。
「女神の夢ってなんだろうな」
マガリアはぼそりと呟いた。
「夢ですか」
「女神ってことは、男の神もいたんだろうに。そいつらは何をしてたんだろうな」
「確かにそうですね」
くすくすとソルムは笑う。
「案外、その男の神に会うことが夢だったのかも知れませんね」
「ま、何かを、誰かを探すってのは夢としては判りやすいよな」
マガリアは自分の戦斧をちらりと見やった。
欠片だっていい。己が武器に魂の石を。それは武器鍛冶なら誰もが一度は考える。
いずこかにあるという鉱床から掘り出した魂の石は、今流通しているものよりも強い力を持つという。人と人との間を転々としたものよりも。
武器に使えば鋭くなり、防具に使えばよく弾き、楽器に使えば心を打つ。
どこか北の山奥に、静かに眠る魂の石
竜の鱗も光の盾も、一振りだけで薙ぎ払う
清き光に導かれ、辿る道筋銀の道
人の命をその色に、深く鎮める魂の石
ポロン、とリュートの手を止めるソルム。半年の旅で少しづつ集まった歌詞は、意味深だがあまり手掛かりになりそうもない。清き光と銀の道という一節から、主に集会場型の遺跡がある村と銀鉱山近くの村を探して歩いてはいたが、ほぼ手探りに近い状況にも思えた。
「先に寝るよ」
横になって毛布を被るマガリア。ソルムはリュートを磨く手を止めずに、おやすみなさいと答えた。
「ここは様子が違いますね」
見れば判ることもとりあえず口にする。ダンジョン攻略のカギは【気付き】だからだ。
だからと言ってこれはな、とマガリアは思う。本来地下室はさほど広くはないだろう集会場型遺跡の地下は、明らかに異質な建造物への通路となっていたからだ。
階段を降りた先に、他の遺跡にはない通路があった。そこから先は、村では禁忌の場所とされていたという。そこを二人が進んでいくと、通路は濃紺の金属質から次第に明るいクリスタルへと変わっていく。
「こんな材質、見たことないぞ」
斧の柄でコツコツと床を叩いてみるマガリア。ガラスよりも弾力があるように感じる。力を入れても傷がつかない。固いブーツの踵で叩くとカツカツ軽い音がする。
「光を反射するようにも、吸収するようにも見えます」
継ぎ目の見えない壁に指を滑らせながら、ソルムは言う。
「この先には何があるんでしょうね?」
「魔物の気配はないけど、用心に越したことはないな。落ち着いて行こう」
どうせ戦闘になれば、マガリア一人でなんとかするしかない。周囲に気を配りながら二人は一本道を進み続ける。三十分もしないうちに、道は途切れた。正面には、扉。
「ノブも鍵穴もありませんね」
こんこん、とノックをしてみるソルム。
「引けないから押してもましょう」
ぐっと体重をかけるが、微動だにしない。
「近くに仕掛けもないな」
床から天井から、ぐるっと見回したマガリアは肩をすくめる。
「スカウトがいたら違うのかね?いやー、これはどうかな」
自分で言って自分で否定。とにかく思いは口にする。
「だいたいこれ本当に扉なのか?ただここだけ継ぎ目が見えるってだけじゃ」
マガリアはその長方形の部分に左手を触れて、軽く左へと流した。すると音もなく、行き止まりの先が開いた。
「えっ、なんだこれ」
引き戸なわけがない。段差もなく、ただ長方形に区切られていただけだったのだ。だが現実には、それはまるで引き戸のようにその先への道を拓く。
「えーっ?これ、戸の部分も吸い込まれちゃったみたいですよ?」
開いた入口の角を見て、ソルムが驚きを隠せずに、大声を出す。
「とにかく、進もう」
二人は扉の先に進む。やはり同じような材質の通路が続くが、入って来た扉の幅そのままなので、狭い。
「閉所恐怖症だったら危ないですね、これ」
「全くだ」
人が二人並ぶにはやや窮屈な道が続く。様子が変わったとするならば、途中で何回か道が直角に折れたことだ。最初に右、次いで左。そしてまた左に角を曲がると視界が開けた。
「ここは……」
マガリアは息を飲んだ。クリスタル素材による、荘厳な神殿の内装がそこに広がっていたからだ。
まばゆい。神々しい。そしてマガリアもソルムも、この光景に見覚えがある。
「これは、王都の大聖堂そのままじゃないですか!?」
天井から下がるシャンデリアから設えた長椅子、正面にある巨大なパイプオルガン。司祭が立ち説教をする演台まで記憶通りだ。だが違うところもある。全てがクリスタル素材であり、そこには色がない。
「清き光に導かれ、辿る道筋銀の道」
歌の一節をソルムは呟く。
「マガリアさん、詳しく調べてみましょう」
「ああ」
二人は手前の長椅子あたりから注意深く調べ始める。材質はやはり先穂との通路と同じ弾力のあるクリスタルだが、それは後から設えたものではなく……床から継ぎ目なく生えていた。
「これ溶接なのか?」
こんこんと軽く拳で叩きながら、マガリアは首を捻る。こんな細工は見たことが無い。
「マガリアさん!ちょっとこれを!」
正面奥からソルムの慌てた声が響いた。マガリアは戦斧を片手に走る。
「どうした!?」
「こ、これ!」
ソルムが指さす先、演台の影には……透明な棺があった。中には見たことのない服装をした男女が、まるで眠るように納まっている。
「……死体?いや、生きて……は、いないのか?」
「男と……女、ですよね?」
黒い髪の男女は、静かに透明な箱の中にいる。うっすらと輝く棺の照り返しで、やはり生きているように見えた。
「なんでしょうね、これ。そしてこの場所。何か、意味があるんでしょうか?」
ソルムがそう言った時、微かに空気が漏れる音がして、棺の蓋が光の粒子になって消滅した。
「あっ」
驚くマガリアとソルムの前で、棺の中の女性がぱちっと目を開く。息を飲む二人をまるで気にしないように、その女性は上体を起こした。二十歳過ぎの人間だ。
「Kamusta」
女性が口を開いた。
「えっ?」
「Dia dhuit」
何か言っている。だが判らない。
「Bonjour」
「ソルム、判る?」
「いえ、古代エルフ語とも違います」
「zdravo」
女性は違った単語を何度も口にする。だがマガリアにもソルムにも、何を言っているのか判らない。
「こんにちは」
「あっ」
やっと判る言葉が出て来た。マガリアはどもりながら返事をする。
「こ、こんにち、は」
「ああ」
女性はにっこり笑った。
「ジャポネベースで良かったのですね」
「じゃぽね?」
「いえ、良いのです。それより」
女性は傍らの男性に目をやった。そちらは微動だにしない。その様子を見て、女性は悲しげに目を伏せる。
「やはり、駄目ですね」
マガリアとソルムは身じろぎ一つできない。だが、この男性が動かないことについて、女性がひどく悲しんでいるということだけは判った。
「あなた方の望みは判っています」
女性は懐から卵大の、深紅の宝玉を取り出してマガリアに差し出す。
「世界に遺されしノゾミニウムの一つ。人の想いと絆を繋ぐ、魂の石。さ、お持ちなさい」
「えっ、あ、はい」
気圧されるようにマガリアは呟いて、その大きな魂の石を受け取る。
「その石は終生あなたの物。決して砕いたり、他人に渡してはなりませんよ」
「は、はい」
深く輝く深紅の石を手に、マガリアはうわ言のように返事をする。
「そちらの貴方が求める歌は、この場所に導く歌。導かれてしまえば、もう続きはありません」
「そ、そんな」
愕然とするソルムに、女性はにっこりと微笑む。
「そこから先は、貴方自身が作るのです」
「私が……」
そして女性は天を仰ぐ。
「ああ、やはり願いは届かないのですね。同じ名を持つ妹よ、あなたの望みが叶うことを祈って、私は先に行きます」
「え……?」
マガリアが呟くのと同時に、女性と男性の体が光に包まれる。
「ああキョウイチ……貴方と共に……」
すっ、と二人の視界が光に塗り潰されて、次の瞬間全てが消えた。マガリアとソルムは、あの集会場型遺跡の地下、濃紺の金属で出来た地下室に、いたのだ。
「えっ!?」
「なんだ、なんだここは!?」
二人は呆然と辺りを見回す。ここは階段を降りてすぐの広間だが、奥への通路がなくなっている。
「ゆ、め?」
しかし、マガリアの手の中には深紅に輝く宝玉があった。
「じゃ、ない?」
しばらくして我に返った二人は、遺跡の地下質をくまなく調べたが……あの通路は見つからなかった。
「じゃああたしは行くぜ」
見送るソルムにそう言って、マガリアは旅の荷物を背負った。
良質の銀鉱脈が南西にありという話を聞き、いてもたったもいられなくなったのだが……雪中行軍を嫌がったソルムは、春までこの北の村に残ると言ったのだ。
「はい、お気をつけて。またどこかで会うこともあるでしょう」
「ああ、またどこかで」
歌の続きがないと知ったソルムは多少落ち込んだものの、続きを考えるという宿題に希望を見出していた。導かれた者がどうなったのか、どこへ行きつくのか。長命種のエルフには相応しい宿題と言えよう。
割ってはいけない、譲ってはいけない。懐の、今まで見たこともない巨大な魂の石。マガリアは、それを収める戦斧をきっと作り上げようと決意する。
魔王との戦いが伝説となった世界。人知れず暗雲が世界を包もうとしている時代。かつて呑気で今はシビアなそんな世界、その名はサンクレア。
これは、そんなサンクレアを舞台にして繰り広げられる、時代と歴史の果てに位置する物語である。
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