第26話 ノゾミニウム

 「だとしてもッ!」

 私の頭を抱えるようにして天藻が絶叫する。

 「希海をこんなにした貴様たちをわちは許さん、ああ許さんがや!」

 「違うの天藻……わたしが、自分で……」

 「教えるんじゃなかった、ただ喜ぶ顔が見たいと思ったわちが馬鹿じゃった!」

 ぼんやりと見える天藻の瞳は真っ赤に光り輝き、その牙を剥き出しに唸る。

 「落ち着くんだ、すぐ病院に!」

 「ならん!希海はわちが守る。わちが助ける!!」




 自分のブースに天藻を連れて入る。さほど広くない部屋だけど、のんびりするスペースくらいはある。

 「じゃあちょっとお仕事するから、天藻はそのへんで絵本でも読んでてちょうだい」

 「そうか」

 今朝までに届いたメールに目を通し、特に変わった情報が入った様子がないことを確認する。依頼していた実験の結果が届いていたので目を通す。時空振動の定着に必要な空間エネルギーの定着率がどうしても必要値に達しない。思いつく限りの素材は試したはずだし、思いつく素材ならうまくいってもいいはずだ。なのにどうして……

 「希海の怖い顔初めて見たちゃ」

 はっと気づくと、天藻の顔がすぐ横にあった。

 「あ、変な顔してたかな?」

 「うんにゃ、刃物のごたる顔じゃった。怖うて綺麗で、つい見蕩れちょった」

 「あはは、ありがと」

 「それ」

 天藻は、モニターに表示されている分子構造式を指さす。

 「これ?うん、今してる研究に必要な素材のね、理論モデルなの。実際にはないものなのよ」

 「うんにゃ、あるとこ知っとる」

 「えっ」

 画面と天藻の顔を交互に見る私。嘘を言っている風ではないが、しかし。

 「うん、あのね、これはきっとこういうのがあったらいいなーっていう絵で」

 「あるんよ、わち知ってる」

 にこにこしながら天藻は言った。

 「欲しいんか?なら案内ばしちゃろか?」

 私は思わず生唾を飲み込んだ。

 「遠いのかな?どのあたり?」

 天藻はうーん、と考えてからぽんと手を叩いた。

 「こっからちと遠いの。お富士のふもとじゃ」

 富士の山麓といっても広い。ひたすらに広い。とりあえず私は液晶モニターに神奈川県から愛知県あたりまでの地図を表示させてみた。

 「この地図でいうとどのへんかな?って、判るかなこれで」

 「おー、ここじゃこのへんじゃ」

 天藻の指は富士山の北西を差す。青木ヶ原樹海のあたりかしら。

 「力石言うてな、念を込めるときれいなんじゃ」

 「そんな名前なのね」

 近くにキャンプ場がある。国道も走っている。山梨まで電車で行って現地でレンタカーか……それとも天藻を連れてくなら、研究所の車を借りようか。

 私は内線電話の受話器を取り、北枕博士を呼び出す。

 「何かね?」

 「博士、社用車ってお借り出来ます?」

 「今日明日は特に予定はないはずだが」

 「お借りします」

 私は博士の返事を待たずに受話器を置き、天藻を連れて車を出した。今からなら夜には帰って来られる。助手席の天藻は、思わぬお出かけに満面の笑みを浮かべていた。




 樹海には遊歩道として整備されているルートがある。そのルートを外れることは禁止されているし、今回の目的は樹海そのものではない。

 遊歩道のスタート地点である駐車場に車を停めた私は、外に出て自然の多い場所の空気を胸いっぱいに吸い込む。やはり、都会の研究所とは全く匂いが違う。

 助手席から降りて来た天藻が、私の真似をして深呼吸をする。ふと目が合い、くすくすと笑い合う。

 「さて、着いたんだけど……この辺りにも、あるのかな?」

 「ちと待ちゃれ」

 天藻はくんくんと鼻を鳴らし、ガードレールの先から黒い石の塊を拾ってきた。

 「こん中にある」

 「えっ、これ?」

 「んー、なんちうか。砕いて集めて色々せんとあかんち、こんままじゃ判らんかもなぁ」

 つまり精錬が必要なのだろうか?

 「ただなあ、石集めて作るまではええんやけどな、石に力ば込めるんは、一人でしたらあかんのよ」

 天藻の顔が曇る。

 「わちらは神じゃからなんともないが、人の身で石に力ば送るとえらいことになる。ちいとづつ、ゆーっくりせにゃならん」

 [ふうん、そうなんだ……天藻、もう二、三個拾って来られる?」

 「うん、ちと待ち」

 破砕して成分分析、それからできれば精錬。この溶岩の中に、本当に望む物質はあるのだろうか……無邪気な顔で石を置いてはまた拾いに駈けていく天藻の後ろ姿を見て、こんな微かな希望にも縋らざるを得ない自分に私は絶望していた。



 

 果たして、その溶岩内に微量に含まれていた石英質の物質は私の望む通りの分子構造を持っていた。

 「見て下さい博士、理想的な構造式です」

 「信じられん……こんな物質が天然自然に?いやあり得ん、溶岩が流れ出た時に取り込んだものとでも考えないと、これは」

 歓喜に打ち震える私と、何か恐怖すら感じているような北枕博士の二人を見て、天藻は得意そうに言う。

 「こん石ばまとめてこねて、かかさまは珠飾りを作るっちゃ。神通力がびょーんと伸びるんじゃ」

 「そうなんだ、やっぱりこの石はすごいんだね?」

 「だけどな希海、石ば強くするんはものすごう時間がかかる」

 言って天藻は首から下げていたペンダントを私に見せた。ほんの五ミリくらいの、深紅の勾玉だ。

 「かかさまがこれ作るんに五年かかっとる」

 「えっ、これあの石なの?」

 がばっ、と北枕博士が振り向く。

 「なんと、完成品があるのか!?」

 びくっ、とした天藻は勾玉をぎゅっと握りしめて隠す。

 「これは貸さんぞ。わちの力を守るち、かかさまが持たせてくれた大切な珠じゃ」

 「そ、そうか残念だな」

 北枕博士はひとつため息をつくと、天藻に正面から向き直って笑顔を見せた。

 「そうしたら、その石の作り方だけでも教えてくれはしないかね?」

 「うーん、あんまり人に持たせたらいかんち言われとるけど……」

 天藻が私を縋るような目で見るので、私は両手を合わせてウインクする。お願い!

 「……まあええか、どうせ大きくは育ちよらん」

 身振り手振りを交えて、天藻は母狐がどのようにしてこの勾玉を作ったかを説明し始める。話が途中であっちこっちに迷走するのをその都度進路修正しながら聞いていたが、ただ溶かして鋳型に流すだけという所で私も博士も首をかしげる。

 そう、溶岩内部には目的となる物質は微量にしか含まれていないのだ。やはり精錬の工程が抜けているのではないか、と思った時に、背後から声がする。

 「まずは試してみたらどうかな」

 「父さん!」

 その声は紛れもなく私の父、桜木健一郎。顔を見るのは半年ぶりだろうか?

 ぴょこん、と天藻の尻尾が立った。

 「希海のととさまかえ!?」

 「ああ、君が天藻ちゃんか。いつも希海を守ってくれて、ありがとう」

 父はそう言うと、ゆっくり私たちに歩み寄る。

 「それで一つ聞きたいんだけれど、いいかな?」

 「お、おう」

 「君のお母さんがその石を溶かす時に、何か特別なことはしていたかい?」

 「とろとろにしてな、三日三晩煮詰めるだけちゃ。ほいだらかさが減るでな、それを型に流すんよ」

 煮詰める?岩石が蒸発でもするの?まるで煮物でも作るかのような天藻の言葉に私は少し混乱する。

 「まあそこまでは問題なく出来よろうがの。石に力ば籠めるんは、決して人だけでしたらあかんぞえ。わちが見てないところでやったらあかんぞえ」

 「そうか、じゃあとりあえず作るところだけにしておこう。今日はもう遅いし、準備も必要だからまた今度だな」

 父は天藻の髪をくしゃくしゃと撫でる。昔、子供の私にしたみたいに。

 「北枕先生、所員に言って材料の採取をさせて来ましょう」

 「判った、儂は機材の準備を進めておこう。ひょっとしたらひょっとするかも知れんな」

 こうして事態は慌ただしく動き始めた。




 「大きゅう作って割ってもええんじゃよ」

 石の作り方について、天藻から色々と聞きだす役目を仰せつかった私は、天藻の不興を買わない程度に情報を引き出そうと苦心していた。

 「出来立ての珠は触ったらいけん。珠の食い気が落ち着くまでは、構ったらいけんとかかさまは言うとらした」

 私は天藻のふわふわな髪にブラシを入れながらふうん、と相槌を打つ。

 「珠の食い気が落ち着くに大きさは関係なか。でっこうてもちいそうてもしばらくしたら珠は言うこと聞くち、ゆるゆる力ばくれてやればなんも危険は無し。しやけど」

 天藻の口調が真剣になる。

 「玉藻の前さまは追われし時ん、作りたての珠ば人ん中放り込んで命ば吸わせたんよ。そいで殺生石ち呼ばれたん」

 あれは火山性のガスが原因じゃなかったかな。どこまで本当のことかは判らないけれど、とにかく急いではあまりいいことが無さそうな感じだ。

 「天藻の勾玉はもう触っても平気なんだよね?」

 「うんむ、かかさまは昔こーんなでっかい珠こしらえてな」

 天藻は両手を広げてぐるぐる回す。とにかく大きいらしい。

 「子供が一人でん生きていけるくらいになったら、割って磨いて作りよるんよ。こいにはかかさまの想いが詰まっちう。かかさまとの絆なんじゃ」

 「そっか、天藻はお母さんのこと大好きなんだね」

 髪を漉く手を止めて私は微笑みを天藻に向けた。天藻もまた笑顔になる。

 「んむ、わちはかかさま大好きじゃ。でもでも、希海も大好きじゃ」

 「ハンバーグとどっちが好き?」

 「えっ」

 意表を突かれて天藻は真顔になり、そして破顔一笑。

 「希海に決まっておろう!」




 予想外の状況だけは避けたい。

 北枕博士はとにかく事は慎重に運ぶべし、と珠の生成工程は全てロボットフームによる遠隔操作を主張し、全ては別室からのリモート・コントロールにて行われた。

 加熱を続けた溶岩は、信じがたいことにその容積を減らす。三昼夜の加熱でおおよそ三分の一まで減ったその溶解した岩石質を、一メートル四方の鋳型に流し込んで待つこと二日。センサー検知での内部温度が二十度を切ったので、これで新物質のインゴッドが完成したことになる。

 天藻はどうじゃ見たことかと得意げだったが、とにかく触るな近寄るなと周囲を威嚇して回った。

 「わちがいいと言うまで触ることまかりならん!」

 「いつくらいになったら触っていいんかの?」

 引きずられて、ちょっと訛りが入った北枕博士が尋ねる。

 「わからん!けどまだ珠はびんびんになっちょる。ちょっち煮詰めすぎたかも知れん」

 「煮詰めすぎ?」

 「珠の想いが濃ゆう見える。半月もあれば治まると思うち、そんままにしとき。治まったら、わちがまじないかける。そしたら安全じゃ」

 「そうか」

 北枕博士は腰をとんとんと叩いて、ため息をついた。

 「そしたら、半月後にまた判定してもらうまでここはロックしておこう。センサーとスペクトル分析などのデータは取ってあるから、あとはシミュレーター作業で時間を潰すしかないな」

 「しかしこのデータはすごい」

 父が興奮して言う。

 「時空振動に対する干渉率が本当にこの通りだとしたら、それこそこの珠は世界を変える」

 「まあまあ」

 北枕博士が父の肩に手を置いた。

 「急いては事を仕損じる。じっくり寝かせて待とうじゃないか、美味いハンバーグでも食べよう」

 「はんばあぐ!」

 天藻の耳が跳ねた。




 かつて、北枕先生が提唱し国家的プロジェクトにもなった【国家倍増計画】。時空間に干渉して過去とのゲートを開き、狭隘な国土しか持たない我が国に新たな場所をもたらすはずだった計画。

 しかしそれは失敗した。過去はやはり過去、干渉不能であれば活用も出来ない。

 しかし先生は、その失敗が時空間へのアクセス方法にあったのではないか、別のアプローチなら成功するのではないかと研究を続ける。

 時を同じくして、インチキ科学と馬鹿にされつつも時空物理学の研究を進めていた私と父は、超空間を利用した遠距離移動……つまりワープの概念実験中、実験装置の暴走に巻き込まれて亜空間へと閉じ込められた。亜空間内部では時間は停止しているようで、私と父はただその空間を漂う物体でしかなかったが、北枕先生が開発した携帯型空間ゲート移転装置に引き寄せられてこの三次空間に復帰を果たす。


 しかしここは、私と父のいた日本ではなかった。


 日本どころではない、世界の歴史が丸ごと異なっていたのだ。おおよその流れは同じようにも見えたが、産業革命以降の歴史は大幅に異なっており、また国家間のパワーバランスや戦争の歴史なども全て異なっていた。

 北枕先生は父と私の言うことを最初は取り合わなかったが、父の示す時空物理学論と私がたまたま持っていた各種実験データを見た結果、並行世界の存在を確信することになる。父と私の究極の目的は元の世界への帰還だが、こちらの世界に寄る辺の無い親娘には何もできない。そこで北枕先生は父と私を自らの研究室に研究員として雇い入れ、時空関連の研究環境を用意した。研究員としての経歴に不都合が無いように、偽りの経歴と戸籍なども用意してくれた。それは北枕先生の研究に出資している政治家が手を回してのことだったらしい。

 北枕先生の研究は並行世界へのアクセスへと方向転換をする。父と私の実験データと先生のこれまでの研究を突き合わせて、国土倍増計画時と同じような状態でのアクセスゲートを短時間開くことは出来た。セピア色だが、自分のいた世界に触れられて父も私も狂喜した。


 しかし。


 私たちの世界に関するデータを目にした北枕先生は深い思考の海に沈む。生命に満ち溢れる私たちの世界に比べ、衰退していく先生の世界。このふたつの並行世界は、どこで道を違えてしまったのか。どこで差が出ているのか。なぜ向こうでは大規模な戦乱を回避できているのか、どうしてこちらだけ死が広がっているのか。


 北枕先生は、並行世界へのゲートを完全な形で確定させ移民を募るべきだと考えた。過多な人口を抱える地域があるというのなら、こちらの地球は逆に地球ごと過疎になりつつあるのだから、うまくバランスが取れるのではないか。しかしそれは否定される。もし向こうの軍隊が攻めてきたら、衰退したこの世界の兵力では対抗できない。ゲートの確定など以ての外だ、と先生の提案は否定された。

 その後、両世界線での生命エネルギーの比較検討が秘密裏に行われ、そしてある方針がその結果を元に動き出すことになる。が、それを父と私はまだ知らない。

 なぜなら、今私と父は絶体絶命のピンチに立たされていたからだ。



 「桜木健一郎博士、桜木希海博士。貴方たちは一体何者なんです?」



 「待ちたまえ吉野君」

 詰め寄る研究員たちを宥めながら、北枕先生が間に割って入った。

 「先生、先生もご存知なんですよね?彼らが何者なのか」

 「それは、その」

 先生の歯切れが悪いのは当然だ。戸籍から経歴に至るまで全ては偽造されたもの。そしてその全てを北枕博士は知っている。

 「調べさせていただきました。何もかも出鱈目、何もかもが嘘。そして先生、彼らの研究に莫大な予算がつぎ込まれていることも」

 「いや、研究自体は儂の主導だ。決して彼らが勝手に」

 「結果も出ない研究に資金をつぎ込み続けるのは、背任ではありませんか」

 「森田君、結果はもうすぐ出るんだよ」

 「もうすぐもうすぐで三年経っています。私の研究は一年で切られました」

 先生の庇護を当たり前にして、少しやり過ぎたかなとも思う。せめて研究所の主要メンバーにだけでも、真実を打ち明けるべきだったのか……

 先生は大きくため息をついた。

 「では全てを話そう。この二人は、並行世界の日本人だ」

 ざわめく所員たち。

 「彼らは実験中の事故でこちらに来た。彼らが優秀な科学者と知った儂は、彼らに便宜を図り研究の手助けをしてもらっておった。そしてもうすぐ研究の成果が判る」

 「……見せていただきましょう」

 先生は力なく、隣の部屋への電子ロックを解除して扉を開き、手招きをする。そこは珠精製のコントロール・ルーム。

 いくつかのモニターに火を入れて先生は言った。

 「この立方体が完成すれば、儂の研究は最終段階に移る」

 「あとどれくらいで完成するんです?」

 苛立ちを隠せない所員。

 「あと二週間は手を触れられん。落ち着くまで、人は手を触れてはならんとのことだ」

 「そんなことを言って誤魔化す気ですか!?」

 「本当です、あれは人の命を吸うと」

 「オカルトかよ、黙れ!」

 一瞬何が起きたか理解ができなかった。右の太腿に痛みを感じる。ああ私、蹴られたんだ。

 「信用できない」

 吉野研究員がぼそりと呟く。

 「持ってきてよ、あれ。隣にあるんでしょ?」

 「駄目だ、事故が起きたらどうする?」

 「だってこの人たち、この世界の人間じゃないんでしょ?」

 彼女のこんな冷たい声は初めて聞いた。実験動物でも見るような冷ややかな目。

 「信用して欲しいなら、持ってきてよ」

 「判った、私が行こう」

 観念したように言う父を私は制する。

 「いいえ、私が行くわ」

 「希海」

 私は父に微笑みかける。

 「大丈夫、たぶん何もないわよ。それにもし何かあっても、お父さんなら研究は続けられる」

 そう、何もなければ全て良し。もし天藻が言うような、何かひどい事態が起きたとしても……より科学者として優秀な父が残れば、きっと。

 私は意を決して、いくつもある隣への扉のロックを外しにかかる。物理錠が三つ、そして電子ロック。田平を開けた瞬間、何かどす黒い気配のようなものが向こうからこちらに吹き込んできたような気がして、私は思わず身をすくめた。

 「な、なんだ今の!?気圧違うのか?」

 森田研究員も何か不吉なものを感じたように、怯えた声を出す。

 「いいから早く持ってきなさい」

 吉野研究員の声に従って、私は作業室内部に入る。そしてロボット・アームを直接操作して、鋳型から珠……一立方メートルの立方体を台車へと移す。赤黒い物体は透き通っているはずだが、まるで濁った血のような色にも見える。禍々しい……

 私はゆっくりと台車に近づこうとした。どくん、と立方体が鼓動を打った気がする。ものすごく邪悪な気配がする。さあおいで、さあこちらに。頭の中にそんな声が聞こえ始める。珠が誘って、いる?私はついふらふらと歩み寄り、そして手を伸ばす。


 「行くな!」


 鋭い叫びが聞こえた。天藻だ。

 「きさんら何しちゅう!まだ触れたらあかんち言うたはず!希海、戻れ!!」

 私は珠を見る。赤黒かった立方体が透け始め、まるで宝石のような輝きさえ身に付け始めていた。

 「そがい近くにおったらあかん!」

 天藻の尻尾が伸び、私の体に巻き付いて一気に引き戻す。体に力が入らない。床に倒れ伏す私を、天藻が抱き起す。

 「あかん、珠に命ばあらかた吸われちょる!あんだけ、あんだけあかんち言うたに!」

 天藻の目に怒りと憎しみが満ちる。

 「お前か!」

 その視線は吉野研究員を穿つ。邪神の瞳に射抜かれて、吉野研究員はガタガタと震え出した。

 「そ、そいつはこの世界の人間じゃないんだから、知ったことか!異世界の人間なんかに好き勝手されてたまるかっ!」

 「だとしてもッ!」

 私の頭を抱えるようにして天藻が絶叫する。

 「希海をこんなにした貴様たちをわちは許さん、ああ許さんがや!」

 「違うの天藻……わたしが、自分で……」

 「教えるんじゃなかった、ただ喜ぶ顔が見たいと思ったわちが馬鹿じゃった!」

 ぼんやりと見える天藻の瞳は真っ赤に光り輝き、その牙を剥き出しに唸る。

 「落ち着くんだ、すぐ病院に!」

 「ならん!希海はわちが守る。わちが助ける!!」

 差し出された北枕先生の手を振り払って、天藻は吼える。

 「もう誰にも渡さん、誰にも触らせん」

 そう言って私を見下ろす天藻の頭上に、銀色に輝く輪が見えた。ああ、あの輪は時空間の転移ゲート。


 そうしてわたしとあまもはそのひかりのわのなかへとけて





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る